2013年10月27日日曜日

コンペ終了、深夜バスで秋田へ

 
(24日、宍戸カントリー。左から阿部君、簾内君、吉田さん、小生)

10月は遊びが忙しい。ゴルフ、音楽シーズン、さらに農繁期が終わり、秋田の中学同級会と続く。
 24日、秋田の母校(高校)のコンペ「鷹農35会」開催。場所は日本ゴルフツアー選手権開催の名門「宍戸カントリークラブ」。秋田から阿部秀夫君、近藤實君もかけつける。(幹事・成田敬吾君)くるぞ、くるぞとマスコミが報じた台風27号の余波で雨に見舞われたが無事終了。小生57、55の最下位。名門だけあってキャデー付。キャデーの吉田さん、お嬢さんが秋田の国際情報大学の学生さんとの事。キャデーをやりながらお嬢さんの学費を稼いでいるのである。
 修了後、愛宕山(笠間市)の山荘で親睦会。私は18時30分に宴会会場を辞して牛久の自宅に向かう。

 自宅で着替えをし、20:00牛久駅に向う。東京発22:00発の深夜バスに乗り、秋田へ行くのである。深夜バス、東京から秋田まで¥5,500で行けるので助かる。乗客は若者ばかり、バスは老人には体力的にムリなのである。(つくづく自分はケチだと思う)
 25日6:30分、横手着。7:15分横手発、本荘行きのバスに乗る。8時40分、実家のある石沢に到着。久しぶりに母と兄夫婦に会い、元気な顔を確認し合う。母96才だが、私の孫達の年齢まで良くご存じ。タジタジである。
 10時50分、中学同級生の佐藤新市君が迎えにくる。母から栗の土産をもらい、実家を出発。(牛久に着いてから、栗の粒の大きさに家内と驚く)
 今回ムリなスケジュールながら秋田に向かったのは13:00からの中学の同級会に参加する為である。と同時に母と兄夫婦に会えるからである。
 12:40分、会場の「鳥海荘」に到着。「鳥海荘」は初めてだが、想像以上に素晴らしい。開演前に急いで温泉に入る。湯がヌルヌルして独特。玄関から温泉に向かう廊下に鳥海山に関する写真が
ビッシリと貼られている。外は台風の影響でガスがかかり景色はなにも見えないが、これらの写真が鳥海山の素晴らしを物語ってくれる。
 同級会には男女18名が参加。人数は年々減ってきているが、人数が少ない方がコミュニケーションが密にとれて嬉しい。
 同級会は16:00終了。私は大場恵二君の車に乗って秋田市に直行。秋田発21時の深夜バスに乗る。このバス、27日(土)早朝、東京着とあって、土日東京で過ごす若者で満席。助かったのは満席の中で良く寝れた事。やはり深夜バスのトンボ返りは疲労がたまるようだ。
 6時過ぎに新宿駅に到着。新宿界隈のビル街を観て、改めて東京の巨大さを認識。
この大東京ができたのも我々日本人の汗の結晶なのだ。2020年東京オリンピック。東京はどう変貌するのか期待に胸が膨らむ。

2013年10月23日水曜日

秋の軽井沢バス旅行

(軽井沢の手前、安中市にある「めがね橋」)

 家内にバス旅行に誘われた。秋の軽井沢バス旅行である。
牛久駅前を7:10出発。
軽井沢の前に旧信越本線、横川駅(峠の釜めしで有名)と軽井沢駅間にかけられた「めがね橋」を観る。明治25年竣工。実に美しい(写真・上)
 12時30分、軽井沢プリンスホテルに到着。ここで昼食。洋食のコース料理。さすがどの料理も上品な味がする。束の間のセレブ気分。ついつい、生ビールを2杯も飲んでしまった。

 昼食の後、旧軽井沢に行く。避暑地の商店街だけあって食品を中心に名店がひしめいている。雨だというのにアジア系の観光客も含めて賑やか。
 その後、「白糸の滝」を観る(写真下)。軽井沢プリンス近辺は紅葉はこれからという感じだったが、浅間山の中腹にある滝周辺は紅葉真っ盛りである。
 軽井沢は現役の頃、勤務していた会社の千曲川工場(磁気テープ生産)、テクニカルセンターがあったので数十回訪れたが、「めがね橋」「旧軽井沢」「白糸の滝」は初めてである。やはり観光地をゆっくり堪能するにはリタイアしてからである。

秋の別荘地を堪能して21時帰宅。奥様、ありがとうございました。

2013年10月13日日曜日

90才、世界最高齢指揮者の名演!

 

 11日、町内の吉野さんから電話をいただいた。「明日のコンサートのチケット2枚ありますが行きませんか」という内容だった。吉野さんご自身は当日ゴルフの予定が入り、そちらへ行かれるとのこと。音楽好きの横浜在住、吉原さんに電話したところ、是非とのことだった。12日、サントリーホールにでかけた。
 ホール入口で音楽評論家・東条碩夫先生にお目にかかる。でがけに先生のブログを見た私は「先生、ニューヨークだったんじゃないですか?」「夕べ帰ってきたんです」とのこと。(ブログには9日のメトロポリタン歌劇場のリポートが掲載されていた)東条先生、安倍総理並み。欧米を股にかけてお忙しい。我々の座席は二階正面、1列目。後ろをみると、前日銀総裁・白川さんがいらっしゃる。

 今日の出し物であるが、スクロヴァチェフスキー指揮・読売日本交響楽団によるブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」。スクロヴァチェフスキーは1923年10月3日ポーランド生まれ。来日中に90才を迎えた世界最高齢の名指揮者である。
 この演奏が素晴らしかった。高齢になると音楽そのものが円熟した味になるのだが、スクロヴァのブルックナーは新鮮で活き活きしている。ブルックナーについてはバーンスタイン、マタチッチ、朝比奈隆といった定評のあるブルックナーを聴いてきた。それらはいずれも重厚でうねるような演奏だったが、スクロヴァのブルックナーは透明感があり、色彩豊か、メリハリがある。定評ある三者のブルックナーをアナログサウンド、スクロヴァはデジタルサウンドといってもよいかもしれない。スクロヴァは若い時フランスで学び、その後アメリカで活躍した。そういったグローバルな活動が彼のブルックナー演奏に反映しているのかもしれない。
 ブルックナーの演奏時間は70分を超える大曲だが、スクロヴァは立ちっぱなしで指揮をした。使命感に溢れた人間は身体も強靭であることを舞台で実証し、会場を興奮のるつぼにした。

2013年10月10日木曜日

ブーニンと佐藤卓史

ブーニンってピアニストだよね、ところで佐藤卓史って誰?実は佐藤卓史もピアニストなんです。
ブーニンは1966年モスクワ生まれ、17才でロンティボーコンクール・グランプリ受賞。19才で国際ショパンコンクール優勝の天才である。
佐藤卓史は1983年秋田市生まれ、2006年ミュンヘンARD国際コンクール特別賞、2007年シューベルト国際コンクール第一位。

 昨日(9日)、東京文化会館小ホールで佐藤卓史のデビュー10周年記念リサイタルがあった。曲目はベートーヴェンの4大ソナタ「悲愴」「ワルトシュタイン」「月光」「熱情」。開演前、文化会館の資料室でブーニンが演奏した同4曲を聴く。これがベートーヴェンかと思えるような流麗な演奏である。それにしても各曲の終楽章は迫力満点。この4曲を一晩で演奏するなんてとんでもないと思った。

 佐藤卓史の演奏を聴く。最初の「悲愴」がはじまった途端、ベートーヴェンの響がした、ベートーヴェンと真っ向勝負の演奏である。この分だと「熱情」ではどうなるうだろうとワクワクした。
 
会場で配布されたプログラムを見ると、佐藤卓史自身が曲目の解説をしている。恐らく音楽評論家などに任しておけないという思いが彼にあったのであろう。その解説を読むと、ピアノ曲こそベートーヴェンの創作の原点だという。また、第一主題を終楽章まで展開して全曲を統一していく構造には驚くと書いている。
 楽曲の透徹した解釈による佐藤のベートーヴェンは一瞬の揺るぎもなく「熱情」が終わると会場は熱い拍手とブラボーの声に包まれた。

 知情意でいうと、ブーニンの演奏は情が勝り、佐藤卓史のベートーヴェンは知、意が勝っているといえよう。いずれにしろ、これからの佐藤卓史は楽しみである。

2013年10月4日金曜日

グランドゴルフ、590名参加

グランドゴルフをはじめたのは2006年、もう8年にもなる。
動機は一緒にシルバーセンターでスーパーの掃除をやっている先輩のすすめだった。
クラブ、ボールは先輩が譲ってくれた。今もその道具を使っている。
毎日、なにかと忙しいので、コースにでるのは月2~3回ほど。それも練習がほとんどで、試合にでるのは年1~2回である。

先日、百人委員会(百人とは百歳までという意味かな?)のコンペが隣の茎崎町(つくば市)であるから参加しないかと誘われた。その大会が昨日(3日)行なわれた。
会場に行って参加者名簿(写真・下)を見て驚いた。6頁にわたってギッシリ書かれている。数えてみると、590名である。大会のサブタイトルをみると、(県南大会)とある。所属クラブの地域名をみると、牛久、つくば、土浦、霞ヶ浦、千代田、取手、龍ケ崎、守谷・・・と県南全域にわたっている。

試合は3コースを回るというもので、パープレーだと72。私は63。入賞は1位から20位まであったが、入賞者のスコアは全員50台だった。
グランドゴルフはゴルフほどのダイナミックさはないが、いつでも気軽にできるのが良い。この日の参加費もわずか¥300で、一日楽しんだ。私は幸いホールインワンがでて、テッシュペーパーをいただいた。

ところで、グランドゴルフは1982年(昭和57年)鳥取県泊町で誕生したという。ヒョットすると、このスポーツ、海外でも普及するかもしれない。