2024年12月14日土曜日

わが人生の掉尾を飾る2大特集企画/ステレオ時代neo7号発売

 今朝、アマゾンを開くと「ステレオ時代」neo7号の発売記事が掲載されていた。
「ステレオ時代」は澤村編集長と1~2名のスタッフで取材を行っている。他のオーディオ誌のようにオーディオ評論家は登場しない。
音楽・オーディオ誌の名門というと音楽の友社があるが、同社で出版している「レコード芸術」は休刊。「音楽の友」は不定期という厳しい現状である。「ステレオ時代」には澤村編集長の取材記事に固定読者がついているのが、継続出版できている要因だと思われる。
「ステレオ時代」は他のオーディオ誌と比較するとカセットテープオーディオに関する記事が多いのが特徴である。私はTDKでカセットテープの商品企画の仕事をしてきた関係で澤村さんには随分お世話になった。
7号には「カセットテープの頂点、MA-R誕生の真実」と「世界初の音楽カセット、TDK SDカセット開発こぼれ話」が掲載されている。私が現役の頃、お世話になった技術者の方に登場していただいた。技術者の話を聞いて、今さらながら技術の重要性を認識した。その方々を相手に当時、こんな音のカセットを作ってくれとお願いをしていたのである。なんと恥しらず、世間しらず、と自分を恥じた。
当時、技術者の方から、「音楽やオーディオを学んでない畠山をどうして商品企画の責任者
にしたんだ」と私を起用した上司は聞かれたという。その時、上司は「畠山君はセンスがある」と答えた、私が商品企画の責任者になれたのは「ご縁」としかいいようがない。私も82才。澤村さんとの取材共同企画もこれが最後ではないかと思う。その掉尾を飾る2大企画だった。
(写真は「ステレオ時代」neo2号の取材風景。右が畠山。TDK本社にて)




2024年12月11日水曜日

パソコンクラブ来年も続けよう!ビールの魔力


3年前からOBの組織である社友会パソコンクラブの幹事になった。
私は技術者ではないし、パソコンに詳しいわけでもないのだが、会長が現役の頃の上司で、私を幹事に推薦した。私のような素人が一人いても良いのではないかと思ったのではないだろうか。最盛期は月例会に20名ほどの参加者がいたというが、最近は6~8名であり、参加者の減少を食い止めたいということもあったと思う。
幹事になって思ったが、月例会のテーマがなかなか見つからない。今さらワードでも、エクセルを学ぼうでもない。また、今はパソコンではなく、スマホの時代なのである。私のようにPCデポに入会して、パソコンやスマホの操作に困ったら、彼らに相談して解決してもらうというOBもいる。
事務局を担当しているⅠさんは昨年からZOOMを導入して、ネットでも参加できるようにし、60名の登録メンバーに参加を呼び掛けているが、ほとんど反応がない。登録メンバーが高齢化しているのである。
衰退一方のパソコンクラブの忘年会が10日、13時~秋葉原の「銀座ライオン」で開かれた。Ⅰさんは、内心で今年の忘年会を最後にパソコンの事務局を降りようと思っていた。集まったメンバーは8名。なんと会長が都合で欠席。幸い前会長のNさんが参加。ビールで乾杯すると俄然話は盛り上がった。Sさんが、社友会の新年会もいいが、このような小人数の方が面白いね!予定の2時間はアッという間に経過。Ⅰさんの「来年もパソコンクラブ続けましょう!」で幕となった。ビールの魔力は凄い!

2024年12月8日日曜日

義弟は妻の17音の宝石箱の中で生き続ける。

義弟、伊藤猛さんが亡くなったのは今年の5月だった。75才。私が見舞う間もない急死だった。謙虚で聡明な義弟だった。
昨日、ピアノの上に「対岸」という本が乗っていた。短歌・随筆の同人誌だった。妻がこんな本に興味があるのかと不思議だった。開いて見てわかった。義弟の妻、伊藤美津子さんが妻に送ってきたものだった。
「対岸」を開くと”創刊38周年記念コンクール作品入選発表”とある。俳句の部・最優秀賞1篇「蛍」伊藤美津子とある。15作からの5作を拾う。
 
 もう少し生きたし蕗の薹苦し
 夏椿ぽとりと白き命なり
 まだぬくき御魂との帰路月曨
 黒服の汗の真珠外しけり
 秋田杉のやうな人逝き虹立てり

「私は一連の作品を読んで命の悲しさを思った。その哀しみを強く押さえている。抑えて抑えて抑えきれない悲しみが17音になったような作品群であった」選者、今瀬剛一氏はこう評している。
今まで美津子さんが俳句を詠んでいたとは知らなかった。葬儀を耽々と仕切っていた美津子さん、その心の内には抑えても抑えても抑えきれない悲しみがあったことを知った。美津子さんは受賞の言葉の中で「私にとって俳句は宝石箱のような物」と語っている。17音の中で今後も猛さんが生き続けるのではないか。と思うとホッとした。

2024年12月5日木曜日

レクサス最高級車で箱根へ

2日(月)、9時、「ピンポン」とドアのベルが鳴る。
ドアを開けると義弟の笑顔。玄関前に大きな車が停車している。義弟が運転手付きの高級車で迎えにきたのである。後部座席に座ると、車は音もなく滑るように走りだす。「いや、凄い車だね。いくらしたの?」「トヨタの高級ブランドレクサスです。価格は千9百万です」「えっ!」と驚く。月曜日ということもあり、牛久から3時間で箱根に着く。驚いたのは3時間乗ったのに全く疲労感がない。家でソファーに座ったまま箱根に着いた感じである。走行安定性、気密性抜群なのである。
芦ノ湖湖畔で昼食を済ませ、箱根神社を参拝し、海賊船に乗る。義弟が特別船室のチケットを買ってくれた。海賊船はご覧のように外人客も含めた乗客で満席。4時ホテルに入る。山北に住んでいる弟が先着していた。風呂に入り、6時~夕食。妹に運転役の森川さんの5人での宴席になった。名目は「兄弟会・忘年会」。小生は会費1万円で、送迎付き。ありがたい身分である。
翌3日は大涌谷に行ったが、晴天に恵まれ富士山が美しかった。次いでガラス美術館に案内していただき、同館で昼食を。ピアノ演奏付の素敵なレストランだった。
箱根は見どころも多く、日本一の観光地といって良いのではないか、と認識を新にした。しかし、レストランにしても、ホテルにしても高い。茨城在住の小生は驚くばかりである。格差社会を実感した一時でもあった。
1時過ぎ、箱根を後にしたわれわれは牛久に3:30到着。旦那がお世話になったというので、家内が手製の「おはぎ」を作って待っていた。豪勢な箱根旅と比較するとわが家は質素である。「兄さん、来年は軽井沢に行きましょう」といって、義弟はレクサスに乗り込んだ。