2012年1月29日日曜日

小澤征爾、命をかけた舞台


 1月19日、水戸芸術館で水戸室内楽団の第83回定期演奏会が行われた。楽団の音楽顧問である小澤征爾の指揮だった。この模様は茨城県限定でテレビ中継された。
 冒頭のモーツアルト作曲のディヴェルティメントは指揮者なし。世界的な名手の集団による演奏は一糸乱れず、輝かしいアンサンブルだった。その後、小澤とチェロの宮田大が登場し、ハイドンのチェロ協奏曲。
 後半はモーツアルトの交響曲第35番「ハフナー」。小澤は楽章が終わるごとに椅子に座り、飲み物を飲む。
 小澤征爾は1935年生まれの76才。2010年食道癌、食道全摘出。2011年腰の手術。満身創痍である。それを押しての指揮だった。指揮することが最大の治療という気持ちがあるのではないだろうか。
 しかし、翌20日の演奏会は指揮台を降り、その後の公演もままならない。
 ところで、この日の「ハフナー」、実にスケールが大きく気迫のこもったものだった。しかし、モーツアルトにしては重い、もっと愉悦感があって良いのではないか。
 参考までに小澤の師である斎藤秀雄が指揮した交響曲第39番のCDを聴いてみた。(1973年、新日本フィル)曲が違うといえ、こちらは、はちきれんばかりの躍動感に富んでいた。
 (写真は当日のテレビ映像から)

2012年1月25日水曜日

53年目に初演された母校50周年祝歌


 私が学んだ学校は秋田県立鷹巣農林高等学校(略称・鷹農)である。
鷹農は昨年、近隣の高校3校と合併し、秋田県立秋田北鷹高等学校となった。
 発展的消滅である。
 私が高校3年の時、鷹農は創基50周年を迎えた。これを記念して「50周年祝歌」の歌詞を公募した。私はこれに応募し、入選した。作曲を音楽担当の教諭、浅野洋一先生が担当され、「50周年祝歌」は完成した。当時の生徒会誌に掲載されている。(写真・左)
 しかし、この歌は50周年記念式典でも歌われず、鷹農の百周年記念誌にもこの歌が歌われたという記録はない。
 あれから、今年で53年、「50周年祝歌」が演奏された。
 楽譜音痴の私は昨年、この歌を聴きたいという話を弟にしたところ、弟家族が協力して演奏し、録音してくれた。弟家族は神奈川県在住で鷹農とは無縁である。それなのに家族全員で私の願いをかなえてくれた。家族はありがたい。私は早速これをCDにした。(写真・右)
 「50周年祝歌」の音楽が素晴らしい。作曲された浅野先生はご健在だろうか?ご健在であれば是非聴いていただきたいものである。

2012年1月23日月曜日

大相撲千秋楽。日本の原点


 22日(日)大相撲千秋楽である。昨日から降り続いていた雨も両国に到着(午後2時)した時は上がっていた。東7列、13の桝席に行くと、篠原、佐伯、藤ノ木の3名は既に着座しており、宴会気分。(大入り満員)
 大相撲観戦は初めてだが、江戸時代に戻ったように典雅である。それは歌舞伎にも通ずる。拍子木の音、呼び出しの声の潔さ、行司の衣裳、化粧廻しの煌びやかさ、土俵上では、鍛えられた力士が真っ向勝負で激突。それも美しい。大相撲は200年以上の伝統によって培われた様式美が結集したスポーツだと思った。
 桟敷席に座って、お酒を飲みながら、歓声を上げて観戦する観客はオダイジンである。観客を接待する茶屋の存在も自然である。昔は両国の近くに遊郭もあった。
 優勝した把瑠都のインタビューには貰い泣きしたが、軍楽隊の伴奏で全員起立して歌った「君が代」には胸が熱くなった。
 大相撲という伝統スポーツを維持している日本人の一人として誇らしい一時であった。
 
 ●写真は桟敷席で撮影した幕内土俵入り。土俵下、右より稀勢の里、琴奨菊、把瑠都
 ところで、21日(土)は渋谷の青山ブックセンターで現代画家のディレクターである三潴
末雄が主宰する「日本再再再発見」と題する講演会があった。雨天の中満席。この講演会には東大教授・宗教人類学者の植島啓司と、出雲大社常陸教会の高橋正宣(義弟)がゲスト参加。(終了後、弟と飲む)。
 2日間にわたって、日本・日本人の原点に触れた。
 

2012年1月18日水曜日

サントリーホール・他(新年の挨拶)



 17日(火)は今年はじめて東京にでかけた。
11:30 銀座で元・広告代理店、野原博さんと新年情報交換
15:00 新宿で元・レコード会社 乙黒正昭さんと新年情報交換
18:00 赤坂・サントリーホール 上岡敏之指揮・読売交響楽団演奏会
 予想通り、岩垂靖樹さん(日本コロムビア)、東条碩夫先生、中山実ご夫妻がいらしており、新年のご挨拶をする。
 休憩時間、思いがけない人に声をかけられる。なんと義兄の弟である工藤光春さんご夫妻ではないか。お知り合いの方が読売日本交響楽団の会員で、その方からチケットを譲り受けたという。
 演奏プログラムはリヒャルト・シュトラウス特集で、上岡の指揮する読響は作曲者の多彩な音楽を見事に再現。新年に相応しい名演となった。
 終演後、新橋で工藤ご夫妻に小樽料理をご馳走になり、12時、上機嫌で帰館する。
 (写真はサントリーホール前の夜景と、開場を告げるホール入口のオルゴール)

2012年1月17日火曜日

年賀状


 今年いただいた年賀状は170通だった。
年賀状は集中して配達されるので、内容をよくみないで保管。翌年、年賀状を書く段になって読み返し、「こんなことが書いてあったのか」となるのが通例だった。
 今年は、おさらいをしてみた。やはり震災関連のメッセージが多かった。
○昔、2000円のワイン1日1本、今、598円のワイン3日で1本。(68才・男)
○仙台にある実家の擁壁が崩れ、家を取り壊し、擁壁を再築。(70才・男)
○80才になりました。次年度より賀状を失礼します。
○私は毎日、犬に散歩させてもらっています。(70才・女)
○英国仕様40Kのアンプを改造中、グラッときた。楽譜等あらゆる物が落下、茫然!
○65年前の東京大空襲の体験が蘇る。祖母と母の3人で猛火の中を逃げ惑う。(78才・男)
○薄明のしだいにふかき庭被ひ揺るる大地に雪降りしきる。(岩手在住・歌人)

2012年1月8日日曜日

初詣


 初詣は義弟が教会長をしている、笠間市の出雲大社に決めている。
 シルバーセンターの初仕事(元日)、ゴルフ初打ち(4日)、地元・老人クラブ新年会(5日)等が終了。孫達も帰って家内も一段落。
 7日昼に出雲大社に向かった。3連休の初日とあって、一般道は大渋滞。高速道路に乗る。
高速道路に乗ると、40分足らずで笠間西インターに到着。インターから右手方向に出雲大社の社殿が見える。
 拝殿でお祓いをしていただき、本殿にお参りをする。本殿の木造の鳥居、本殿の屋根のグリーン、新春の青空のコントラストが見事で心が洗われる。(写真)
 社務所・応接室で教会長に会ったが、10分ほどで次の参拝客が見えられ退参。元日から一週間経っているが、教会長は息つく暇もないようだ。
 このお社ができた時は、予想以上の規模の大きさでどうなることかと思っていたが、今年は鎮座して20年目になる。
 1月21日は教会長(高橋正宣)が東京の青山ブックセンター(カルチャーサロン青山)で、「日本再再再発見」と題して、植島啓司(宗教人類学者)、三潴末雄(ミツマアートディレクター)と鼎談を行うという。
 
 これからの日本の課題は”物から心だと思う”
 教会長には、これからも”日本人の心”のありようを探索し、示して欲しい。

2012年1月5日木曜日

孫と映画を観る


 正月は孫6人が到来!普段は家内と2人だけの我が家は11人に膨れ上がった。
家内は食事や、寝具の準備に大わらわ。タフマンを飲んでの大奮闘。
 2日、9時、5才と7才の男の子を連れて外出。牛久大仏にでも行こうかと思ったが、ドンヨリとした曇り空「雨が降るかもしれないから、映画へ行こうか」と提案したら「ワーイ」と乗ってきた。
 つくば市のショッピングセンターに併設されているシネコン「MOVIX」に向かう。
 孫達はイソイソとアニメ映画「イナズマイレブン」のゲートに並ぶ。
 料金を聞いて耳を疑った。「2,800円」です。
シニアの小生が1,000円なので、幼稚園児は500、600円だろうと思っていたら900円だった。
 「イナズマイレブン」はサッカーの映画で、イレブンが怪獣のようなスーパーマンに化身し、スーパーショットを連発。ジジイの小生が見ても楽しかった。
 小生が子供の頃観た映画は「笛吹童子」等のチャンバラ映画。チャンバラと化身したスーパーマンの戦いは共通するものがある、また化身は忍術、妖術に共通する。
 昔は”正義が勝つ”というストーリーだったが、「イナズマイレブン」の落としどころは”勝のが目的ではなく、みんなでサッカーを楽しむ”ということだった。
 それにしても、昔と今の映画館の設備は段違い。昔は木造の映画館で、客席までトイレの匂いが漂い、タバコの煙が充満。今の映画館は一流ホテル並みの清潔さである。
 「ジイさん、面白かったね」ジジイと孫の心が一つになった。