2019年12月31日火曜日

2019年、私のハイライト


2月 ギリシャ生まれの指揮者クルレンツィス初来日。血が逆流するような演奏で業界に新旋風(写真、公演の行われた錦糸町トリフォニーホールで) 3月 東京ベイ幕張で金婚式。喜寿でもある。6人の孫も参加 4月 1966年カラヤン・ベルリンフィル来日ライヴCD化事業、お手伝い 5月 90才、外山雄三指揮「第9」を大阪で聴く。自然体の「第9」 6月 痛風。「痛風はビールを飲みながらでも治る」という本購入 7月 4K対応テレビ購入。大型なのに安い。家電業界の苦境が偲ばれる 8月 「昭和40年男」という本、小生のインタヴュー記事再録「究極のカセットテープを作りだしたTDKの
技術力」。40年前の話である 10月 中学の同期会で秋田へ。102才の母がいる施設へ。「ウチの子供達は皆ハゲで・・・」と介護の方に母語る(写真・左) 12月 高校同窓ゴルフ。159ヤードパー3。打球は2段グリーンを駆け上がりピンそばへ。奇跡のバーディ。来年もがんばろう/TDK六代目社長・澤部肇さん(東京出身)、日経「私の履歴書」登場。「生涯のふるさとと出会う」と秋田(創業者・斎藤憲三の出身地)を語る

鷹農は永遠!②同窓会会長あいさつ


第43回(平成30年度) 東京伊勢堂会懇親会に寄せて
秋田県立鷹巣農林高等学校 同窓会会長 石岡 保(昭和36年・林業科卒業)

わが母校鷹巣農林高校が統合され秋田北鷹高校が誕生してから、この4月で8年目に入りました。わが同窓会も8年前の統合時にこれからのあり方について検討し、当面10年くらいを目途に存続させ頑張っていこうということで今日に至っております。秋田北鷹高校も10年経過したら同校同窓会にも具体的な動きが出てくるだろうと考えたからであります。
 早いもので、その10年も2年後に迫りましたので、本年度の本部総会において「間もなく発足10年を迎える同校の学校行事や同窓会の具体的動向などを踏まえた上で今後の対応を検討する」ということで了解をいただきました。
同窓会の将来については当時もいろいろな意見がありました。最近では全国高校駅伝競技大会出場の寄付を依頼した際に「私どもは鷹巣農林高校同窓会であって秋田北鷹高校への寄付などについて協力できない」という一支部の意見もあったところであります。まだ時間もありますから各方面からの意向をお聞きしたいと考えておりますので、東京伊勢堂会の皆様からもよろしくお願いします。
 私こと、7月の本部総会において会長に選出され3期目に入りました。これからもご指導をよろしくお願い申し上げますとともに、東京伊勢堂会の旗のもと、伊勢堂健児の心意気を発揮されるよう祈念いたします。
<令和2年度「東京伊勢堂会」9月6日(日)銀座で開催します>

鷹農は永遠!①鷹農とは


鷹農は「人間浴」管理者の母校です。正式名称は秋田県立鷹巣農林高等学校。すでに母校は閉校になりました。しかし、母校に対する郷愁は去らず、母校の思い出を永遠に引き継いでいきたいという思いがあります。
 その一環として同窓生向けのホーム頁が考えられますが、閉校になった今日、その開設と運営には多くの課題があります。とりあえず、「人間浴」で母校に関する情報を発信してまいります。

「秋田県立鷹巣農林高等学校」 創立:1909年(明治42)秋田県の基幹産業である農林業の普及発展と指導者養成を目的に、北秋田郡七日市村に郡立農林高校として創設。912年(大正2)県立農林学校として認可され、伊勢堂の杜に囲まれた鷹巣町に新校舎が完成。名実ともに県立農林高校の歩みをはじめる。
 2009年(平成21)創立100年を迎える。しかし、翌2010年(平成22)少子化と生徒の進路希望の多様化に対応するため、北秋田地区4校(鷹農、鷹巣、合川、米内沢)統合の方針が示され閉校となる。した。
2011年(平成23)秋田県立北鷹(ほくよう)高校として再スタート
鷹農の卒業生は1万6,350名。同窓会は1928年(昭和3)設立。
 令和2年度の東京地区同窓会「東京伊勢堂会」は9月6日、銀座で開催される。

2019年12月28日土曜日

忘年会7回

12月を迎える時、スケジュールを見て身構えてしまった。忘年会が7回入ってる。体力持つかな?先立つお小遣いは・・・。
1日(日)12時~高校同窓・東京伊勢堂会忘年会。待ち合わせは上野駅「翼の像」。「翼の像」といわれてもピンとこない。上野駅自体が地盤沈下している昨今である。案の状、集合時間に遅れた同窓生が数人でて幹事大慌て。会場は駅前のカラオケ喫茶。郷土の民謡もでる。閉めの挨拶を指名される。(写真・上)
10日(火)12時~TDK・OB有志の忘年会。幹事は小生。銀座・三笠会館。サービス料、部屋代もとられが、たま落ち着いたところも良い。さすが銀座。(写真・中上)帰り眼が不自由という先輩の手をとってJRへ。17時~TDKパソコンクラブ忘年会。秋葉原ビヤホール。痛風の前科があるので酒量に配慮。
12日(木)11時~地元ベテランズ(老人)クラブ忘年
会。場所は徒歩5分の集会所。地元で飲む昼酒は回りが早い。2次会で一番頼りにしているAさん酔いつぶれる。
(写真・中下)
14日(土)17時~龍ケ崎ゲヴァントハウス忘年会。講演会の講師をつとめられたオーディオ評論の先生も交えて、音楽・オーディオ談義に華が咲く(写真・下)
16日(月)12時~グランドゴルフ忘年会。平均年齢80才のジイさん、バアさん。カラオケで大いに盛り上がる。出る幕がなく途中退散。
20日(金)18時~兄弟会忘年会。つくばホテルオークラ「山水亭」。
*毎年開催されるオーディオ業界の忘年会の案内がなかった。業界不況?それとも名簿から外されたのかな?

2019年12月18日水曜日

奇跡のバーディ


17日は高校同窓ゴルフコンペだった。10月開催の予定だったが豪雨で流れ、仕切り直しの開催だった。また雨で流れると悪いので秋田の同窓生には声をかけなかった。
幹事は川越市在住の簾内君。彼が選んだのは意外にも小生の隣町にある「ザ・ゴルフクラブ竜ケ崎」だった。わが家から車で30分。クラブハウスに着いて驚いた。この近辺には江戸崎カントリー、龍ケ崎カントリーという名門があるが、大木に囲まれたクラブハウスの威容はそれらを凌ぐ。(写真)名匠・加藤俊輔氏の設計。
 天気予報は生憎の雨だったが、小雨模様であり、ホッとする。クラブハウスも豪華ならコースも立派。多分接待用に作ったのであろう。お大臣気分でプレーに臨む。
 簾内君、成田君、斎藤君のドライバーは190ヤードくらい飛ぶが小生は150ヤードしか飛ばない。スタート前、簾内君からドライバーを頂戴した。このドライバー、軽くて非力な小生にピッタリ。ドライバーの調子が良いと2打、3打も調子に乗る。この日100ヤード以内になると7番ウッドで転がした。これがピタリとピンに寄る。飛距離は出るがアプローチで苦労している3人と大差ないスコアがでる。
12番池越えショートホール、パー3。159ヤード(写真)で奇跡が起こる。ドライバーで打ったボールは池を超え、グリーン手前に落ち、2段グリーンを駆け上り、ピンそば2メートルへ。無我の境地でパットを打つ。やった!バーディである。バーディなんて何年ぶり、いや数十年ぶりである。トータルスコアはイン54、アウト50で104。定年後は120も叩いている小生。夢のようである。創意工夫しだいで100が切れるかもしれない。来年の課題である。

2019年12月15日日曜日

中古オーディオコンポ買替体験

今年に入ってCDプレーヤーが故障した。春頃だったかなあ。
予想外、なんとか毎月のお小遣いの範囲で・・・。というわけでアマゾンにアクセス。まさかと思ったが、アマゾンにはオーディオコンポもあった。パイオニア製のプレーヤーを¥15,000でゲット。使用感は快適である。
2~3ヶ月前からこんどはプリメインアンプ(PMA-2000)の調子が悪い。チューナ部の再生音が出なくなった。しょうがないので、ラインアウトを使用して凌いでいた。ところが、今月に入ってCD、フォノ、ラインすべての出力がダメになった。万事休止。アマゾンで中古品を捜す。デノンの普及品(PMA-390)が目に留まった。今使用中のアンプもデノンである。早速購入した。ところが、これがとんでもない代物。左チャンネルの再生音が極端に低い。私からいわせたら不良品である。アマゾンに対する信頼も一挙に崩れた。安物買いのなんとやら・・・。オーディオメーカーOBの知人に頼んで修理してもらおうかと思った。が、待てよ、まずはアマゾンに現状を訴えよう。ということで「返品したい」と申し入れた。驚いたことに即座にメールで返品扱いの要領がメールで送信されてきた。返品送料もアマゾンが持ってくれるという。さすがアマゾン!そこまでやるか・・・。
 アマゾンの対応に満足した私は再び検索。ヤマハのプリメインアンプ(A-S301)¥21,500。2015年製を購入。商品を見て驚いたピッカピカ、新品同様である。(写真上・リモコン、取説付)
今回の件で新旧のアンプを見ることになったのだが、驚いたのは重量。デノンの2000は重量が24キロと持つのがやっとだが、デノンとヤマハの普及品は7キロ~9キロ。ヤマハのアンプの原産地はマレーシアとある。(写真下・上が390、下が2000。大きさの違いは歴然)
 肝心の音であるが、デノンの2000と比較するとヤマハの301は重低音が不足。ただし、音の透明度は抜群である。新しいアンプで聴きなれたCDを聴き直すのが楽しみである。
 デノンの2000は地元のHARD-OFFに引き取って貰った。再生系の基板が破損しているのではないかという見立てだった。引取価格¥6000.予想以上。2000は名器だったようである。

2019年12月5日木曜日

澤部肇さん、日経「私の履歴書」登場


日本経済新聞最終面に掲載されている「私の履歴書」に登場するのは一流の政治家、文化人、経営者である。つまり、経営者にとっての″夢″である。
 TDK六代目社長、澤部肇さんが12月1日から登場している。1日、東京へ向かう電車の中で記事を読みスッカリ魅了されてしまった。澤部さんの笑顔がいい。無垢の少年のようである。
 
アルバムを見ると、澤部さんと一緒の写真がある。左が澤部さん、真ん中が小泉カリフォルニア工場長、右が私である。1984年とある。当時、私はカセットテープの商品企画を担当しており、新製品のプレゼンテーションのために海外出張した。
 この後、澤部さんはカセットテープなど記録メディア事業部の責任者になる。私の仕事ぶりをみて、記録メディア事業をリサーチするとともに、私の評価もしていたに違いない。その後、私は記録メディアの広報、工業会業務等を担当。好きだった音楽・オーディオ部門で十分に能力を発揮することができた。その時培った経験が定年後の今でも役立っている。
 澤部さんは1942年生まれ。77才。私と同じ年である。TDK社長の後、会長、相談役を歴任。その傍ら旭硝子、帝人、野村証券、荏原製作所等の社外役員を歴任。母校、早稲田大学評議委員会・会長、ルクセンブルグ大公国名誉総領事である。幅広いキャリアの中からどんな話が飛び出すか・・・。今後の「私の履歴書」が楽しみである。
 私の澤部観、それは一口でいうと「澤部砲!」である。早口で矢継ぎ早に鋭い舌鋒を浴びせる。しかし、全く私心がない。爽やかである。少年のような無垢な笑顔がそれを証明している。笑顔の写真の下段に「最近の筆者(秋田県の鳥海山で)」とある。
 TDKの創業者・斎藤憲三氏は鳥海山の麓、秋田県にかほ市出身である。