先日、秋田の実家にいる兄からの電話がかかってきた。
「母さん特養に移ってもらった。特養で生涯を終えることになる。コロナもあり、特養は面会謝絶。もう母さんには会えないからな」というものだった。「もう、コミュニケーションはとれないの?」「スマホを持っているわけでもないしムリだな」「手紙は?」「あ、それはあるな。意識はハッキリしているし、字も読める」
秋田にいる姉の話によると、今まで、土日は家に帰りたいといっていた母は最近それを口にしなくなったという。兄夫婦に迷惑をかけたくないためだという。食も極端に細くなり、体重は20数キロしかない。できるだけ食事をとらず、早く来世に行きたいという思いがあるのだという。
100才の誕生祝いの時、「早く父さんに迎えにきて欲しいと思ってるけど、なかなか迎えにきてくれない」と嘆いていた。1999年、父は86才で亡くなった。それから22年も経っている。
最近、母に会ったのは2019年10月である。施設で会うことができた。2020年9月、施設に行ったがコロナで会うことができなかった。このことを気にしていたのか、今年の1月母から電話をもらった。「俊だが、元気だが・・・」その声は弾んでいた。ままならない指先でダイヤルを回したのだと思う。自分の力で電話をかけ、通じたという達成感が感じられた。兄の電話からして、この時の母の声が最後になるのは確実である。
昨日(6日)母に手紙を書いた。「私も今はコロナで外出ができず、母さんと同じく、回想の日々です・・・」。幼少の頃、泣き止まない私を母は土蔵に入れた。小学校まで寝小便をしていた。分家の女の子をいじめて「いくら本家でもひどい」と怒鳴り込まれた。高校時代高熱を出し、母は下宿先に飛んできた。秋田のデンカ(TDK)に就職した時は毎日4時起きして送り出してくれた。結びをどうしようか?迷った。「コロナを克服して東京オリンピックを見よう」ということにした。東京オリンピックを共通の目標にしても不自然さはなかった。79才、私も立派な老人になっていた。
母、チヨミ、1917年(大正6年)生まれ。8人姉弟の長女。19才で父と結婚。5人の子供を育てた。孫14人、曾孫32人、玄孫1人。(写真は父と母)
ところで、今日、やっとワクチンの予約がとれた。接種日は6月26日である。
お母さんがまだ居ること自体がうらやましい!私は92歳で天国へ行ったのを思い出しました。母は意識が無くなって十日ほど経った父の月命日の17日に旅立ちました。びっくりするほどの精神力でした。母は今の本部伊勢堂会会長の石岡家から嫁いで来た人でした。近況お知らせです。ワクチン接種6日一回目完了、二回目は27日です。ワクチン接種終わったらみんな集まり懐かしみましょう!
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