2013年1月7日月曜日

平成の畠山家と北条家、他

(北條家の愛情で育つ3人の孫と、モンゴル捕虜跡地の写真が掲載された堀井さんの賀状)

 私の実家は鎌倉時代の武将、畠山重忠と称している。(兄は重忠から数えて32代目に当たる。)
畠山重忠は1205年(元久2年)北条家との確執で無念の最期を遂げる。

 昭和になって兄洋三は北条家の流れを汲む北條文次郎氏と東京農業大学で会い意気投合、「村の会」に集い、農業の将来を語り合う。
 平成になってから、私の息子が結婚。相手が北條文次郎氏の弟、保夫氏のお嬢さんと分かった時は畠山家と北条家の不思議なご縁に感動した。息子は3人の子に恵まれる。

 今年の正月2日、保夫氏の奥様が拙宅にお見えになった。
奥様は結城市の名門の生まれとのことだが、その行動力には驚く。ゴルフのキャディ、コンビニのバイト、市の業務と掛け持ち、その合間を縫って、海外にゴルフにでかける・・・。話をうかがっていて、大いに刺激を受けた。3人の孫達も奥様の愛情に育まれて元気一杯である。

 もう一つ、刺激を受けたのは牛久市内在住の堀井さんの年賀状。堀井さんのお父さんはモンゴルにある日本人捕虜病院の軍医だったとのこと。昨年、その跡地をみて足が震え、無意識のうちに合掌したとある。今年は捕虜達が運搬された極寒のシベリア鉄道を旅するという。堀井さんは私と同じくらいのご年齢のはず。遊び半分で旅をする私とは覚悟が違う。


0 件のコメント:

コメントを投稿