<大意>私が防人となって出発する朝、門出のときに、しっかり握り合った手を離して別れるのが辛く、妻はさんざん泣いた。今頃どうしているだろうか。
防人は「崎守」の意で、兵士を徴集し辺境を守るという制度。新羅(朝鮮)等の侵略に備え対馬、壱岐、筑紫に置かれた。
筆者の経歴をみると少佐まで昇進した軍人である。昭和の防人といってよい。昭和の軍人の3人に一人が尊い命を国に捧げたという。
以下は本誌に掲載されていた昭和の防人、奥山道郎(義烈空挺隊長)の歌である。
●天皇(すめろぎ)の御楯(みたて)となりて死なむ身の 心は常に楽しかりけり
筆者の西宮家は、藤原家の末裔で、仁和2年(886年)越中介(次官)として赴任した従4位下藤原高尚が遠縁。筆者の父、西宮重美は西宮家41代だという。
筆者のご子息、聡彦氏によると、筆者がこの本を上梓したのは92才の時だという。
日本人のアイデンティティである「万葉集」を次世代に語り次ごうという筆者の執念に圧倒される。〆に一句。
●銀(しろかね)も 金(くがね)も 何せむに 勝れる宝 子に及(し)かめやも
<大意>銀も黄金も玉も、子供という宝に比べたら何のことがあろう。子供に及びはしない。
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