2011年6月23日木曜日

パソコン&カール・ベーム没後30年

      (押し寄せた観客に応える80歳のカール・ベーム)





 今日(23日)は30度を超える猛暑、しかも節電。パンツ一丁でパソコンに向かう。こんな時に限って、ご婦人の訪問がある。銀行のフィナンシャル担当、それに家内の友人。あわててシャツを着たり・・・。


 ところでパソコンに住所録(筆王)のソフトが入っていないため、住所録が開かない。ついでにノートンもインストール。(13日、¥13,000)今までのパソコンでインストールできなかったi Tuneも解決。


 4日(土)隣町・竜ヶ崎市の音楽愛好会(ゲヴァント・ハウス)の為に、講師として友人の乙黒正昭さん(元日本グラモフォン・プロデューサー)を東京からお呼びした。テーマは「没後30年、巨匠カール・ベーム」。カール・ベームは数度来日しているが1975年、NHKが放送50周年記念としてウィーンフィルとともに招聘したのが有名。この時、NHKは入場券の販売方法をハガキの申込みによる抽選にしたが、応募ハガキはなんと17万通に及んだという。


 演奏会も歴史的な名演となり、終演後、お客様が怒涛のように舞台に押しかけ、ベームはこれに応えて、オーケストラのいない舞台に何度も現れた。(写真・乙黒さん撮影)ベームはこの写真を欧米の公演に持ち歩き、日本での歓迎ぶりを自慢したという。


 乙黒さんは、1975年の来日のとき、福原信夫とともに、ベームのお世話をしという。講演ではホテルでベームと腕立て伏せの競争をしたなどのエピソードを披露。(長時間の指揮に対応するため、ベームは来日の時も毎日腕立て伏せをかかさなかったという)

 乙黒さんの講演は来日時のシューベルトのグレイトのライブCDとともに深い感銘を与えた。

 講演会場(旧映画館)は50名の来客で満席。東京、千葉はもちろん、名古屋、福島からも音楽ファンがかけつけた。


(訂正)前回のブログ。髙橋先生が、ビルマのチョンゾンの地名が掲載された本「インパールの十字架」に出会ったのは昭和63年9月でした。

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