2022年5月27日金曜日

白金台のセレブと工学博士(終)「頼まれたら断るな」


恩師、武井 武は「頼まれたら断るな」を信条としていた。岡本さんは武井先生への講演依頼の仲介を何度かしたが断られたことは一度もない。武井先生は講演の際、その都度、原稿を
作っていた。岡本さんも「頼まれたら断るな」を信条としている。           

1)定年後、4~5社から技術顧問、執行役等の依頼があった。拘束されるのは嫌なので日経BP社の嘱託になった。TDKの名刺だと聞けないような情報が、日経BP社の名刺だと、面白いように情報が集まった。
2)慶応連合三田会の工学部の我々の代の責任者を引き受けた。連合三田会の我々の代の代表は某財務大臣の弟さんが務めている。連合三田会の役員は幼稚舎から慶応という方が多い。部外者といってもよい自分が引き受けて良いのかという思いもあったが信条に従った。卒業50周年の際には6千万の寄付金を集めた。慶応は他大学と比較して寄付金の依頼が多いようだ。慶応からの手紙は捨ててしまう奥さんもいるという噂もある。
3)住んでいるマンションの防災委員会を設立し、お世話をしている。今年の3月、地震の影響で東京都内で停電発生。電源確保の重要性について私見を述べる。港区は住民の9割が高層住宅住まいである。防災についての講演依頼がくるようになった。
4)学生時代から弦楽器の低音部であるコントラバスを弾いている。音楽の本場ウィーンでも演奏した。慶応OBのオヤジバンド、カレードスコープ(万華鏡)ブラザーズのメンバーである。一昨日(15日)日本ヨハン・シュトラウス協会管弦楽団のメンバーとして「美しく青きドナウ」などの名曲を演奏した。

「頼まれごと」の合間を縫って世界遺産の旅継続中。すでに256ヶ所の見学が終ったという。(写真はコントラバスが鎮座する居間)
  
  

  




2022年5月26日木曜日

白金台のセレブと工学博士(下)金、銀、銅の音較べ


 岡本さん、時計を見る「あ、こんな時間ですね。食事の準備をします」話に熱が入り、1時近くになっていた。岡本さんは台所で食事を作りはじめた。「料理はストレスの解消にもなり好きだ」という。

料理の手を休めることなく、岡本さんはオーディオメーカーについて思い出を語る。
CDはオランダのフリップスとソニーが開発した商品である。
DAコンバータ(デジタル信号をアナログ信号に変換)を通った後はフィルタとキャパシタ(コンデンサ)がついているだけである。われわれはCD用の厚膜ハイブリットICを作った。フィルタで音が変わるというので、導体に金、銀、銅の三種類を使ってみた。音にうるさいA社に聴いてもらうと、銅が良いという。「中音がどうの、高音がどうの」と音の違いを指摘する。「気のせいだろう」と思い、TDKにいるレコードメーカー出身の技術者に聴いてもらったらやはり同じことをいう。人間の耳は繊細だなと感じると共に、自称オーディオマニアアの看板を降ろすことにした。
 オーディオメーカーにはA社のように音にうるさいメーカーがある一方、音については一言もいわず、信頼性を重視するメーカーもある。また、部品の仕様を決めるにも係長が決めるメーカーもいれば、ハンコの数が10個もならぶメーカーもある。
 こんなこともあった。「米国のクリスマス商戦用だ!部品ができしだい宅急便で送ってくれ!」ところが「信頼性テストで40度に温度を上げたら音がでない!」と6万個返品。解析したらチップコンデンサがパラパラと落ちてきた。パラジウムが水素を吸蔵して機械的に落ちてしまったのである。ホットプレートを買ってきて返品された部品を120度に加熱し吸蔵を安定させてから出荷した。アメリカへかけつける覚悟をしていたがセーフだった」
 
 岡本さんはTDK R&Ⅾ CORPORATIONの社長も歴任した。TDK社長との会話が面白い。
「岡本さん、技術の中長期計画出してくれ」「その前に経営方針を出して欲しい」「なるほど、技術の方はそういう方針か。ところでこれでなんぼ儲かるんだ」「競合メーカーの動向もあるし、わかりません」「それじゃダメ。出し直し」

 岡本さんの手料理はステーキチャーハンと特製のサラダだった。独特のスパイスが効いたチャーハンは異国の味がした。食後にいただいたコーヒーはチャーハンとは対象的に”純”な味がした。

2022年5月25日水曜日

白金台のセレブと工学博士(中)TDKの4大イノベーション

 岡本さんは恩師、武井 武が発明したフェライトの話に続いて、工学博士である岡本さんの視点からみたTDKの4大イノベーション(技術革新)について語った。
 

1番目はなんといっても日本人が発明したフェライトの世界初の事業化である。フェライトは磁界(磁石)に触れると磁石になり、磁界を取り去ると元に戻り磁界がなくなる。また磁力が強く、電気抵抗も大きい(電気を通しにくい)。テレビ、ビデオ、ゲーム機、パソコン、自動車等、あらゆる電気機器関連商品に使用されている。
 

2番目はチップインダクタの発明である。インダクタは流れる電流によって形成される磁場にエネルギーを蓄えることができる受動素子でコイルとも呼ばれている。TDKはこの素子を数ミリ角のチップにすることに成功。続いてバリスタ(電子・電気回路の半導体素子を過電圧から保護する)等もチップ化する。手の平サイズでパソコンの機能を搭載したスマホの登場には半導体とともに電子部品のチップ化が大きく貢献している。
 

3番目はカセットテープの高記録密度化である。TDKは日本で初めてカセットテープを生産。世界初の音楽用カセットSD、独自開発のアビリン磁性材を使用したハイポジション用SA,さらにはカセットテープの最高峰といわれるメタルポジションMA-Rを開発。会話の録音用と言われたカセットを記録密度を上げることで、オープンリールのクオリティまで高めた。(写真はMA-R)
 

4番目はハードディスク用のヘッドである。留守録用のビデオは勿論、パソコン、スマホにもハードディスクは内臓されている。50年間で、ハードディスクの記録容量は1千万倍になった。ハードディスク用のヘッドは当初IBMがシナリオを作って開発を進めてきた。その後大手パソコンメーカーも内作を進めたが脱落。TDKの独走になった。ハイエンドのヘッドはTDKでないと作れない。


2022年5月22日日曜日

白金台のセレブと工学博士(上)フェライトをIEEEのマイルストーンに!

 

訪問の挨拶もそこそこに岡本さんはTDKとフェライトについて熱っぽく語りはじめた。

 1935年、起業家である斎藤憲三は東京工業大学の加藤与五郎教授を訪れる。斎藤は農業県・秋田の出身。これからは「農工一体でなければ農業県は豊になれない」が持論。斎藤は加藤に何かビジネスの種になるものはないかと尋ねる。加藤は武井 武と共同開開発したフェライトを紹介する。「フェライトには”森羅万象”が入っており、無限の可能性がある」と加藤は語る。同年、斎藤はフェライトの事業化を目指して東京電気化学工業(TDK)を設立する。事業として確たるもはなかった。斎藤の熱意と蛮勇による創業だった。そのTDK、現在年間売上2兆円の電子部品メーカーに大躍進。
 フェライト(磁性材料)を実際に開発したのは武井 武教授。加藤は武井の上司だった。岡本さんは武井の教え子というか一番弟子である。武井の指導で博士号を取得。TDKに入社したのも武井の推薦だった。
 フェライトの特許は加藤、武井が1930年出願。オランダのフィリップスもTDKのサンプル等を参考に開発し1941年に特許出願する。これに対し、1954年TDK無効審判請求。不利とみたフィリップス1956年和解申し入れ。TDK無効審判撤回し和解。(TDKに有利な条項も入っていた)
 和解の話を聞き、武井は憤慨する。武井は自身の功績が否定されたと感じた。1992年武井死去。武井の貸金庫を開けると、フィリップスとの特許係争の書類が入っていた。
 岡本さんは武井の無念を晴らすため証拠集めに奔走する。TDKはフェライトを1937年から作っていたこと、第2次大戦中には、軍の無線機に大量に使用されていたこと。等。2008年、東京工業大学伊賀健一学長、TDK上釜宏社長の了解を得て、IEEEマイルストーンに立候補。2009年、フェライトを発明した東京工業大学と事業化したTDKはIEEEマイルストーンを授与される。岡本さんは恩師・武井の無念を晴らしたのである。
 IEEEは電気・電子の分野で世界最大の団体。会員数37万名。
*写真は2000年、武井 武生誕100年を記念して出版された本。本の出版についても岡本さんは数々のエピソードを語った。
 


2022年5月21日土曜日

白金台のセレブと工学博士(序)

 

4月26日、西宮聡彦さんからメールをいただいた。
「80歳おめでとうございます。小生の父を見ていると80歳を超えてから本の編集作業、万葉集に関する著作、など元気になったような気がします。92歳ころまでゴルフを定期的にしておりました。現在102歳。歩行器使用ですが、元気で歩いております」
心温まるメールである。本題はそれからだった。
「岡本明さんご存知でしょうか。岡本さんは現在75歳で小生の先輩。岡本さんは慶応理工学部大学院出身で工学博士。ステレオ時代のTDK特集を紹介したところ、畠山さんとお話したいとのことでした。昔のTDKのことを知りたいなら、テープは畠山さん、電子部品(フェライト)は岡本さんと思っております。アレンジします」
 80歳になり、残されたことは「思い出を語り伝える」ことだと思っている小生にとって願ってもない申し出だった。
 岡本さんのお住まいは白金台だという。一般的に高級住宅地というと「田園調布」というイメージであるが、白金台は都心の一等地。別格である。こんな機会でもないと白金台に行く機会はない。

 5月17日、東京へ。白金台に向かう前に東銀座の「ジュリエ」に寄る。この店でNさんと定期的に会っていたのだが、Nさんは3月に亡くなった。マスターにそのことを伝えると「最近お見えならなかったので……」と絶句。

 約束の11:45分、岡本さんお住まいのマンションに到着。その建物の風格に驚く。玄関の中に足を踏み入れると、都心とは思えない静寂観が漂う。マンションというより邸宅という感じである。


2022年5月12日木曜日

凄い!日本民謡全国大会3年連続優勝「喜楽座」


 私の住む牛久市刈谷町ベテランズ(老人会)の活動については度々ご紹介してきたが、今日のイベント「喜楽座」の公演は凄かった!
「喜楽座」とは牛久市の隣町阿見町に本拠地を置く若手の日本伝統芸能集団。公益財団法人日本民謡協会公認の津軽三味線、井坂流家元が率いる芸能集団である。津軽三味線に和太鼓・尺八・お琴・唄・舞踊に洋楽器も加えたパワフルなステージを展開する。

津軽三味線では本場・青森県の全国大会で優勝。東京で毎年開催される日本民謡協会主催の全国大会では3年連続優勝し、殿堂入りを果たした。
こんな凄い芸能集団の公演を町の集会場で仲間と無料で見られるなんて、なんと贅沢なのだろう。会場に集まった約60人の会員は大熱狂。これで寿命が5年くらい伸びたのではないかと思うほどだった。
公演の実現に奔走していただいた清水会長、飯村副会長、斉藤副会長、および、出演を決断して下さった家元の井坂さん、および素晴らしい演奏、唄、踊りを披露して下さった、座員の方々には感謝の言葉が見つからないほどである。
 私も昨年1年間、ベテランズの副会長をやらせていただいたが、本当に刈谷のベテランズクラブは素晴らしい。コロナに立ち向かっている。


2022年5月11日水曜日

車の修理代、15万円代が5万円代に(ネット情報活用)

 

このところ、車に乗るのは週一程度である。
エンジンをかけると、ときどきノッキングを起す。
6月はゴルフに行ったり、お客様を送迎したりと車を使うお出かけが多い。お客様を載せてノッキングでは具合が悪いということで、車検をお願いしているガソリンスタンドに行った。
「お客さん、10万キロ以上走っていますので、ラジエーターとO2センサーを交換した方がいいですね」ということで、でてきた見積もりが¥156,641。「それでは部品が入りましたらご連絡します」ということでした。
帰宅して、ネットで部品の価格をチェック。驚きましたね。ラジエーターの交換部品(社外品)¥66,000と計上されているが、ネットで見ると、純正品で¥10,000とある。社外部品だと¥5,000である。違いの大きさに仰天。ネット情報を伝え見積りの再提出を求める。
ラジエーターの価格¥48,500と下がっただけ。備考欄にネットで購入した部品を持参していただけば工事費だけでやります。とある。部品の管理まで任せて下さい。というのがプロの仕事ではないか。バカにするなということでキャンセル。
 このガソリンスタンド、テレビ宣伝もやっている一流企業。こういうところは企業としての標準価格があり、私のようにネット情報を提出されると対応ができない。また担当者に対してノルマが課せられているようで、客を見て高価な見積もりを提示する。
 違う業者に事情を説明したところ「お客さん、ネットの部品には中国製の部品もあるので注意して下さい」と教えてくれた。また、ノッキングを防ぐためには週一度といわず、時々エンジンを動かして下さい。とのアドバイスをもらった。この業者の見積りはラジエーターが¥21,200。工事代等含めて¥55,370だった。
ネットでチェックして本当に良かった。

2022年5月6日金曜日

本づくりの5月連休「主人公の父はマタギの里で生まれました」

 

4月29日から5月5日の7連休、本のづくりで充実した日々でしたね。
本の中身は「事業家が辿った75年の人生」でした。
主人公の父は秋田のマタギの里で生まれました。
16才で秋田を出発。仕事を求めて徒歩で島根に向かいます。1,200キロ。1ヶ月、日本海岸を風雨に耐えて歩き続けました。松本清張の「砂の器」を連想しましたね。
鉄道は通っておりましたけど、お金がなかったんです。
主人公の少年時代。自然児、不良っぽかったですね。少年院送りの友達もいました。
逆境の中で育ったたことをバネに3代でないとできないような事業を1代でやってしまいました。
しかし、その過程では業界のしきたりに従わなかったため、裁判沙汰が起こりました。
裁判になると、どうしても、司法の判断は体制側に傾きますね。
今回の本を書いていてそのことを強く感じました。
「法の下の平等」といいますが、そうじゃないんじゃないかと感じましたね。
本づくりをやっておりますと、やっと全編できたと思っていても、目次を作ってみると、あそこは書き直さなくては、タイトル、サブタイトルができると、あそこも直したいとキリがありません。
 特に今回は裁判沙汰があるので、こんな公文書、読者が読んでくれるかな、とか、わかるかなとか、いろいろあるんです。自分でも理解しないで書いていたり・・・。
 それでも、7連休の御陰で、「第1稿できました」と依頼主に送信することができました。(写真は本づくりで疲れた時の散歩道。5月3日以降は天気も晴れ、釣り人が沢山でておりました)