今日(28日)は定例(毎週木曜日)のベテランズクラブだった。
〇いつも元気なWさん(昭和16生)が、なんとなく元気がない。Wさんは放射線治療を受けているのだが、その副作用だという。近くにS嬢(昭和19生)がいたので、「Wさんを励ましてやって」というと「アイラヴユーWさん」ときた。さすがS嬢である。
〇私の向かいの席はいつもKさん(昭和2生)である。小生が今年金婚式だと知ると「私たちは68年目です」とのこと。プラチナ婚(70年目)も直ぐである。Kさん、92才だというのに背筋が伸び、頭髪もふさふさ。器用にスマホを操作してご家族の写真を見せて下さった。お嬢様、お孫さん、曾孫さんともみな美人である。
〇酒井会長(昭和12生)より、退会者の紹介があった。鈴木絹子さんだった。「主人が施設に入り、屋敷の手入れも大変です。私も施設に入ります。お世話になりました」挨拶の後半で声が詰まった。「避けて通れない共通のできごとです。厳粛にうけとめます。どうぞお元気で・・・」酒井会長の言葉に会場が静まる。鈴木さんのご主人、敏正さんは昭和5年、新潟まれ。今年の5月米寿を迎え、11月退会された。鈴木さんは自分史「いしぶみの会」の会長を務められ、私も一員としてお世話になった。
〇10時30分から「小学生との交通安全教室」。団地内で今年小学1年生になるお子さんとお母さん、シニアが一緒になって交通安全を学ぶ。講師は市交通防災課のお姉さんたち。「横断歩道を渡っていると、青信号が点滅しはじめました。さあ、どうしましょう」「ハイ、もどる!」「ハイ、急いでわたる!」。子供達が元気に答える。正解は「近い歩道の方に戻るか、進む」なのだそうだ。
講演が終わると、横断歩道を渡る実習。子供達とシニアが手を繋いで仮設の横断歩道を渡る。(写真・子供さんの手をひく池田さん)私も6才のお子さんと手をつないで歩道を歩いた。年とともに”子供は宝”という思いが強くなる。交通事故と健康に気をつけて、成長して欲しい。
2019年3月28日木曜日
2019年3月21日木曜日
3年続いた”喜寿の祝い”
ところで、最初喜寿の会があったのは平成29年、中学(秋田)の同級会である。同級生のほとんどが昭和16年生まれであり、秋田では数え年で行うというので、平成29年になったわけである。
高校時代の同級生の喜寿の祝いは無かった。が、小生が幹事で平成30年、有志によるゴルフコンペを宍戸ヒルズカントリー(茨城)で行った。
喜寿本番の今年、身にあまるようなお祝いが続いた。牛久市からは座布団をいただいた。勤務していた会社の社友会から1万円の祝い金をいただいた。そして、今月、刈谷団地のベテランズクラブから5千円の祝い金をいただいた。
長生きさせていただいただけでもありがたいのに「祝い金」までいただていいのだろうか?喜寿を迎えられず、先に逝った方々に申し訳ない思いである。
祝い金で新車(自転車)を買い、丈夫に産んでくれた母(102才)に粗品を送った。
3月19日(火)誕生日である。まさに喜寿の日。嬉しい事があった。
2時に牛久発、東京のレコード会社に向かった。現役の頃お世話になっていたお得意先の先輩が録音をした音源をCD化する事業の打合せだった。2~3年前、いただいた先輩の年賀状に「オーケストラの録音をしている」(写真)という一文があった。信じられなかった。先輩は80才過ぎ。今年の年賀状に「ベートーベン、ブラームスと進んでいる」とある。「先輩それ是非CDにしましょう。お手伝いします」。
打合せが終わってからレコード会社幹部の案内で、神楽坂ある福井郷土料理のお店へ。先輩を囲んで音楽談義に花が咲く。喜寿を迎えて、現役の方と仕事の話ができる。これほど幸せな話はない。牛久へ着いたら午前様だった。
2019年3月8日金曜日
対極の第9。小澤・水戸室内と普門館のカラヤン
元日の読売新聞・文化欄に「指揮者小澤征爾さんが語る」という記事が掲載された。
顔写真が凄い。「まだやり残したことがある!」という必死の形相。その写真を見て、小澤もカラヤン、バーンスタインに並ぶ巨匠の域に達したのでは、と感じた。
タイミングよく、小澤が水戸室内管弦楽団を指揮したベートーヴェンの第9が発売された。このCDは2017年10月におこなわれた同団の第100回定期公演のライヴ録音である。といっても小澤は体調が悪く、この公演で小澤が指揮したのは後半の第3~5楽章だけだった。これにセッション録音による前半の第1、2楽章を組合せたものである。
CDを聴いて、いささか拍子抜けした。40数人という小編成のため、スケールが小さい。(会場も定員680名の中ホール)でも、何かあるはずだ。日本が生んだ世界的な指揮者である。聴きこむと、第9の楽譜をみているようである。小編成であるため、名手達の管楽器や打楽器、独唱も実に良く聴こえる。演奏も奇をてらわず、粛々と進む。音楽評論家の増田良介氏は語る「80才を超えた小澤の音楽は深みを増し・・・などと書きたくなるが、小澤征爾の音楽は根本的に変わっていない。しなやかで溌剌としている」
良い機会なので、小澤の先生でもあるカラヤンを聴く。1977年ベルリンフィルを率いて普門館で演奏したライヴである。この録音、機材のトラブルがあったということで、万全の音ではないのだが、凄い迫力である。普門館は5,000人収容の巨大ホールだが、大ホールにベルリンフィルと大合唱の音が響きわたる。
終わってからの拍手も小澤の方が数人のブラボーと歓声なのに対し、カラヤンの方は津波のような拍手が沸き起こる。
顔写真が凄い。「まだやり残したことがある!」という必死の形相。その写真を見て、小澤もカラヤン、バーンスタインに並ぶ巨匠の域に達したのでは、と感じた。
タイミングよく、小澤が水戸室内管弦楽団を指揮したベートーヴェンの第9が発売された。このCDは2017年10月におこなわれた同団の第100回定期公演のライヴ録音である。といっても小澤は体調が悪く、この公演で小澤が指揮したのは後半の第3~5楽章だけだった。これにセッション録音による前半の第1、2楽章を組合せたものである。
CDを聴いて、いささか拍子抜けした。40数人という小編成のため、スケールが小さい。(会場も定員680名の中ホール)でも、何かあるはずだ。日本が生んだ世界的な指揮者である。聴きこむと、第9の楽譜をみているようである。小編成であるため、名手達の管楽器や打楽器、独唱も実に良く聴こえる。演奏も奇をてらわず、粛々と進む。音楽評論家の増田良介氏は語る「80才を超えた小澤の音楽は深みを増し・・・などと書きたくなるが、小澤征爾の音楽は根本的に変わっていない。しなやかで溌剌としている」
良い機会なので、小澤の先生でもあるカラヤンを聴く。1977年ベルリンフィルを率いて普門館で演奏したライヴである。この録音、機材のトラブルがあったということで、万全の音ではないのだが、凄い迫力である。普門館は5,000人収容の巨大ホールだが、大ホールにベルリンフィルと大合唱の音が響きわたる。
終わってからの拍手も小澤の方が数人のブラボーと歓声なのに対し、カラヤンの方は津波のような拍手が沸き起こる。
2019年3月4日月曜日
平成の終わりの金婚式
小生、今年、結婚50周年、金婚式である。
昭和17年、秋田の農家に生まれ、高校を卒業して秋田にある会社に就職。21才の時、東京転勤。27才の時、母の紹介でやはり秋田の農家生まれの家内と結婚。結婚式は3月の小生の誕生日に合わせてもらった。
それから50年、2人の子供と6人の孫に恵まれた。
家内に感謝するとともに、子供と孫にメッセージを残したい。
とはいえ、中間管理職で終えた身、財産もなにもない。
ささやかではあるが、記憶に残る「金婚式」にしたいと思った。
家族12人の旅行といえば、古希の時、御宿にある会社の厚生施設に行った。
しかし、今は孫達も成長し、小学生から社会人。みなそれぞれ忙しい。幸い、娘家族は柏、息子家族は佐倉である。東京近郊だったら参加してくれると思った。
3月の春休み、千葉県幕張にあるアパホテル&リゾート<東京ベイ幕張>(写真)で行うことにした。
ホテルを予約したのは昨年の6月である。
今となって早く予約しておいて良かったと思う。同ホテルは春休みシーズン満室である。金婚式といっても、単に記念写真をとって、会食をするだけである。翌日はディズニーランド行くなり自由。
4月から元号が新しくなる。金婚式が子供、孫の記憶(無形財産)に残れば幸いである。
昭和17年、秋田の農家に生まれ、高校を卒業して秋田にある会社に就職。21才の時、東京転勤。27才の時、母の紹介でやはり秋田の農家生まれの家内と結婚。結婚式は3月の小生の誕生日に合わせてもらった。
それから50年、2人の子供と6人の孫に恵まれた。
家内に感謝するとともに、子供と孫にメッセージを残したい。
とはいえ、中間管理職で終えた身、財産もなにもない。
ささやかではあるが、記憶に残る「金婚式」にしたいと思った。
家族12人の旅行といえば、古希の時、御宿にある会社の厚生施設に行った。
しかし、今は孫達も成長し、小学生から社会人。みなそれぞれ忙しい。幸い、娘家族は柏、息子家族は佐倉である。東京近郊だったら参加してくれると思った。
3月の春休み、千葉県幕張にあるアパホテル&リゾート<東京ベイ幕張>(写真)で行うことにした。
ホテルを予約したのは昨年の6月である。
今となって早く予約しておいて良かったと思う。同ホテルは春休みシーズン満室である。金婚式といっても、単に記念写真をとって、会食をするだけである。翌日はディズニーランド行くなり自由。
4月から元号が新しくなる。金婚式が子供、孫の記憶(無形財産)に残れば幸いである。
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