令和2年の「人間浴」の最初の日記は「日本記録メディア工業会OB会」になった。
今月23日(木)私はOB会の幹事を引き受けることにした。切っ掛けは私が工業会にお世話になっていた頃(1986~1998)常務理事だった木村恭平さんが病気を克服され、元気に活躍されていることに共感したからである。松下、ソニー、フジフィルム、マクセル、ビクター、コロムビア等、当時お世話になった委員の皆さん33名に案内した。結果参加者11名。打率3割。皆さん70代、80代。生き方考え方いろいろ・・・。
工業会は1953年(昭和28)、磁気録音テープ工業会という名称でスタートした。初代理事長は盛田昭夫さん(東京通信工業<後のソニー>専務・写真)だった。当時はカセットテープが誕生前でオープンリールテープ(写真・下)だった。
私が委員を務めた頃は記録メディアの全盛時代だった。カセットテープのシェア争いが熾烈を極めた。ビデオではソニーのベータ―方式とビクターのVHS方式が競いあった。オーディオ・ビデオテープの売上が業界全体で4千億円を突破した。私が工業会を退任した頃からデジタル化がはじまり、売上が急減。2013年、工業会は解散する。
記録メディア産業は日本が世界を征服した業種の一つである。その陰にはお互い競い合いながらも、業界全体の発展につながるよう、規格・基準の統一、公正な商取引、普及啓発活動に尽力してきたという経緯がある。23日のOB会が楽しみである。
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