2015年7月19日日曜日

傷痍軍人、おめかけさん、関釜連絡船


 私は牛久市で自分史「いしぶみ」(年一回発行)の編集のお手伝いをしている。そんな関係もあって、近隣の利根町で発刊している自分史「利根川のほとりで」を読む機会に恵まれた。
 「利根川のほとりで」を読んで、随所で衝撃を受けた。

 まず、菊池雪子さんの書かれた「傷痍軍人とサツマイモ」である。傷痍軍人とは”戦争で受けた傷やけがをした軍人”とある。その軍人さんが、母娘三人家族の雪子さんのお宅をたずねる。泥の着いたサツマイモをもって玄関に現れ、「蒸かして欲しい」と懇願する。雪子さんは「おめかけさん」という大人達の言葉を度々耳にするが、子供だった雪子さんには意味が分からない。「在日朝鮮人」が近くに住んでおり、”子供は近づくな”と言われたという。 中村 允さんの書かれた「私の諸国漫遊記」。なんとこの中に「関釜連絡船」がでてくる。中村さんのお父さんの赴任地は朝鮮で、中村さんはお母さんと一緒に「関釜連絡船」を何度か利用したという。「関釜連絡船」とは下関と朝鮮の釜山を結ぶ連絡船だという。
 読み進んでいくと、戦時中の日本と朝鮮(韓国)との関係が生ナマしく迫ってくる。自分が子供の頃、子供ながらに朝鮮人を差別していたような記憶が蘇り、心が痛む・・・。
 日韓関係についてはテレビを介して、いろいろと報道されているが、手作りの地方の自分史で語られる一般国民の声は胸を突き刺すのである。

 間もなく安倍総理が戦後70年に当たって談話を発表するという。
日本国民のみならず、中国の国民、韓国の国民の胸にも響くような談話を発表して欲しい。

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