2010年8月30日月曜日

観覧者80万、大曲花火見る

        写真を拡大して会場の壮大さを実感してください。(畠山撮影)
      クライマックスの連発(朝日新聞より転載)

 秋田県仙北市で開催される大曲の花火大会は日本一といわれる。過去70万人以上の観覧者が集まったという。その観覧者の多さに恐れをなして今までは行く気がなかった。


 だが、今回、中学校の同窓会(古希の祝い)が花火大会の前日(27日)開催され、しかも家内が一度大曲の花火大会が見たいというので出かけることにした。


 大曲は秋田の東南中央にあり秋田市、角館、横手、湯沢から50キロ圏内にあるが、これらの市の旅館やホテルは全て満員。奥羽線の湯沢駅から30キロ離れた小安峡温泉に宿をとった。つまり、大曲近郊に車を置くことは不可能なので、湯沢近郊に車を駐車し、湯沢からJR線で大曲まで乗り込むという作戦である。


 この作戦は図に当たり、花火が上がる6時30分には花火会場へ到着した。今まで花火大会というと土浦の花火大会を桟敷席でみて感激したが、そのスケールの大きさは段違いである。桟敷席の長さは1,000メートル。その後方の土手と左右に一般観覧席が置かれている。駅から会場に向かう途中の橋の上、空き地、通路、ありとあらゆるところに観覧者が溢れている。


 花火も3ヶ所から次から次へと打ち上げられる。


 大曲の花火会場は豊かに流れる雄物川をはさんで両側に広大な敷地が広がる。この恵まれた地形に全国の花火師と観客が吸い寄せられ、今日の隆盛に至ったということを実感した。


 帰りの混雑を避けるため、8時に退散。大曲駅発9時20分の臨時列車に乗車。車窓から最後のクライマックスの100連発の花火を垣間見ることができた。

2010年8月24日火曜日

盆踊り・放送係

     (盆踊りの放送席。小生の他に女性アナウンサー2名の陣容)
 今年の3月で自治会の役員は降板したが、盆踊りの放送係は引き続きやって欲しいという要請があった。

 スポット的な依頼についてはお引き受けして地域のお役にも立ちたいと思っていたので引き受けた。

 まず、盆踊りの曲目を順番にCDRに記録するという作業からはじまる。カセットテープが持ち込まれるケースがあるがカセットだと頭だし等、操作が大変なのでCDRにしておく。ただ、CDRは突如として音が出なくなったりするので、予備のCDR、プレーヤが不可欠。

 幸い当日(21、22日)は天候にも恵まれ、機材も故障がなく順調だった。

 アナウンサー嬢、来賓の紹介が大変。元いや、前衆議院議員、市長、県会議員、市議、区長など次々といらっしゃる。肩書き、お名前を間違えないようにするだけでも大変。その他、駐車違反の注意、落し物等々。盆踊り、ビンゴゲーム、抽選会といった正式プログラムの他の曲目に飛び込みの雑多なアナウンスをこなさなくてはならない。

 5時の前奏の音だしから始まって、9時の終了まで放送係はテンテコ舞。

 終わって、自宅に帰りシャワーを浴びてからのビールは格別。

 盆踊りの放送席で遠慮しながら飲むビールも美味しいが自宅のビールは最高!後は寝るだけ。

2010年8月17日火曜日

猛暑・孫と遊ぶ

             (14日は家の近くの農地を散歩)
 孫は女の子であれ、男の子であれ可愛いが爺ちゃんと遊んでくれるのは、やはり男の子。

息子の孫がお盆休みで遊びにきた。4歳と6歳の男の子である。

 14日は日中の温度も30度くらいで比較的凌ぎやすかった。

 家の近くの小川を渡った、農地を散歩。

 15日は35度を上回る猛暑。

 2人とも外ででることができないので、クーラーの効いた室内で大暴れ。

 彼等も欲求不満だろうと思い、昼食後、「外へ行こうか」と6歳の男の子を誘ってみた。

 「帽子を被っていけば大丈夫だよね。」と二人とも行く気である。

 「マジ、おじいさん」

 と母親がたじろいだ。

 そこは男同士、2人の孫を連れて、車で出発。

 「自然観察の森」に行く。

 着いた途端、2人はワーイと森の中へ駆け出す。

 森の中にあるネイチャーセンターはガンガン冷房が効いて、虫、動物、魚、天体とコーナーが分れ、見所一杯。サファリルックのお姉さん、お兄さんが子供達の世話をしてくれる。2人は夢中で遊ぶ。

 折角、森へきたのだからと、ネイチャーセンターをでて、森の中を歩き始めたのは4時近く。森の中にある寒暖計は30度。今日は本当に猛暑である。

 森の中の休憩所には剣玉、輪投げ、水鉄砲などがあり、爺ちゃんにも懐かしい。

 日が翳ってきたので、帰ろうと2人を促したが、ドジョウとザリガニがいる池を離れようとしない。

 というわけで、タップリ遊んで家に戻ったのは5時30分近く、

 「面白かったね」と4歳の孫も大満足だった。

2010年8月13日金曜日

カセットテープ、昔話


 現役時代の上司が会いたいという。

 用件は町内会でカセットテープの話をするので、資料等提供して欲しいというのである。

 11日、松戸でお会いする。

 上司の沖山さん。小生が秋田工場から東京本社へ転勤するのを認め、しかも磁気テープ部門(カセット、ビデオを生産・販売)へ勧誘してくれた大恩人である。

 昔話に花が咲いた。

 沖山さんは月に一回は朝礼を開き、業績の話をされたが、毎月「売り上げ、利益とも目標を上回りました。」というのが決まり文句だった。なにしろ、電子部品メーカーだった会社がオーディオ・ビデオテープで世界一になったのだから躍進ぶりはすさまじいものだった。工場もたちまち欧米、東南アジアにできた。コマーシャルではステービー・ワンダーを起用し、世界陸上のゼッケンスポンサーになった。

 その躍進ぶりは先年NHKの「プロジェクトX」でも取り上げられた。

 当時のTDKは日経優良企業ランキングでベストテンの常連だった。

 ところで、国内でオーディオカセットは何巻くらい売れていたろうか?

 1989年がピークで5億巻(年間)、2006年は約1/10になり5,500万巻、今年はさらに縮小し、1,500万巻ていどと思われる。

 1989年ころはカセットでFM番組を録音するのが若者の間で流行していた。エアチェックブームという社会現象が起きていた。

2010年8月8日日曜日

同感!日本人の無責任体質

   (感銘を受けたラジオ深夜便。荻昌弘さんの講演)
 夕べは寝苦しかった。4時頃かと思って、時計を見たらまだ1時過ぎ。

しょうがないので携帯ラジオを聞いた。NHKの「ラジオ深夜便」である。誰かの講演会のようだ。思わず聞き耳をたてた。


①いつの時代にも良い面と悪い面(毒)がある。

②戦時中だって良い面があった。それは「緊張感」である。

③今は全く緊張感がない。今の毒はなんでも人のせいにして(自分では)「しない」ことである。

④教育の目的は毒を認識し、それを是正することである。

⑤日本語は美しい表現には向いているが、理論的な表現には向いていない。

⑥「教育の船」というのがあって20数カ国の若者が乗船した。海外の若者は自分の主張(なすべき事)を明確にするが、日本の若者は聞いているだけで、自分の主張ができない。これではコミュニケーションがとれたことにならない。

⑦日本人は自分の立ち位置を明確にし、社会の毒に対して(行動)「しなくてはいけない」


 この話を聞いて、最近起こっている高齢者の行方不明問題を思い出した。個人主義が跋扈し、個人情報保護法なるものまで登場した。そうであるなら、個人個人が自立し、死ぬまで自己責任を貫き、他人や行政に迷惑をかけるべきではない。一方、住民の所在を把握するのは、行政の基本である。民生委員に責任転嫁するようなことがあってはいけない。


ところで、深夜便の講演者は昭和63年に死去した映画評論家の荻昌弘氏。講演は昭和60年に行われたものだそうだ。日本人の個人主義による無責任体質は既にこの頃から台頭していたことになる。

2010年8月4日水曜日

孫からの手紙


 孫から手紙をもらった。

 孫自慢になるが、小学4年生にしては文字も文章もシッカリしている。

 自分が小学校4年のとき、これくらいの手紙が書けていただろうかと思うと自信がない。

 もう一つ、嬉しかったのは、手書きの手紙をもらったということである。

 最近の子供達の手紙はほとんど携帯電話のメールだと思っていたので、手書きの手紙は意味があると思った。

 孫の手紙をみて、学校でもいわゆる作文をシッカリ勉強させているという事を感じて安心した。最も、作文の基礎がないと携帯電話のメールも打てないわけだけだから、国語の基礎をシッカリやる必要は昔も今も変わらないということになる。

 孫には直ぐに葉書で返事を出したが、この葉書はパソコンで打ったものである。

 本来であれば人生の先輩である、自分こそ手書きの手紙を書くべきだったと反省している。


 ところで、私の孫は現在5人いる。娘の方に女の子が3人、息子の方に男の子が2人である。来年は息子の方に3人目の子供が生まれる予定なので、6人になる。