2020年5月19日火曜日

瀬島、土光、戦争体験世代の巨人達


コロナ自粛の日々を利用して瀬島龍三回想録「幾山河」を読んだ。同時期、テレビで渡部恒雄の独占告白を見た。(5月6日ブログ参照)二人に共通していること、それは二人とも戦争体験世代であるということである。
 瀬島龍三(写真)は終戦後、伊藤忠商事に入社するが、上司からこういわれる。「君は戦前大本営に勤務し、百万の大軍を動かした。伊藤忠数千人の組織など大したことはないはずだ」瀬島も「会社も軍隊も所詮は人間の集団であり、組織である。軍隊は国家を至上目的とする組織で、会社は各人の自由意思で集まった集団である。軍も企業も経営者(指揮官)のリーダーシップが重要なだけでなく、目的達成のための先見性、情報の判断、計画性、戦力投入の方策についてはよく似ている」と語る。
 ただ違うところは失敗すると、会社は職を失うだけだが、戦争は命がそして国が亡びる。戦争体験者は命がけで戦略を練り、実行するだけにその厳しさが違うと感じた。
 昭和55年、大平内閣が急逝し、鈴木善幸内閣が成立。中曽根康弘が行管庁長官に就任した。鈴木首相は「行政改革を内閣の最重要課題とし、政治生命をかける」と表明した。臨時行政調査会の会長に就任したのは東芝元会長の土光敏夫、その参謀役(委員)が瀬島龍三だった。瀬島は土光さんをこう語っている。「気骨ある明治の巨木。心から日本を愛し、国の行く末を案じていた」土光、瀬島コンビにより、国鉄、電電、専売公社の民営化が実現した。行革は「総論賛成、各論反対」で幕を閉じることが多い。戦争を体験した土光、瀬島のコンビによる周到な戦略により行政改革が実現したのである。
 瀬島は中曽根政権時代、韓国との友好にも貢献している。この点、日韓国交正常化に尽力した渡部恒雄とも相通じる。戦争世代の民間愛国者により戦後の日本は繁栄したのである。瀬島龍三、2007年歿、95才。同年、安倍総理に「美しい国づくり」のテーマとして、地球温暖化対策、クリーンエネルギーの増加、豊かな良い水を護ることを提案。愛国への遺言となった。勲一等瑞宝章受章。

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