2023年10月27日金曜日

パンダを見に和歌山に行きます。


今月上旬、「たまには旅行へ行こうか?どこへ行きたい」と聞いたところ、「和歌山へパンダを見に行きたい」とのこと。
最初、年末くらいがいいかと思っていたが、スケジュールを見ると、10月下旬が空いている。「善は急げ」である。
パンダがいる白浜のアドベンチャーワールドは南紀白浜空港の近くであり、日帰りの弾丸ツアーというのもあるが、何しろ私は81才の高齢、同行者も高齢である。
月末の昼の飛行機で行くことにした。夕方着、白浜に一泊。翌日アドベンチャーワールドを見て、一泊。翌日の昼の便で帰ることにした。
天気が心配だったが、幸い天気は良さそうなので一安心。
アドベンチャーワールド行きの団体旅行が見当たらないので、旅行会社の個人旅行にアクセスして手続きをした。驚いたのは飛行機の座席指定までできることだった。
しかし、行きの関西空港は初体験。空港から白浜行の電車はどうなっているのだろう。白浜駅からホテルまでの交通はどうなんだろう。と疑問が次々に湧く。これが個人旅行の厳しいところであり、楽しみでもある。
料金は事前引落、2人で162,000。因みに、同じ旅行社の11月初旬出発同条件コースの料金を確認したところ、212,400とある。諸物価の高騰で料金が高くなったのだろうか。
アドベンチャーワールドには4頭のパンダがいるとのことだが、4頭ともアドベンチャーワールド産だという。同ワールドのパンダの飼育は大したものだと思う。
写真は2018年8月14日生まれの「彩浜」さいひん(メス)。2000年生まれの「良浜」らいひん(メス)の愛情を受け、懸命に生き、ケガ・病気もなく、すくすく成長しているという。現地で見るのが楽しみだが、「彩浜」と「良浜」の違いがわかるかどか・・・。同行者にはわかるのだろうか・・・。


2023年10月21日土曜日

牧野富太郎の絵本(社友会バス旅行その2)

 
「国営ひたち海浜公園」の次の見学地は「茨城県植物園」だった。あまり期待していなかったが観光バスが何台か止まっている。NHK朝ドラ「らんまん」効果なのだろう。
朝ドラで「らんまん」がはじまった時、植物学者が主人公でドラマができるのかな?と疑ったが面白かった。作者である長田育恵さん(1977生まれ)の力によるところが大きいと思う。朝ドラにしろ、大河ドラマにしろ、この分野における女性作家の活躍は目覚ましい。大したものだと思う。

展示室に行くと牧野富太郎(1862~1957)のコーナーがあり、植物図鑑が展示されていた。(写真・上)図鑑のタイトルは「牧野新日本植物圖鑑」(北隆館)。確かに美しい。因みにこの図鑑、ネットで検索したら中古で¥17,000~¥60,000だった。
帰りは「水戸ドライブイン」に寄って、東京に帰ることになる。途中、錦糸町にも停車するので、錦糸町で降りた方が良いかもしれない・・・と考えていると、バスは高速から降りて一般道に。「水戸ドライブイン」は高速のドライブインだと思っていたら一般道だった。隣にコンビニがあったので、近くにJRの駅があるかと聞いたところ、内原駅があるという。皆さんと分かれ50号線を笠間方面に向かって歩く。30分ほど歩くと左手遠方に常磐線の特急列車が走っているのが見えホッとする。さらに歩を進めると、イオン内原店の看板が見える。ドライブインを出たのは16:05、17:00に内原駅に到着。18時16分、牛久駅に到着した。バスは18:20東京着だったので、1時間早い到着となった。翌日、滝口さんから「畠山さん、水戸で降りて正解でしたね。首都高で事故があり京葉道路で帰りましたよ」というメールが入った。色んなことがあったバスの旅でした。

2023年10月20日金曜日

国営ひたち海浜公園(社友会・バス旅行その1)

 
18日、社友会が主催するバス旅行に参加した。出発地は東京。行先は「国営ひたち海浜公園」と「水戸植物園」。茨城の牛久にいながら、茨城の観光地に行くために東京まででかけることになった。まあ、でも、暫く会っていない会社の友人に会える。これが社友会の旅行に参加する目的の一つである。
旅行の幹事役は磁気テープで一緒だった滝口さん、藤ノ木さんご夫妻もいた。7時30分出発。バスの座席、隣は経理の具志堅さん、同じく経理の松崎さんだった。具志堅さんの話をうかがい、その他芸ぶりと活躍に驚いた。趣味はフルート。2本フルートを持っているという、1本は60万円で購入したとか。線画もやっており、佐倉市の文化人である。その傍ら、経理、パソコンの能力が評価され、自治会の仕事を手伝っているという。
バスは東京スカイツリーを見ながら常磐高速を目指す。そういえば、現役時代、接待が終り、この経路を通って牛久までタクシーで帰ったことが何度かあった。経理の方には大目に見ていただき感謝である。
11時、那珂湊着。土産を買った後昼食。透き通るようなネタが載っいるスーパーの寿司と違い、食べ応えがあった。
昼食後、「国営ひたち海浜公園」へ。この公園、第2次世界大戦後、米軍の水戸射撃場だったという。1973年(昭和48)返還された。350ヘクタールと、とてつもない広さである。みはらしの丘に咲く真っ赤なコキアと秋桜はやはり見事である。天気にも恵まれ、みはらしの丘から見る太平洋の青とのコントラストはまさに”絶景”だった。


2023年10月13日金曜日

カセット無償契約の功労者は松下幸之助と大賀典雄

 7月11日のブログに「先輩(91才)の証言、カセット事業草創期」9月5日のブログに「TDK磁気テープ事業”暗黒時代”」を書いた。
7月6日、今年91才になる富田哲夫先輩に対する取材があった。私は日本のカセットも含めた磁気テープ事業の生き証人である富田先輩の体験談を是非記録に残したいたいと思い、「ステレオ時代」の澤村編集長に持ちかけ、それが実現したのであった。取材場所はTDK本社だった。(写真・右)
8月31日、取材をセッティングしてくれたお礼ということで、富田さんは私を経堂に招待して下さった。この場で7月6日、語り切れなかったことを熱っぽく語った。また、大腸癌が見つかり近々手術されるという話もうかがった。6回目の手術だという。
9月に入って取材記事の校正がはじまった。富田さんから毎日のように電話があった。病室からだった。「お任せ下さい」といったが、「畠山さん、良く聞いて下さい」。その指摘は文言の訂正にまでおよび、その指摘が的確なのに驚いた。富田さんの執念を感じた。
取材記事が掲載された「ステレオ時代」が10月12日ついに発売された。
記事の中で「カセットの標準化契約が無償になったのは松下幸之助と大賀典雄の功績だった」と富田さんは語っている。私は今まで標準化契約を無償にした「フィリップスはさすが懐が深い」と感心していたが、実は違っていた。富田さんはフィリップスの出先機関であるIDCCと大賀典雄が対峙した現場にテープ工業会会長・高尾泰弘(TDK常務)のカバン持ちとして立ち会ったという。まさに‟生き証人”である。
富田さんは慶応ボーイ。部下である私にも謙虚であった。


2023年10月8日日曜日

さあ~さあ~お立合い!「ガマの油売り」

 
5日(木)わが町の老人会「刈谷シニアクラブ」の特別講座ということで、筑波山に伝わる「ガマの油売り口上」が演じられた。演じたのは保存会の有志。スラリとした長身で誠に格好いい!
「さあ~さあ~お立合い!ご用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで。遠目山越えは笠の内、聞かざる時は物の出方・善悪・黒白がトーンと分からない」。
江戸末期に始まったこのパフォーマンスは、筑波山の名物となり、つくば市の無形文化財に指定されている。そもそも「ガマの油」が使われ始めたのは戦国時代、筑波山中禅寺の住職が大阪冬の陣、夏の陣に従軍。負傷した兵士に塗ったところ、血がすぐに止まり、痛みが治ったとか。地元に帰った兵士がその話を伝え、全国に広まった。それから百年以上の後、筑波山の農民の子、永井兵助がガマの油を江戸で売ろうとガマ石に座り一週間考えて口上を思いつき江戸で販売すると大成功。大金持ちになったという。
明治、大正、昭和になって、筑波山の商店街や旅館の町おこしとして「ガマの油売り」は大々的にPRされるようになった。筑波山ガマ口上保存会が受け継ぐのは「正調筑波山がま油売り口上」といわれるもの。1769年初代永井兵助から代々「名人」が任命され、現在は20代目だという。保存会ができたのは19年前、全国に120人の会員がいるという。
「一枚が二枚、二枚が四枚・・・」と紙を刀で切り、切った紙を紙吹雪にして飛ばす。最後に刀で腕を切ると、真っ赤な血がふきでる。傷口にガマの油を塗るとアーラ不思議。真っ赤な血は消え、傷口も消えている。
「さあ~て、お立合い、買った、買った。本来であれば一貝、二百文でありますが、男は度胸で女は愛嬌、坊さんお経で、山じゃ、鶯ホウホケキョウ、筑波山の天辺から真逆様にドカンと飛び降りたと思って半額の百文だよ!」


2023年10月2日月曜日

外山先生を偲んで神楽坂で献杯

 7月11日、指揮者であり作曲家でもあった外山雄三先生が亡くなった。92才だった。
私は2019年、外山先生と大阪交響楽団によるライヴCD化事業に携わった。         
外山先生を偲んでライヴCD化に携わった関係者による座談会をやり、記録に残したいと思った。この企画を「ステレオ時代」の澤村編集長にお話したところ、心よく引き受けて下さった。
9月26日、関係者が江戸川橋にあるキングインターナショナルに集合した。元・大阪交響楽団楽団長・二宮さん、録音ディレクターの乙黒さん、CD化プロデューサーの大川さん、宮山さん、司会は板倉さん。錚々たるメンバーが勢ぞろいした。
外山先生は関東では人気が今一だったが、関西で実力を発揮。「何も足さない、何も引かない」ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーを演奏。まさに巨匠の風格だった。というのが参加者の一致した意見。二宮さんは5月27日、パシフィックフィルハーモニア東京を指揮した最後の演奏会、シューベルト「グレート」の模様を語った。外山先生は途中で体調が悪化し、指揮台から退席されたが、音楽は何事もなかったように最後まで奏でられたという。外山先生の意図が楽団員全員に浸透していたのである。鳴りやまぬ拍手に外山先生は車椅子に乗って登場したという。
座談会終了後、大川さんの案内で神楽坂へ。(写真・上)神楽坂には路地が多く、奥まったところにしゃれたレストランや日本料理店が軒を連ねる。著名なお蕎麦屋さんに入り、外山先生を偲んで献杯した。
この日の昼は東京に向かう途中、我孫子に下車。柏倉先輩にうなぎをご馳走になったのであった。(左下の写真は昼の神楽坂。ウィキペディアより)