2023年3月26日日曜日

日本企業の再生を願って書いた、敗者(TDK・OB)の著書




 最近、TDKには優秀な方々がいたということを再認識している。
このことを再確認するような本が出版された。
桂幹さんが書いた「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」である。桂さんは1961年大阪生まれ。86年TDK入社。98年TDKの米国子会社に出向。2002年副社長就任。記録メディア事業の撤退に直面した。
「はじめに」を読むと、巷にはソニーの盛田昭夫氏、京セラの稲盛和夫氏、楽天の三木谷浩史氏など、成功者、いわゆる勝者の本が溢れているが、敗者の本は目にしない。しかし、アメリカの企業は敗者からも貪欲に学ぼうとする。マイクロ・ソフトのビル・ゲイツ氏は「成功を祝うのはいいが、もっと大切なのは失敗から学ぶことだ」とある。
桂さんが担当した記録メディア事業は電子部品事業と並ぶTDKの2本柱だった。カセットテープによって、全社の稼ぎ頭だった時代もある。しかし、桂さんが担当した頃、カセットはCD-Rに変わり、商品の差別化ができないこともあって海外メーカーに負け、2007年TDKは同事業から撤退する。
「結婚」より「離婚」が難しいといわれる通り、事業も撤退は困難を極める。人員整理だけではない、お客様、取引先にも迷惑をかける。この時期、桂さんは夜中に入ってくる本社からのメールが心配で朝4時には目が醒め、着信通知でスマホがブルッと震えただけで心臓がピクッと跳る日が続いたという。
 桂さんはデジタル化に乗り遅れたTDK記録メディア事業について自分にも責任があると反省する。これは日本の電機産業に共通したものだと語る。最終章で「ダイバーシティと経営陣の質の向上」という提言を行っている。
 ダイバーシティ(多様性)という観点からみると、桂さんの時代も日本企業の中でTDKは進んでいる方だったと思う。現在は11万名の従業員の中の9割が外国人という状況であり、子会社では女性の副社長も登場している。ただ、海外メーカーと比較すると、遅々として進んでいないというのが日本企業の実態である。


2023年3月21日火曜日

105才の母ついに逝く。畠山一族新たなスタート

大正、昭和、平成、令和と生きてきた母(チヨミ)が3月13日夜ついに逝った。                                          
平成29年100才を迎え、安倍晋三総理より感謝状をいただく。この頃から施設で生活するようになった。本人はこれ以上長生きすると子供達に迷惑をかけるので、早く逝きたいと念じていた。ただ、施設ではお世話する方々に迷惑をかけたくないということで、トイレは死の直前まで自力だった。この気迫が皮肉にも寿命を延ばすことになったと思う。兄から数度、「危ない」という連絡を貰ったが、その都度、不死鳥のように蘇った。医師も前例がないというほどの生命力だった。痛み止めのモルヒネを服用。それから3日目に息をひきとった。
15日火葬、19日通夜、20日葬儀だった。実家のある郷里、秋田に帰った。
兄は畠山家32代目である。村の一族が集まった。一族の家業は農業である。離農する農家が増えている昨今だが、畠山一族は一人の離農者もない。私が小・中学の頃、生まれた分家の子供達(長男)が60~70才になり、黙々と農業を継いでいる。

母の葬儀はそれらの方々と旧交を温める絶好の機会となった。村のお寺さんは、村の交流のシンボルであるということも知った。
20日の葬儀の”お斎(おとき)”はそのクライマックスだった。当日は秋田には珍しい晴天。白銀の鳥海山が輝いていた。コロナも沈静化している。住職を囲んで畠山一族が酒を酌み交わした。葬儀とは思えない愉悦の一時だった。住職は”お斎”の大切さを語った。会場は、これからも一族が、より一層協力し合って、前向きにやっていこうという雰囲気に満ち溢れた。

母も、23年前亡くなった父もこの光景を喜んでいるに違いない。


2023年3月17日金曜日

電話、白熱電球等に連なる大発明「フェライト」


14日、私が幹事をつとめるTDKパソコンクラブで岡本明さんのセミナーが開催された。テーマは「フェライト発明・TDK設立とその後の発展」。
 岡本明さんにお目にかかったのは、昨年の4月26日である。その時のことは「白金台のセレブと工学博士」というタイトルでブログに書いた。そのご縁で今回のセミナーの開催となった。
14日のセミナーは参加者に強烈な印象を与えた。
TDKは磁性材料フェライトを工業化するために1935年設立された。フェライトは東京工業大学の加藤与五郎博士と武井武博士が発明した。フェライトは1939年、海軍の技術研究所で無線機の磁心として評価され、1943年には蒲田工場、平沢工場(秋田)が海軍の指定工場となった。無線機へのフェライトの応用は軍事機密であり、TDKのトップは戦争加担を隠すため、固く口を閉ざした。
フェライトはオランダのフィリップスも開発していた。東京工業大学は1930特許出願し、1932年登録されていたが、1940年フィリップスも特許出願。1954年TDKは無効審判の訴訟を起こす。1956年、不利とみたフィリップスは和解(クロスライセンス)を申し入れ、TDKは無効審判を取り下げる。
1992年、武井武死去。武井先生の一番弟子だった岡本さんは先生の貸金庫を開けて恩師の無念を知る。貸金庫の中にフェライトの発明はTDKだという証拠資料が入っていたのである。武井はフィリップスと妥協するのではなく、勝って欲しかったのである。
岡本さんは武井先生の無念を晴らすために、フェライトを2006年、IEEE(電子・電気で世界最大の団体)のマイルストーンに登録申請し、2009年、登録承認を勝ちとる。
IEEEのマイルストーンにはベルの電話の発明、エジソンの白熱電球の発明、マルコー二の無線電信の発明が登録されている。フェライトの発明はこれらに連なる大発明であり、TDK(加藤、武井両博士)の発明であることが認定されたのである。岡本さんは見事に恩師の無念を晴らす。
 武井先生は生前、TDKの社訓は「夢・勇気・信頼」だが”執念”を付け加えたいと語っていたという、岡本さんは”執念”でIEEEのマイルストーンを勝ち取ったのである。
(写真はウィーン楽友協会・ブラームスザールでコントラバスを弾く岡本さん)



2023年3月11日土曜日

出たぞ!バーディ!エキサイティングゴルフ復活。


 5日、Yさんから電話。「ゴルフ10日どうですか?」5日~の週は過密スケジュールで10日はGG(グランドゴルフ)アパートの掃除、通院の予定が入っていたが、ゴルフ優先で、他は全て変更。
10日、Yさんの車で霞台ゴルフ場へ。送迎付きのゴルフができるなんて、良い友達に恵まれたものである。この日はスタートのイン10番ミドルホールから調子がいい。圧巻は11番ショートホール。池越え打ち下ろし。向かい風だったので、いつもは7番ウッドで打つところ4番ウッドに持ち替えて打つ。ボールは旗に向かって一直線。ワンオン。10メートル先のホールを目掛けて打つと見事カップイン。なんとバーディである。
この日はパットだけではなく、ドラーバーショットも絶好調。いつもは130ヤードしか飛ばないショットが160ヤードほど飛んだ。クラブヘッドの角度を変えた(かぶせ気味にする)のが功を奏した。アウトのショートホールでは2ホールともパープレーだった。
ここ数年120台の大叩きをやっていたのが、この日は108。エキサイティングゴルフ復活である。夕刻、兄から106才の母の容態が思わしくないという電話入る。
それにしても今週は過密スケジュールである。
9日のスケジュールを見ると、9時30分~老人クラブ誕生会。12時~秋葉原・赤津加で会社の旧友と食事会、目のご不自由なH先輩も参加。16時30分からシルバーセンター(アパートの掃除)。18時~WBC中国戦い、TV観戦。
今日は11時から地元の友人の奥様の葬儀。憔悴した友人の姿に胸迫る。午後、パソコンクラブの友人から紹介された「太田勝己作陶展」(ギャラリー牛久)へ。奥様の生け花も出展。小生、陶器、生け花とも素人。が、心洗われる。その足で眼鏡店へ。新調した眼鏡をかけて来週、免許書換の予定。


2023年3月7日火曜日

80才、エアチェック人生再燃(上)

私の人生は「エアチェック人生」だった。                                                                  
”エアチェック”といっても現在は死語である。”空気をチェックする”つまり自動車のタイヤの空気圧をチェックする事ですか。ということになりかねない。”エアチェック”とはウイキペディアによると「個人が私的にラジオ・テレビの放送番組を録画・録音して楽しむこと」とある。                                                                      
クラシック音楽ファンである私はFM放送から流れる音楽を録音するのが趣味である。エアチェックの一番の目的はナマ演奏のライブ感を楽しめるということである。レコードはお客さんを入れないスタジオ録音が多い。しかし、FM放送ではナマ演奏も放送してくれる。演奏がはじまる前の会場の張りつめた雰囲気、一発勝負の演奏、演奏が終わった後の熱狂的な拍手。そのライヴ感がたまらない。

FMエアチェックの機材というとFMチューナとカセットが一体になったラジカセが一般的だが、エアチェックマニアは録音機材に途方もないお金をかける。私もFM放送を最高の状態で録音するために、53年前、ルボックス(写真)というヨーロッパ製のオープンリールデッキを2台購入した。購入価格は併せて60万円超だった。ヨーロッパのオーケストラが奏でる深い味わいの音を求めたのである。
録音テープはオープンテープからカセットテープとの共存(写真・上)の時代に入る。私は録音テープの商品企画をしていたが、個人的にカセットテープの特性に満足していなかった。従って、私の個人的な録音機材はオープンテープからデジタルの録音システムであるDATに変わり、現在はCDレコーダである。
デジタルになって、FM音声を忠実に録音できるようになったが、昔、聴いたルボックスの音は再生できない。アナログの音にはデジタルの忠実性にプラスされた固有の音が加味される。CDが普及してもLPレコードファン、カセットテープファンが存在する理由である。