2017年11月25日土曜日
顔面7針!3年前、飲み会帰り
高文会に参加したメンバー、前列右から2人目が広本さん
~2012年9月撮影~
年賀状の季節である。過去の自分が書いた年賀状を見ていたら、”2014年3月、飲み会の帰り、自転車転倒。顔面7針縫う”とある。そんなことあったかな?家内に聞いてみた。「あなた、そんな事も忘れたの。救急車を呼ぼうかと思ったけど、貴方は額に絆創膏を貼って翌朝、掃除のバイトにでかけて行ったわよ」
今、テレビで連日、日馬富士の暴行問題が報じられている。貴ノ岩は頭部を10針縫い、九州場所休場。それをみると、自分の顔面7針の怪我も痛かったのではないかと思う。そうだ!ブログを見てみよう!きっと当時の模様を書いているに違いない。が、なんと、2014年2月~3月は空白になっている。4月のブログをみると”2月~3月グーグルのブログに投稿できないのでヤフーに投稿した”とある。ヤフーを検索してみたらありました、「人間浴」!
『先週は毎日飲み会のスケジュール等で満杯、幕開けは11日の高文会。幹事は小生。4時開催、8時過ぎ閉会。牛久駅から自転車で我が家へ。転倒!顔から血が流れている。絆創膏を貼って就寝。朝、家内の「どうしたの!」という声で目が覚める。畳、枕が血に染まっている。朝、掃除のバイトに行って午後病院へ。
「あなた自分の顔見たの!」医師の差し出した鏡を見ると、左の目の上がパックリと割れている。「骨の近くまで達していますから縫いますよ。場合によっては眉毛が動かなくなる可能性があります」。18日抜糸。「先生、何針縫ったんですか?」「7~8針。ただ何針縫ったかはあまり意味がない。傷が狭くとも緻密に縫えば多くなる」。幸い術後、瞬きもでき後遺症はない』
今回の件で「記憶は一代で終わるが、記録は末代まで残る」という言葉を再認識した。ブログはボケ老人の自分にとっては貴重である。と、同時に子・孫に対しての無形財産だと思う。
ところで、11日の飲み会は「高文会」。その中心になっていた広本先輩は「1万升飲むぞ!」が口癖の酒豪だった。が、一昨年亡くなられた。
2017年11月18日土曜日
あの世、この世
(レーンホフ演出による「ローエングリン」。〝光の道″にたたずむエルザ)
年末となり、喪中ハガキが連日舞い込む。年々多くなる。自分の順番も近くなってきたと感じるこの頃である。ところで、「あの世」とはどんなところだろう?
本棚を探したら瀬戸内寂聴と玄侑宗久の対談「あの世、この世」が目についた。久し振りに読んでみた。
瀬戸内ーあの世はあるんですかとみんなが訊く場合、あってほしいという願望が込められていると思うんですよ。・・・愛する人が死んだ場合に、まだあの世で生きて待っていてくれると、そう思ったほうが慰めになると思うんですよ。
玄侑ーお釈迦さまはこの問いについては「無記」としてお答えにならなかったのですが、それは端的にいえば口でいってもわからないだろうからいわない、ということなんですね。
ワーグナーのオペラ「ローエングリン」をDVDで観た。このオペラも「あの世、この世」を舞台にしているといって良い。王女エルザを救うローエングリンは無意識の世界である「聖杯城」から白鳥に乗ってやってくる。演出家のレーホフは白鳥を光に変えている。ローエングリンは光の道を通って現実の世界に登場する。
オペラの凄いところは、この光の道を音楽で表現していることである。その音楽は幕開けの序曲で奏される。無音の状態から弦の旋律がさざ波のように湧き出してくる。”恍惚感”に体が浮揚する。
極楽に渡る三途の川も美しいに違いない。瀬戸内さんによると、最近は乗客が増えて渡し舟では追い付かず、フェリーがでているとか・・・。
年末となり、喪中ハガキが連日舞い込む。年々多くなる。自分の順番も近くなってきたと感じるこの頃である。ところで、「あの世」とはどんなところだろう?
本棚を探したら瀬戸内寂聴と玄侑宗久の対談「あの世、この世」が目についた。久し振りに読んでみた。
瀬戸内ーあの世はあるんですかとみんなが訊く場合、あってほしいという願望が込められていると思うんですよ。・・・愛する人が死んだ場合に、まだあの世で生きて待っていてくれると、そう思ったほうが慰めになると思うんですよ。
玄侑ーお釈迦さまはこの問いについては「無記」としてお答えにならなかったのですが、それは端的にいえば口でいってもわからないだろうからいわない、ということなんですね。
ワーグナーのオペラ「ローエングリン」をDVDで観た。このオペラも「あの世、この世」を舞台にしているといって良い。王女エルザを救うローエングリンは無意識の世界である「聖杯城」から白鳥に乗ってやってくる。演出家のレーホフは白鳥を光に変えている。ローエングリンは光の道を通って現実の世界に登場する。
オペラの凄いところは、この光の道を音楽で表現していることである。その音楽は幕開けの序曲で奏される。無音の状態から弦の旋律がさざ波のように湧き出してくる。”恍惚感”に体が浮揚する。
極楽に渡る三途の川も美しいに違いない。瀬戸内さんによると、最近は乗客が増えて渡し舟では追い付かず、フェリーがでているとか・・・。
2017年11月11日土曜日
科学万博・つくば’85。あれから32年
7日快晴、散歩には絶好である。国道6号線に沿って水戸方面へ。隣の「ひたちの牛久駅」まで行くことにした。家から6キロはある。さすがに徒歩ではきついので、自転車で行く事にした。ラジオ放送を聞きながらのサイクリングは実に楽しい。6号線は交通量が多く危険、ラジオも良く聞こえないので、農道を通る。40分ほどで「ひたちの牛久駅」に到着。駅に着いて、その威容に驚く。(写真・上)「ひたちの牛久駅」の前身は「科学万博中央駅」だった。
科学万博・つくば’85 以降の牛久市、つくば市の歴史を紐解いてみよう。
1985年3月17日ー9月16日
科学万博・つくば’85開催
(最寄り駅 常磐線万博中
央駅。会場まで10キロ)
48ヶ国と37の国際機関、
23の民間企業・団体出展
来場者 2033万名
1986年 牛久町、牛久市になる
1987年 つくば市誕生
1998年 ひたちの牛久駅開業
(万博中央駅跡地)。
都心まで約50分
2005年 首都圏新都市鉄道つくば
エクスプレス開業。
東京都心まで最短45分
現在、牛久市人口8万5千名(人口増続く)、つくば市人口23万(人口増加率日本一)300におよぶ研究機関・企業と2万名の研究者(うち博士号取得者7千2百名)を擁する研究学園都市。私は1973年、31才の時に牛久に引っ越しした。(写真・下は駅西口にある牛久町長の書碑)
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