2025年6月5日木曜日

長嶋茂雄さん追悼。ブログ(2025/1)再録&ローマでお目にかかる。

  

1月11日、NHKテレビで「長嶋茂雄の世紀」が放送された。

長嶋茂雄、1936年、千葉県佐倉市生まれ。愛称は「ミスタージャイアンツ」。同時代に活躍した王貞治とはともに「ON砲」と称され、2人のバッティングは巨人のⅤ9に貢献した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初。NPB最多記録となる最多安打を10回獲得。セ・リーグ最多記録となる首位打者を6回獲得した。
ルーキーの1958年、3番サードで先発出場。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫した。その全てが渾身のフルスィングだった。1959年天覧覧試合では、4対4で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋が阪神の2番手、村山実からサヨナラ本塁打を放つ。1968年、阪神とのダブルヘッター第2試合、4回裏、権藤投手が王選手の後頭部にデットボール。次打席の長嶋は33号の3ランを放つ。さらに8回に2ランを放つ。長嶋の仇討ちといわれる。この3つのできごとは長嶋伝説として語り継がれている。
 その長嶋がどうしてアメリカのメジャーリーグに行かなかったか?1966年、日米野球で来日したドジャースのオマリー会長が「長嶋を譲って欲しい。2年間でいい」。しかし、正力松太郎読売新聞社主は「長嶋がいなくなると、日本の野球は10年遅れる」と断った。元祖・大谷翔平ともいえる長嶋茂雄はメジャーリーグに行くことができなかった。

1987年、世界陸上ローマ大会が開催された。TDKはこの大会のゼッケンスポンサーだった。大会期間中、私は同大会の担当としてローマに滞在した。同大会の模様は日本テレビを通じて日本に生中継された。番組のMⅭを担当されたのは長嶋茂雄さんだった。長嶋さんの謙虚で誠実なお人柄は心に沁みた。(写真上。左から小生、長嶋さん。徳田さん)

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