2024年5月27日月曜日

”縁”もう一度行きたい「盛田昭夫塾」


 昨日、26日、愛知県常滑市にあるソニー創業者「盛田昭夫塾」を訪れた。
常滑市は名古屋から名鉄で40分。伊勢湾に面した知多半島にある。下車してから無料の循環バスに乗る。バスはひなびた街並みを走る。20分ほどしてバスは海岸沿いにさしかかる。右手遠方に中部国際空港が見える。「盛田味の館口」で下車する。案内表示に沿って「盛田昭夫塾」に歩を進める。
塾は広大な盛田家本家の隣にあり、近代的でこじんまりとした建物だった。梶田義之さんが迎えて下さった。私は名刺がわりに私が監修した盛田昭夫さんに関する本をさしだした。
塾はこじんまりとしているが中は宝石箱のようだった。塾は「功績」「歴史」「チャレンジ」「おもてなし」「書籍」といったコーナーに仕切られ、いずれも息を飲むようなものばかりだった。「書籍」コーナーを見ている時、一人の若者が現れた。もっと話を聞きたいと若者が言った。若者は私と梶田さんの立ち話を聞いていたようだ。「野内(のうち)と申します」私は野内さんの名刺を拝見して驚いた。名古屋大学大学院国際開発研究科博士後期課程とある。銀行勤務時代ソニーに勧誘されてソニーに入社。ソニーを退社し、次のステップの為に大学院で勉強中とのことだった。われわれは一瞬にして意気投合。
 
お昼も近いというので梶田さんは「盛田味の館」に案内して下さった。梶田さんおすすめの「みそ田楽」と「みそ煮込みうどん」は絶品だった。食事中、野内さんに「先生」と呼ばれとまどった。野内さんによると「本を書いたり、監修した方は先生です」とのこと。
盛田家本家の伝統をひきついでおられる梶田さん、これからの日本をリードすると思われる野内さんとの出会いは思いがけないできごとだった。
「縁を絆(つな)いだ男」盛田昭夫の衰えぬ神通力を感じた。
(写真、右から梶田さん、野内さん、畠山。写真下はマイケル・ジャクソンが病床の盛田さんを励ますためのメッセージを録音したカセットのインデックス。マイケルの手書き)


2024年5月18日土曜日

白砂青松、温泉宿付グランドゴルフ

 
15日~16日、一泊で牛久グランドゴルフクラブの大会が行われた。男女15名(会員48名)が参加した。15日9時、車体に”白子温泉「青松庭・白砂」”と書かれた迎えのバスに乗った。由緒ありそうな名前だが、グランドゴルフとパック旅行を組むくらいだから、大した旅館ではないだろう。と思っていたが、旅館に着いて驚いた。

女将と若女将が丁重にお出迎え。玄関は和風づくりの堂々たるもの。案内された部屋が立派。出てき料理を見て驚きました。グランドゴルフパックなので、昼はドンブリものくらいではないかと思っていたら「ミニ懐石」である。器も立派である。昼からこんなにご馳走になったら大会も頑張らくてはと引き締まる。昼食後、いよいよ大会。7位まで
は賞品がでるとのこと。なんとか入賞したい、そのためには80台の前半、できれば82~3で回りたい。が、最後優しいパットを外して84。入賞はあきらめた。夕食前に成績発表。「5位、畠山」と呼ばれる。嬉しかった。全員苦労したようである。翌日も午前、大会をやる予定だったが雨のため中止になった。5位入賞も嬉しかったが、思
いかけず、幾多の文人墨客が訪れた九十九里浜を代表する名旅館「青松庭・白砂」に一泊できたのは収穫だった。

私は運動が苦手。ゴルフはここ3年ほど120台。ところが10日、霞台カントリーでプレーしたところ118と120を切ることができた。7年前の記録を見ると117だったので、それに近づいた。下手は下手なりに創意工夫で、まだまだ改善できる。


2024年5月12日日曜日

さすが国際ホテルマン(下)最初のVIPは松下幸之助

 前田さんはホテルマンとして国内のVIPと接したが、はじめて接したVIPは松下電器(現在のパナソニック)の創業者である松下幸之助だったという。
「幸之助氏は藤田観光の役員であった関係で、大阪の松下電器本社から、わざわざ京都国際観光ホテルの理容室に散髪にこられたのです。この時、私は入社して4年目、27才でした。私は幸之助氏のお迎え係をさせられたのです。予め松下電器の総務部から電話が入り、前日、前々日には総務部長、庶務課長など数人が幸之助氏の控室と理容室をチェックしにこられました。控室は4万3千円のスイートルーム。当時の私の月給は2万足らずでした。私はフロント前に幸之助氏をお迎えに上ります。車がご到着すると、ベルキャプテンのツネさんがホテル内にご案内、エレベーターガールの上杉さんが和服姿でエレベーターまでご案内します。スイートルームに入ると大きなガラス窓から二条城の姿が鮮やかに見えます。まるで絵に描いたような光景です。幸之助氏はソファに座られると、京観世の銘菓と、京都一保堂の緑茶を召し上がり、庶務課長と歓談。その後、私は三階にある理容室にご案内しました。理容室のドアを開けると、理容室のスタッフ全員が起立してお迎えしました。理髪を終えられると、幸之助氏は黒塗りのトヨタクラウンにご乗車され帰られました。幸之助氏は小柄で温和、人を圧するようなところは全くありませんでした」
VIPの中には困った方もいたそうです。
「某国の大統領夫人が宿泊することになり、外務省から細かい指示がありました。食事はブタ肉はダメとか、夫人は音大の出身なので、部屋にグランドピアノと最高級のオーディオ装置を置けとかうるさいんです。その費用はホテル負担ですから困ったものです。夫人は靴だけでも何十足も持ってきていましたね。来日の目的は公務ならまだしも観光目的でした。支配人も次回はキッパリお断りするとカンカンでしたね」
前田さんの話は速射砲のように続き、午後2時30分までのランチタイムをオーバー。「どうぞごゆっくり」というレストランスタッフの暖かい言葉を合図に幕となりました。

2024年5月8日水曜日

さすが国際ホテルマン(中)三島由紀夫と会う

 
前田さんの話は次第に熱を帯びる。
「学生時代、三島由紀夫と会いました」
え!私も西宮さんも思わず身を乗り出す。
「上智大学時代、グリークラブの指導をなさっていたジョージ・ラヴさんと親しくなりました。私が構内を散歩している時、ラヴさんがムッシュ・マエダはフランス料理を食べたことがあるかと聞いてきたので、ありません。と答たところ、これから食べに行こうというのです。行先は銀座みゆき通りの三笠会館でした。驚愕しました。三島由紀夫、西武の堤社長、シュル・レアリズムの滝口修造、詩人の谷口俊太郎、作曲家の武満徹、評論家の大岡昇平が居並ぶ席に案内されたのです。私は息もできず、料理の味もわかりませんでした。話題はシュル・レアリズムについてでしたが、良く理解できず、一言も話すことができませんでした。ラヴさんはハーバード大学でレナード・バーンスタインに指揮法を学んだ方で、ナマの日本と日本語を学ぶために来日し、文化人と交流していたんです」
「もう一回ハプニングがありました。同じクラスの高橋君が横綱の朝稽古を見に行く気はあるか。というので、そんなの後援会の会長でもないと見れなんじゃない。というとオレは栃錦の親戚だから大丈夫。とボクの顔を見て笑うのです。栃錦所属の出羽の海部屋には千代の山、羽黒山、出羽錦らの強豪が顔を揃えていた。稽古場に行くと大きな火鉢があり、畳の上に座っている顔ぶれを見て驚愕。昨年入団したばかりの巨人軍の長嶋茂雄、俳優の佐野周二ご夫妻と息子の関口宏が座っているではないか。3人とも立教大学のOBである。思わず高橋君に立教と上智では勝ち目がないね。というと高橋君は”なんのこっちゃ”とう顔をしていた」
前田さんから昭和時代の著名人達との驚愕の出会いを聞き驚くとともに、食事をしながら前田さんから直にお話を聞ける贅沢さを噛みしめるのだった。