2022年9月24日土曜日

多彩な体験、東北、バス旅

 9月15日~17日、父の23回忌があり、実家(秋田)に行った。秋田に行くといえば、車か新幹線、飛行機が一般的だが、今回はバスを利用した。
15日、牛久駅発5:33分発の始発電車で東京へ。5:20分頃、牛久駅に着くと、ホームには多くのサラリーマンが並んでいる。並ばないと着席できないのである。現役時代は私も並んだものである。今回はグリーン車に乗る。2階席でコーヒーを飲み、朝刊を広げた。

池袋バス停近くの喫茶店で駅へ急ぐ通勤客を眺めながら朝食。8:10、仙台行きのバス出発。幸い隣の席は空いていた。乗客は全て、学生風の若者。なにせ仙台までの乗車料金は3,700である。最初の停車地は新装なった佐野サービス

エリア。仙台到着は13:45分。14:00盛岡行きのバスに乗り換える。盛岡から田沢湖線に乗り18:22角館着。
駅前の旅館で夕食。燻りガッコをつまみにビールをいただく。メインは稲庭うどん。さすがに本場はうまい。(写真・上)
角館は前にもきたことがあるが、スッカリ忘れてしまってい

る。16日、早朝武家屋敷見学。東北の田沢湖近くに、このような武家屋敷ができたのはミステリーである。(写真は武家屋敷通りと、青柳家に展示されている甲冑)
17日(土)、羽後本荘始発5:29の電車で酒田へ。2両編成。前の車両は私一人だけ。日本海を右手に見て電車は走る。贅沢な気分。多分平日は学生さんが乗っているのだろう。酒田駅の待合室でサンドイッチを食べ7:40の仙台行きバスに乗る。バスの乗客は若い女性客でほぼ満席。仙台への買い物だろうか?11:35仙台着。昼食後、市内散策。仙台発13:20のバスに乗車。19:55新宿着。
新幹線はスピードが速すぎて途中の景観を楽しむことができない。その点、バスの旅は多彩な体験ができる。と言っても80才の老人には体力的にややキツイのも事実である。

2022年9月19日月曜日

父の23回忌


 9月16日は父の命日。 23回忌だった。
父は1999年(平成11年)9月16日、心筋梗塞で急逝。享年86才だった。
父は畠山家31代目である。家系図によると初代はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13名」に登場した畠山重忠だと言う。
父の子供は5名。長女85才、長男82才、次男80才(小生)、三男74才、次女71才の5名。長男と長女は実家で

ある秋田に住んでいるが、次男、三男、次女は関東である。
9月16日、「悠峰院一顆透禅清居士23回忌法要」が多宝山大蔵寺(秋田県由利本荘市)で行われた。(写真)
墓参をした後、実家に寄る。久しぶりに座敷を見ると海部総理の感謝状が目に入った。旧軍人として戦った父への慰労だった。父は千島列島、シュムシュ(占守)島でソ連軍と対峙し、地獄絵を見た。「最果てのシュムシュの兵舎凍て尽きてふるさと思う北斗七星」父の詩である。もう一枚。安倍総理からのものがあった。平成27年、百歳を迎えた母へのものだった。
沈静化したとはいえ、コロナ第7波の時期であり実行が危ぶまれ
たが、この機を逃しては兄弟姉妹が顔を合わせることはないかもしれないという施主(兄)の思いがあった。幸い天気にも恵まれ、父の思い出を語りあうことができた。次女の伴侶である常陸国出雲大社の高橋宮司も参加し華を添えた。
 残念ながら施設にいる母(104才)への面会は実現しなかった。
 18日(日)、大河ドラマ「鎌倉殿の13名」で畠山重忠は北条義時と生死をかけた一騎打ちをした後、非業の最後を遂げる。それは武士の名誉と誇りをかけた見事な散り際であり「武士の鏡」と後世に伝えられることになった。


2022年9月12日月曜日

茨城発の日本総合伝統芸能集団「喜楽座」

 

11日(日)日本総合伝統芸能集団、井坂斗絲幸社中「喜楽座」の公演が牛久市中央生涯学習センター大ホールで開催された。午前、午後と2回開催されたが、いずれも満席だった。
この集団は牛久市の隣町である阿見町に拠点をおいており「津軽三味線全国大会3年連続2部門優勝!」の快挙を達成した。日本の伝統を守り次世代に受け継いでいくという高邁なポリシーを掲げている。津軽三味線のみならず唄、太鼓、舞踊、箏、時には洋楽器も取り入れ、日本の音楽をより親しみやすく発信する。
同団体は「牛久」「土浦」「阿見」「龍ヶ崎」「つくば」「広島」「浅草」に点在しており、45年間、井坂氏の指導のもとに研鑚を積んできた。当日の企画・総合演出は井坂氏によるものであり、若者達が演奏し、唄い、踊る舞台は聴衆を圧倒した。
同団体はNHK総合テレビにも出演。全国ツアーを実施。日韓交流イベントにも参加している。茨城県が世界に誇る芸能集団である。今後の活動に注目したい。
 写真は当日の舞台。秋田県民謡「新タント節」より。
(この集団、5月12日、私の住む「刈谷ベテランズクラブ」でも、公演の一部を披露。老人達に夢と勇気を与えた。当日のブログで紹介)



2022年9月10日土曜日

健さんとの「ピュア」な 一時


 もう、47年前の話である、私は磁気テープ事業部に新しく設置された商品企画課の責任者になった。商品企画はマーケティング部門である。お客様がどいう商品を欲しているか調査し、技術部門と一緒になって商品を開発し、でき上った商品をオーディオ評論家や専門誌を通じお客様に伝える。
お客様がカセットテープに求めているのは「良い音」だというのが私の方針だった。そのためには聴感評価が大事だというのが私の考え方だった。料理でいえば「味」である。
私の課に健さんがいた。
彼の耳は抜群だった。健さんは文化系の卒業だが「音」という感性を言葉にして表現し、電磁変換特性に落とし込んで技術者と会話することができた。彼のお陰で、音楽評論家やマニアに高い評価を得る商品を次々に開発することができた、「AD」「SA」「MA-R」がその代表作である。
健さんは佐倉市在住。6日、牛久市との中間にある喫茶店で健さんと会った。(写真・上)

久し振りのカセットテープ談義になった。2人の共通認識は「ノーマルポジション」のカセットが一番いい音がするね。だった。ハイポジションは確かに電磁変換特性は優れているが、レコーダとの相性が難しい。「SA」と「Nakamichi1000」の組合せは抜群で異次元の音がした。メタルポジションになると、優れた特性を引き出そうと試行錯誤している途中でCDRが登場し頓挫してしまった。ノーマルポジションのカセットが一番熟成し、音楽を自然に聞かせてくれるので、誰にでも安心してお勧めできるのである。
健さんから、健さんが開発した「オーデイオコード」をいただいた。銅と銀を素材にしたものだという。(写真・中)

健さんはオーディオが好きで、今も「ピュア」な音を求め続けている。人としても「ピュア」である。6日も「ピュア」な一時だった。
その点、自分はオーデイオについてはいいかげんである。晩酌が祟ったのか、痛風にかかってしまった。(写真・下は痛風と血圧の薬)


2022年9月2日金曜日

看板に偽り?エフエム東京開局40周年CD


「カラヤン ベルリン・フィル ライヴ・イン東京1977」というCDを聴いた。曲目はベートーヴェン作曲交響曲第6番「田園」第5番「運命」第9番「合唱」。収録会場は5千名収容の普門館。
キャチフレーズを見るとこうだ!「TOKYO FM開局40周年記念盤」「奇跡的に保存されていたカラヤンBPOのステレオ・ライブ。素晴らしい演奏!凄い音質!」
この演奏は同局の「TDKオリジナルコンサート」で放送されたものだが、そのような説明はない。そこに放送局開局40周年に対する並々ならぬ意気込みを感じる。
ところがである。CDを開封して解説書に掲載された録音プロデューサー東条碩夫氏のコメントを見ると、”これは「第9」をお聴ききになる方のために、あらかじめご諒解を得ておかなくてはならない。実はまさに本番の直前、それまで快調だった収録用のアンプが、突然トラブルを起こし、事実上使用不能になり、復帰も不可能になってしまった。ー略ーこういう場合、われわれがどれだけ惨めな気持ちになるかは、筆舌に尽くしがたい”つまり、録音プロデューサーとしては無念の録音だったと推測される。
実際CDを聴くと、演奏は素晴らしいという見当はつくし、聴衆の反応も良好である。ただ、音ということになると、東条氏の指摘した「第9」は別にしても全体的にクリアさがない。”凄い音質”とは言い難い。
発売元はキングインターナショナルである。同社には昔からお世話になっている。同社の付けるキャッチフレーズは素晴らしい。天才的である。つい買いたくなる。しかし、この度は看板と中身にかなり乖離があると感じたしだいである。
 カラヤン先生も”凄い音質!”だとは感じないと思う……。
 
 解説書に Special thanks to ということで、小生の名前も掲載されている。やや複雑な心境である。