昨日(5日)堀井文衞さん、小松征夫さんと夕食を共にした。
堀井さんは、工作機械を海外に販売する会社を経営。小松さんは堀井さんの会社の監査役である。堀井さんは昭和18年生れ、小生17年生れ、小松さんは16年生れとほぼ同世代。高齢の同世代が集まると、健康談義で幕となるが、今回は違った。
堀井さん、祖父が明治29年済世学舎を卒業して医師になるが、野口英世が30年同舎卒業なので、野口と1年違いの同窓になる。父も医学の道を継ぐ。中国北京大学医学部で教鞭をとり中国の陸軍病院等に勤務。終戦後はモンゴル、ウランバートルに連行され、78才で死去する。文衛さんは中国山西省で生まれる。
堀井さんはビジネスでアメリカ、中国、韓国、カンボジア等に在住・出張する一方、小松さん(中国・ハルピン生れ)とともに中国に旅をし、父の足跡を訪ねる。その過程で堀井さんは世界の中における日本の特殊性を痛感する。以下はその一旦である。
①日本人はノーといえない。日本人は国際会議ではスマイル、サイレント、スリーピング。日本人の3Sといわれている。
②相手が悪いと思う中国人、相手に悪いと思う日本人。
③中国や韓国の博物館には日本の軍人が、自国の捕虜を虐待する蝋人形等が展示されている。若者達に日本の蛮行を伝えるのが国の指針になっている。
④事件が起きた時、ある国では既に警察官が待機していた。つまり警察官が犯人だった。
堀井さんは語学も達者。パワーもある。ご自身の経験を語り継ぎ、日本および、世界の発展の為に貢献していただきたい。
それが、父上に対する恩返しになると思う。
なお、お母さんはオペラ蝶々夫人の作曲家プッチーニから”わが夢”と称賛された三浦環(たまお)と義姉妹とのこと。(現在確認作業中)
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