2017年12月26日火曜日

TVドラマ『陸王』と重なるわが人生

(「第3回世界選手権東京大会速報号」「ステレオ時代」誌)

 24日、最終回を迎えたTBS・TVドラマ『陸王』に感動した。
埼玉県行田市にある老舗足袋業者「こはぜ屋」。資金繰りに頭を抱える4代目社長、宮沢紘一は新規事業を思い立つ。足袋製造の技術を生かして”裸足感覚”を追求したランニングシューズの開発はできないだろうか?世界的なスポーツブランドとの熾烈な競争。従業員20名の地方零細企業は情熱と仲間との結びつきで一世一代の大勝負にでる。
 TDKで磁気テープを製造している川﨑市の玉川工場も赤字で悩んでいた。大歳事業部長は社長から事業中止をほのめかされる。そこで大勝負にでる。オランダ・フィリップスが開発した「カセットテープ」。手のひらサイズ、特許料無償。大歳事業部長はこれに飛びつく。その後をひきつだ澤野事業部長はなんと高卒の私を商品企画担当に指名した。その理由は「センス」がある、だった。TDKカセットは世界の大手メーカーに挑んでトップに踊りでる。
 商品企画を任された私が最後に挑んだのが「オープンリールを超えろ!」だった。カセットテープの高性能化は日々向上したが、オープンリールの特性に追いつくことができない。私のビジョンに応えるために、技術陣はメタルテープを開発、ハーフになんとダイキャストを採用。視覚的にもテープが見えるように透明シートを開発した。これがカセットテープのレジェンドと語り継がれる「MA-R」である。
 TVドラマ『陸王』ではマラソンの茂木選手が「こはぜ屋」が開発した「陸王」を履いてマラソン大会で優勝!「世界陸上」への道が開かれる。
 カセットで世界的に知名度が上ったのを機会に、TDKの沖山営業事業部長は世界陸上のゼッケンスポンサーになる事を決意。私はカセットテープの商品企画の後「世界陸上」の担当になる。

2017年12月21日木曜日

お金は使い切る!酒と文化を愛する弟

(妹夫婦のマンションから筑波山を臨む。19日朝、弟撮影)
 
 今年は弟(神奈川県在住)に随分世話になった。
 10月に行われた「母100歳記念祝賀会」も弟の企画。音楽のみならず、絵画、文学、映画に関する情報も沢山もらった。
 暮れに弟からメールが入った。「笠間のギャラリーに行くので、忘年会をやろう」という。場所は妹夫婦が住むつくばが良いのではという提案だった。妹から電話が入る。「忘年会の場所、ホテル・オークラでしゃぶしゃぶはどうかしら」
 18日、夕方、オークラのレストラン「筑波嶺」に行く。参加者は弟と妹夫婦、私と家内の5名である。弟に「今年はあなたのお陰で母さんの100歳記念もできたし、感謝するよ」といったら弟、「兄貴、オレはお金は全部使い切るというのが信条です。楽しくやりましょう」ときた。
 日本の経済は順調だというが、その効果は末端まで及んでいない。経済の循環を良くするためには、ため込むばかりではなく、使うことも大切だ。その結果、経済が好循環し、文化も反映する。年金生活者の自分であるが、弟の信条に共感を覚える。
 食事会が終わった後、妹が「マンションに寄って行って下さい」とのこと。妹夫婦の職場は笠間だが、笠間は文化的なインフラが少ないということで、笠間の本宅の他につくばにマンションを購入。本宅とマンション半々の生活だという。
 マンションはホテル・オークラから200メートルほど。19階に居室があった。リビングにある60型の大画面テレビが妹夫婦の恵まれた生活を象徴していた。
 我々は9時頃、バスで牛久に帰ったが、弟は二次会をやり、マンションのゲストルームに泊まって、翌朝帰宅したという。飲みすぎに注意して長生きして欲しい。少なくとも兄より先に逝かないように・・・。

2017年12月13日水曜日

忘年ゴルフ、115打でブービー賞(連日の忘年会)

 
(来年5月、プロ選手権が開かれる房総カントリークラブ)

 昨12日、CSG会(テープ営業OB)のゴルフコンペがあった。
場所は房総カントリークラブ。わが家から150キロある。6時、牛久出発。集合時間9時15分になんとか間に合う。12名参加。
 ゴルフというと最初のティーショットが気になる。150ヤードくらい飛んだので一安心。一緒にプレーした関口君は250ヤード以上飛ばす。プロ並みである。飛距離の出ない私にとって500ヤード以上のロングコースは酷である。10打も叩いたホールもあった。トータルスコアは前半58、後半57で115打。ブログに書くのは恥ずかしいスコアなのだが、私としてはまずまず。5月の高校同窓会のコンペでは120打以上叩き、ゴルフは止めようとも思ったが、110打代に収まったので来年もやろうという気になった。
 御宿にあるTDK楽多館で、成績発表と宴会。私はお尻から2番目ということでブービー賞をいただく。なんでもよい、賞をいただくのは嬉しい。
 今日(13日)10:30帰宅。今夜は6:30~TDK柳橋クラブで千代田会(オーディオメーカー会)の忘年会がある。評論家の藤岡誠先生はじめ、デノン、ケンウッド、パイオニア、エソテリック、リン、サエク等の方々19名が参加される。
 明日(14日)の昼は地域のベテランズクラブの忘年会である。
 
 年々忘年会の回数が増える傾向にある。それだけ、付き合いが広く、健康だという事なのだろう。でも、そろそろ、店じまいをはじめないと・・・。
 

2017年12月10日日曜日

5千名の社員に誕生カードを書き続けた山﨑社長

山﨑貞一、TDK第二代目社長。在任期間、1947年~1969年。私が入社した1960年、社員数2千8百名。入社すると、誕生日に山﨑社長から誕生カードをいただいた。以来、毎年山﨑社長から誕生カードが届く。山﨑社長が退任される時の社員は5千名を超えていた。つまり、山﨑社長は毎日10名~20名の社員に誕生カードを書き続けたことになる。誕生カードをもらった女子社員の母親は誕生カードを見て涙したという。山﨑社長を神様だというOBもいる。その所以の一端が誕生カードにある。
 先週、ファイルを見たら山﨑さんからいただいた誕生カードがでてきた。改めてこのカードを見て驚いた。消印を見ると1990年、この時、山﨑さんは現役を退かれ相談役、80才。80才にして社員に誕生カードを書き続けていた山﨑さん、その心情に心打たれた。75才でボケたなどと言っていられない。幸い、私にはブログという社会に開かれた窓がある。
 カードを見ると、宛名もメッセージも山﨑さんの手書きである。
 「畠山君 広報課長としてご活躍のご様子、毎日ご苦労様です。勤続30年になりました。広報如何は売上に大きく影響します。厳しい世の中になってきました。年男として広報をしっかりやって下さい」
 印刷部分のメッセージ
 「労働時間の短縮は世の趨勢であります。その短縮された時間の中で生産の効率を高めなければ国、会社、そして個人生活の発展は望み得ません。能率を上げるには計画(段取り)を上手に立てることが大切であります。私は一日の計は夜にあることを信条としておりますが、一日の計も朝立てたのでは既におそく前の夜その日のことをよく反省し翌日の計画を検討し朝になったら直ぐに実行に移せば能率は必ず上がります。一日の計を夜立てるよう努めましょう」

2017年12月6日水曜日

市議会の傍聴席は一人だけ!情けない


 昨日、わが町、牛久市の定例市議会があった。3時頃議場を訪れた。
議場は市役所の4階にある。傍聴席は5階、入って驚いた。50ほどある傍聴席はガラ空き。(写真)女性の方が一人座っていたが、私と入れ違いにその方が席を立たれたので、この時間帯の傍聴者は一人だけということになる。
 平日とはいえ、牛久市は人口85,000名。人口漸増市である。淋しい。

 一般質問の項目を一部をチェックしてみるとどれも興味深い
〇茨城国体、東京オリンピックを間近に控え、事前合宿等の誘致は
〇若者の雇用対策は 〇高齢者に優しい町づくり
〇駅前エスカードビルの活用について
〇空地、空家対策について
〇不登校者の実態と対策 〇貧困世帯の子供対応
〇牛久市の農業振興策
〇ふるさと納税の健全な発展
〇牛久シャトーの日本遺産申請
〇再生エネルギーによる電力供給率のアップ
〇中央図書館、居場所カフェの設置について

 私が傍聴した時は杉森議員が再生エネルギーによる電力供給率のアップについて質問していたが、質問内容は先進地域の事例も盛り込み、説得力のあるものだった。
 改めて、議員とは、いわゆる政治家とはなにか?ということを考えさせられた。良い町を作るには良い議員を選ばなければならない。それは国も地方も同じである。
 時間を持て余している高齢者は多いはずである。これからの町の発展の為にも、議会に足を運び、議員さん、市長および行政の幹部の方の話に耳を傾けたらどうだろう。
 

2017年12月2日土曜日

TDKの前は「飛良泉」勤務でした。柏倉先輩と忘年会

(左から、斎藤町長”TDK創立者、斎藤憲三弟・東大卒”三笠宮妃殿下、一人おいて山﨑社長”東工大卒”伊藤総務課長”東大卒”一人おいて小松工場長、2人おいて佐々木係長”上司・一橋大卒”右端、畠山)

 11月30日、郷土(秋田)およびTDKの先輩である柏倉哲さんと忘年会を行った。柏倉さんは我孫子、私は牛久ということで、場所は中間である取手の居酒屋。
 柏倉さん(81才)とは50年以上の長いおつきあいである。特に1963年(昭和38年)から6年間、市川市にある独身寮でお世話になった。その後も結婚式の司会をお願いしたり、教養クラブ(2015,5,23ブログ参照。柏倉さん他メンバー写真)に入れていただいたり・・・。そういえば、今まで柏倉さんの生い立ちを聞いたことがない。思いきって聞いてみた。
 「私の祖父は平沢で田畑を所有し、旅館も営んでいたんですよ。羽振りの良い時もあったんですが、長続きしませんでした。父は理髪店を経営しておりましたが、家族も多く、生活は楽ではありませんでした。私は学校を卒業すると”飛良泉”に就職しました。”飛良泉”は日本でも有数の伝統ある酒屋です。(京都に銀閣寺が建立された1487年創業)その後、TDKに転職しました。大学は夜学です。父母とも40~50代で亡くなったため、自分も長生きできないと思い、多額の生命保険に入りました。皮肉にもこうやって長生きしております」
 私が入社した頃、柏倉さんは人事部門のエリートであり、職務分析などを担当していた。
「飛良泉の社長もTDKの山﨑社長も立派な方でした。特に平沢工場長の小松正一さんは人徳があり、神様のような方でした」
 柏倉さんは人事部門の上司の紹介で、良家の奥様と結ばれ、お孫さんにも恵まれた。今は詩吟やカラオケの仲間と楽しい日々を過ごされている。来年、昔話の続きを聞くのが楽しみである。