2018年6月24日日曜日

中村紘子が書き残した「日本への提言」

高坂はる香さんが書いた「ピアニスト中村紘子の記憶」を読んだ。
 中村紘子(1944年~2016年)は戦後日本が生んだ名ピアニストであるとともに、国内外のピアノコンクール審査委員長を歴任した。中村はこれらの活動を通じて、日本、日本人のあり方に疑問を投げかけている。
 
 最近、日本のコンクールで韓国が上位を占めているという。
 「(韓国の)国土の狭さも大きな影響を及ぼしていると考えられる。(中略)しかも地続きで北朝鮮が控えている。いつなんどきこの北のファイナテックな独裁者がミサイルを撃ち込むか分からない。そういった緊張感の中で彼らは暮らしているのである。(中略)韓国の才能ある若者たちは、狭く限られた国内よりも国外で生活するために成功を勝ち取ることを考えている。だから常に背水の陣で臨む。この辺りの気概が、のんびりした日本のピアニストの卵達と決定的に違うのではないか」
 と、中村は語っている。これはピアノ業界の話だけではない。スポーツ、経済、政界も吟味すべきだと感じた。

 中村は3才からピアノを習う。15才の時、日本音楽コンクールで1位特賞受賞。16才の時、NHK交響楽団初の世界ツアーのソリストに抜擢される。当時私は18才、N響の大ファン。岩城宏之指揮・N響と中村の協演に秋田の田舎から声援を送った。

 高坂さんの著書を拝見して、青春時代を思い起すとともに、晩年の中村の世界を股にかけ、ピアノ業界の枠を飛び越えた活躍に驚いた。惜しくも中村は1昨年、大腸ガンにかかり亡くなった。
 中村に敬意を表し、1990年、中村が46才の時に録音したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴いてみた。(写真・左)録音のためか、ピアノがやや控え目に聴こえる。ただ、ピアノの高音の美しさと、憂いに満ちた表現に魅了された。バックのスヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団との相性も抜群!


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