2015年12月6日日曜日

60年ぶりの「餅つき」見学

 
「杵を振るう、杉森さん”市議”と、サポート役の村中さん”中央・割烹着姿”」
 
 5日、今年から理事をしている、牛久市刈谷町・ベテランズクラブ(老人会)の「餅つき」があった。刈谷町には4,500世帯があるが、「餅つき」に参加したメンバーは54名である。参加率1%強である。
 8時30分、指定された自治会館の空地に集合。空地には臼(うす)と杵(きね)が準備され、その隣で、もち米の入った釜が3段重なっている。既に釜の下では薪が赤々と燃えている。「3段とも一度に蒸されるんですか?」と先輩に聞くと「下から順番に蒸される。だがら下の釜が蒸したら、臼に移すという順番で上の釜まで蒸すんだよ」との事。私はバカな事を聞いたものだと思った。

 私は秋田の農家の次男、年末など、朝早くから別棟の作業小屋からドン、ドンという「餅つき」の音が聞こえたものである。ただ、「餅つき」は父と兄がやっていたので、私は杵に触った記憶もない。農家の次男である私は、学校(高校)を卒業したら東京へ集団就職するか、婿に出すものであり、父も真剣に農家の事を教えようという気持ちはなかったようだし、私自身、農家の仕事にほとんど興味がなかった。
 子供の頃の習性は今も引き継いでおり、5日も杵を持って、「餅つき」をするチャンスがあったのであるが、見学するだけに終わったものである。

 それにしても「餅つき」のベテランがよくも集合したものである。「薪燃やし」「もち米蒸し状態のチェック」「餅つき」「餅つきサポート」・・・。見学はしなかったが、餅が持ち込まれた自治会館では、女性陣が「餡子もち」「きな粉もち」の加工を行った。昼近くには、54名分の「餡子もち」と「きな粉もち」が見事に並び、「お疲れ様」の酒井会長の挨拶と同時に缶ビールの蓋が開いた。

 最近、定年後の自分の使命とはなにか?という事を自問自答する。それは「自分の生きてきたものを後世に伝える事」ではないかと思う。5日の「餅つき」もその一つである。いつまでも「餅つき」を継続して欲しい。
 

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