2024年11月21日木曜日

老人クラブの宴、鮎バス旅行/孫娘の一言

11月14日は刈谷シニアクラブの「秋のバス研修旅行」だった。研修とは名目で、参加者の目的は、烏山落石観光やな・ひのきやでの鮎料理を食べながらの宴である。
8:00自治会館前出発。参加者36名。市の大型バスなので、2人分の座席を一人占めして王様気分。天気は雲一つない秋晴れ。つくば牛久インターで常磐高速に乗り、那珂インターで降りて一般道へ。栃木県烏山を目指してひた走る。観光やなやに11時到着。
すでに囲炉裏には赤々と輝く炭火を串刺しされた鮎が囲んでいる。老人達が意気込んで囲炉裏を囲む。ビール瓶が配られ、日本酒の一升瓶の口が空く。「それではいいですか乾杯の音頭を長老の酒井さんお願いします」87才の酒井さんがコップを掲げて「乾杯!」。この為に3時間かけて烏山まできた老人達は無言で酒を飲み、鮎料理を頬張る。
一息付いたところで、自己紹介タイムとなる。男女がお互いに相手を指名し、氏名された老人は自己紹介をし、近況を語る。私を指名する女性は現れず、私が自己紹介のトリを飾ることとなった。「幹事の皆さんありがとう。佐竹の殿様が茨城の美人を秋田に連れていったので茨城には美人がいないといいますが、そんな事はありません・・・」とかなんとか、言ってましたね。
帰りは近くのリンゴ園に寄って、5時に牛久着。
自宅に帰ると久しぶりに娘が2人の孫を連れてきていた。テレビに環境問題国際会議のニュースが流れている。「トランプが大統領になると国際会議も大変だな」と呟くと「爺ちゃん、トランプは自分の代は影響がないから勝手なこと言っているのよ」「そうか、なるほど」とうなずく。孫娘ももう大人だと実感。

2024年11月13日水曜日

渡部さんの”プロジェクトⅩ”「大気汚染と排ガス処理技術」


地元の飲み仲間、渡部輝雄さんから本をいただいた。
「大気汚染と排ガス処理技術」という技術専門書である。
渡部さんは1941年生まれというから今年83才。一杯飲むと、「オレは会津若松の落ちこぼれ」と語るが、そんなことはない。本を見ると謙遜だとわかる。
1965年3月、中央大学理工学部工業化学科卒業。学士論文の指導は東畑平一郎教授とある。1986年3月、住友重機械工業(株)化工機事業部入社。集塵装置の設計を担当。1978年6月~乾式脱硫脱硝装置の設計および活性炭の開発担当1998年10月、日本吸着学会より技術賞受賞「活性炭を循環使用し排ガスからダイオキシンを除去する技術」。2001年6月、住友重機械(株)退社。
「大気汚染と排ガス処理技術」は次の3章からなる。
第一章 神武景気(1954~1957)、岩戸景気(1958~1961)/大気環境と集塵技術
第二章 いざなぎ景気(1965~1970)/大気環境と脱硫・脱硝
第三章 ダイオキシン類対策特別措置法(1992)/大気環境と炭素利用技術
渡部さんは日本の高度経済成長に伴う大気汚染のもとになる塵埃、排ガス、ダイオキシンと格闘してきた、この本は渡部さんの「プロジェクトⅩ」である。渡部さんは必ずしも体調万全とはいえない状況の中で、この本を上梓した。その会津魂に敬意を表したい。身近な例として、わが町牛久にもクリーンセンターがある。そのお陰で、わが町の環境が守られている。その陰には渡部さん技術力が生きているのである。渡部さん、出版を祝して一杯やりましょう。
 

2024年11月8日金曜日

38年ぶり、世界最高峰ウィーンフィルを聴く


 昨日は特別な日だった。
世界最高峰のオーケストラ、ウィーンフィルを聴いた。
午後4時、自宅出発。会場であるミューザ川崎シンフォニーホールに向かう。
ウィーンフィルを聴くのは何年ぶりだろう。日記を見ると、37年ぶりということになる。
若い頃は良くコンサートに行った。子供達にもコンサートを味わって欲しいと連れて行った。秋田の兄貴もクラシック好きだったので、お付き合いで聴きに行った。
しかし、コンサートの値段も高くなった。1987年頃にはウィーンフィルの来日公演のチケットが1万9千円と、2万円近くなった。意欲がなくなった。
今回のウィーンフィルのチケットはS席45,000、私が買うことができたB席は35,000。そのうち耳も聴こえなくなるに違いない。冥土の土産のつもりで買った。買えて良かった。その後、プレミアムが付いて、8万円になったプログラムもでた。
会場に着くと、「完売御礼」のポスターが貼られていた。川崎市市制100周年記念事業&ミューザ川崎シンフォニーホール開館20周年記念公演とある。
座席は4階の天井桟敷。3万5千円でこの席か。オーケストラが豆粒のよう、勿論、指揮者の表情は分からない。
でも、ウィーンフィルのまろやかな音は天井桟敷にも届いた。素晴らしい経験だった。驚いたのはなんと、アンコールにウィンナワルツを2曲も演奏してくれた。会場は沸きにわいた。毎年、ウィーンからテレビ中継されるウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」そのワルツが、日本でナマで聴けるなんて思わなかった。バンザーイ!と叫びたくなった。こと年まで生きていて良かった。また明日からがんばろう。ネルソン指揮のウィーンフィルに乾杯!

2024年11月1日金曜日

水素車 トヨタMIRAI で帰宅

昨夜(10月31日)は、ハイソサェティの集いだった。
都内の会場に集まったメンバーは20名。小生を除いて、一流企業の幹部OBの集いだった。
彼らの話を聞いていると、「ドジャース・大谷の試合を見にロスまで行きましたよ」「ヨットが趣味なんですが、陸地が見えなくなると不安ですね」「明石家さんまの番組にでたんですが、さんまさんに先生と呼ばれて、照れましたね」・・・メンバーの中に年収が1億を超える方が3名いた。
小生はこの会の幹事の依頼で「カセットテープを初めて発売したメーカーはどこか?50年ぶりに分かった真実」いうテーマで15分ほど話をさせていただいた。幸い皆さん関心を示して下さりホッとした。
帰り、大企業の外部取締役役員だというA氏が、帰宅の方向が同じなので、私の車に乗りなさい。と誘って下さった。玄関口に止まっていた車は、トヨタのMIRAIではないか。日本で、数えるくらいしか走っていないCO₂排出量ゼロという水素車である。
A氏は車中でいろいろ話をされた。「やはり中国が心配です。中国との取引が多いので習近平体制がどうなるかですね」「生成AIがこれからの日本経済にどういう影響を与えるかですね」「グローバル指向の中で、経営のやり方が、ゼネラル化、画一化していく傾向がある。私は日本ならではの経営のやり方があると思うんですがね」「政治家のものの見方は短期的でいかん」A氏は私と同じ82才。現役経営者として押し寄せる課題に立ち向かうA氏の気迫に圧倒された。
「畠山さん、牛久まで乗って行って下さい」お言葉に甘えて、MIRAIでわが家に向かう。
下車する時、運転手さんが後部座席を開けて下さった。それは建売のわが家と不釣り合いなマナーだった。(乗車したMIRAIの車体は黒だった)




2024年10月26日土曜日

民謡王国、秋田/首都圏秋田県人連合会70周年

 24日、昼食後、東京へ。今日は浅草で「首都圏秋田県人会連合会創立70周年記念・ふるさと秋田芸能まつり&懇親会」がある。
秋田芸能まつりが行われている浅草公会堂に着いたのは3時近くだった。この芸能まつり、第一部がはじまったのは10:30分である。秋田県出身(首都圏在住)の芸能自慢100名近くが出演。私が聴いたのは第三部の終り近く。秋田とえば民謡である。三味線、尺八、太鼓の伴奏で民謡自慢の方々が次々に登場。(写真・上)秋田おばこ、秋田船方節、秋田長持歌、秋田馬子歌、本荘追分…幼少の頃、聴いた民謡が次々に歌われる。懐かしさで胸が一杯になった。
一番感動したのは「秋田の伝統と文化を学ぶ会」が演じた「西馬音内盆踊り」、深い編み笠、黒い頭巾で顔を隠した、秋田おばこが躍る盆踊りは妖艶である。(写真・左)この盆踊り、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。東京でその片鱗に触れることができたのは幸運だった。
芸能まつりが終了したのは4:20,懇親会がはじまるのは6:00,この間隙を縫って、「東京スカイツリー」に登る。多勢の外人観光客に混じって、展望台から東京の夜景を見る。(写真・右)
懇親会の会場は浅草ビューホテルだった。参加者は70名ほどで、ほとんとが、芸能まつりに参加した方々。その方々の余興を見、聴きながらのお酒を楽しむ。私の隣の席は「新庄節」を歌った矢口さん。「新庄なば、秋田と兄弟だ」「んだすな。一山超えれば山形だ」。矢口さんと来年の再会を約して会場を後にした。

2024年10月16日水曜日

憲法は「ウソをつかない」の1行で良い/住井すゑ

 
先週の後半は高密度のスケジュールだった。
10日(木)笠間の常陸国出雲大社へ。宮司と弁護士の打合せに同席する。「先生、この案件、引き受けていただけますか」と宮司。「う~ん、どうするか、組立ててみましょう」と弁護士先生。東京の偉い弁護士を笠間まで呼びつけるのだから宮司はただものでない。
11日(金)TDK本社へ。カセットテープの頂点といわれる「MA-R」(写真・上)を開発した石田俊彦さんの取材である。「ステレオ時代」の澤村編集長がカメラマンを帯同してかけつける。この商品、私が商品企画の責任者だった時代に開発された商品だが、石田さんの部品一個一個に心血を注いだ苦心談を聞き、「採算を度外視しても良いから最高のモノを作ってくれ」と号令だけかけていただけの自分が恥ずかしくなった。
12日(土)音楽グループ、龍ヶ崎ゲヴァントハウスの例会。音楽評論家・金子建志先生の講演会。演目は「生誕200年のブルックナー」。終了後、親睦会。(写真・左)隣の席に座った滝沢さんに「お父さんお元気ですか」と声をかける。滝沢さんのお父さんは、私と同じ昭和17年生まれである。
13日(日)前日、ゲヴァントハウスの例会に参加した弟を「牛久市住井すゑ文学館」に案内する。住井さんは「牛久沼のほとりで」という本の中で、憲法は「ウソをつかない」という1行だけで良い。と書いている。住井さんは平成9年6月16日、95才で旅だった。代表作は「橋のない川」。


2024年10月9日水曜日

高倉 健、没後10年展「高倉 健に、なる。」

 昨日(8日)は雨だった。でも「TDK社友会パソコンクラブ」の例会があるので東京へ行かなくてはならない。小生パソコンオンチなのに幹事なのである。
当日の朝、読売新聞本社で「高倉健、没後10年展」が開催されている、ということに気がついた。「まだボケてないな」パソコンクラブは昼から。没後10年展は10時から。シメシメである。8:30分出発する。
読売新聞本社は大手町にある。東京駅から徒歩15分。立派なビルである。ビルに入って驚いたのは吹き抜けのロビーに「読売巨人軍リーグ優勝おめでとう」の垂れ幕が下がり、いたる所に、お祝いの花が陳列されていたこと。(写真・下)祝の樽酒もズラリと並んでいた。
エレベーターで三階のホールに着くと、その一画がギャラリーで没後10年展の展示場だった。「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」「南極物語」「鉄道員(ぽっぽや)」「網走番外地シリーズ」「君よ憤怒の河を渉れ」「野生の証明」「動乱」「駅」「あなたへ」「ホタル」・・・。
高倉健は男が惚れるほど格好いい。そして、あの孤独感がたまらない。没後10年展には愛用のサングラスや、グッチの旅行鞄、書き込みの入ったシナリオなどが展示されていたが、撮影禁止。
高倉健の映画は何度でも観たい。観ると、いつも、生きることの味わい深さを感じ、勇気が湧いてくる。(高倉健、2014年11月10日歿。83才)