昨日、西宮聡彦さんから次のようなメールをいただいた。
「11月9日から13日まで、サイパン島、テニアン島の戦跡ツアーに行ってきました。
父の追悼集にも書きましたが、父は昭和15年陸軍士官学校を卒業し、松本50聯隊の見習い士官を経て少尉に任官しました。50聯隊は満州駐屯を経て昭和19年テニアン島に転戦となり、同年8月2日、緒方連隊長の元、テニアン島で玉砕しました。
幸い父はテニアン島転戦の前に、名古屋幼年学校の生徒監として内地に転勤となりました。内地勤務といっても、本当のところは本土決戦要員で、本土決戦があったら、小生は存在していなかったというわけです。(2023、5,27日「人間浴」-陸軍少佐と通信兵)
人生、紙一重ですね。というわけで、もしかして、父が玉砕したであろう地のサイパン、テニアンの戦跡ツアーに参加しました。
サイパンはハワイより近いため、バブルの時代は賑やかだったとのことですが、今はJAL便も廃止になり、少しさびれたとのこと。廃墟になったショッピングセンターやホテルなど点在しておりました。しかし、景色は素晴らしく、悲惨な戦争との対比がなんともいえませんでした。」
19枚の写真が添付されており、どれもリアルなものでした。西宮さんのご厚意により、広島、長崎に原爆を投下した米軍機が飛び立ったテニアン島(上)と、サイパン島に残された日本陸軍戦車の残骸(下)をご紹介します。
「11月9日から13日まで、サイパン島、テニアン島の戦跡ツアーに行ってきました。
父の追悼集にも書きましたが、父は昭和15年陸軍士官学校を卒業し、松本50聯隊の見習い士官を経て少尉に任官しました。50聯隊は満州駐屯を経て昭和19年テニアン島に転戦となり、同年8月2日、緒方連隊長の元、テニアン島で玉砕しました。
幸い父はテニアン島転戦の前に、名古屋幼年学校の生徒監として内地に転勤となりました。内地勤務といっても、本当のところは本土決戦要員で、本土決戦があったら、小生は存在していなかったというわけです。(2023、5,27日「人間浴」-陸軍少佐と通信兵)
人生、紙一重ですね。というわけで、もしかして、父が玉砕したであろう地のサイパン、テニアンの戦跡ツアーに参加しました。
サイパンはハワイより近いため、バブルの時代は賑やかだったとのことですが、今はJAL便も廃止になり、少しさびれたとのこと。廃墟になったショッピングセンターやホテルなど点在しておりました。しかし、景色は素晴らしく、悲惨な戦争との対比がなんともいえませんでした。」
19枚の写真が添付されており、どれもリアルなものでした。西宮さんのご厚意により、広島、長崎に原爆を投下した米軍機が飛び立ったテニアン島(上)と、サイパン島に残された日本陸軍戦車の残骸(下)をご紹介します。