2020年11月27日金曜日

都市対抗野球(東京ドーム)観戦。東北代表TDK健闘

 

25日(水)、小雨の中、東京へ。
東京ドームで都市対抗野球大会がはじまった。
TDK(秋田・にかほ市)が東北第1代表として7年ぶりに全国大会に出場。京都市代表、日本新薬と対戦する。にかほ市は人口2,3万の小都市。その代表が147万の京都市と対戦するのである。
本来であれば、地元秋田から大応援団がバスで繰り出されるのであるが、コロナ禍である。それでも内野スタンドはTDKの応援団でほぼ埋まった。(写真)
試合がはじまり、驚いたのは身近で見る、ピッチャーの球速と打球
の速さである。ナマで見る社会人野球の迫力は凄い。一球一打息が詰まる。高齢の私には刺激が強すぎる。
ピッチャーの打球がキャッチャーミットに収まるバスンという音、打球の鋭さを見ると日本新薬の方が上手のように感じたが、TDKは隙のない守備で応じ、一進一退。TDKは2対1で惜敗。
 惜敗はしたが、強豪と互角に戦った選手に拍手を送りたい。選手達も憧れの東京ドームで力一杯戦い悔いはないだろう。私の元気なうちに、もう一度東京ドームに来て欲しい。
 
翌日の毎日新聞に2点を追う7回の裏2死1塁で適時3塁打を放った北畠選手のプロフィールが紹介された。北畠選手は青森・弘前学院聖愛高1年の時、夏の甲子園に出場。10打数5安打で注目を浴びる。八戸学院大でも首位打者賞、最優秀賞と北東北大学リーグで賞を総ナメにした。自分を必要とし、地元・青森に近いということでTDKに入社したという。
 入社してくれてありがとう。OBとしてお礼を言いたい。


2020年11月24日火曜日

プリンター故障で3連休混乱




19日(木)ベテランズクラブ(老人会)役員会。コロナ禍の中、忘年会、新年会をどうするかが最大のテーマとなった。中止の意見もでたが、忘年会は会員同志がプレゼント品をもちより、交換会をやる。新年会は餅を配布する&琴等の演奏を楽しむということで決着。副会長として、早速、議事録を作ったまでは良かったが印刷の途中、プリンターが故障(20日)。ディスプレイの表示を見ると、メーカー(キャノン)による修理が必要とのこと。21日午前、早速買い求めた(1996年5月購入)ケーズデンキに持ち込む。ここで驚いたのは修理代が¥14,300かかるとのこと、ネットで確認するとさらに商品の運搬費が¥3000かかるとある。
 こうなったら、修理するより新品を購入した方が良い。21日午後、店頭で各社のプリンターを見ると、ブラザー製のものが¥17,000と一番安い。¥850プラスすれば3年間保証しますというので、これに決めた。帰宅してパソコンに接続。快適に動いた。が、23日、電
源を入れると、なぜかプリンターが作動しない。ケーズデンキに出店しているPCデポでチェ
ックしてもらったところ、接続ポジションの1部が前のキャノンに接続されたままだったことが分かった。パソコンではこんなことがよくある。勉強になった。ということで3連休はプリンターで大混乱だった。
 20日(金)午前、グランドゴルフの練習。練習開始は8:30~だが、8:00~グランドの清掃(写真)等、準
備作業がある。これも運動であり、会員同志のコミュニケーションになる。この日は73という好スコアがでた。大会で70代前半が出れば上位入賞確実なのであるが、なかなかそうはいかない。この日も上がりの2ホールが3、4と悪い。これは久々の好スコアを意識したためである。






2020年11月14日土曜日

外山先生のベートーヴェン交響曲全集&「SLによる日本の旅」

 このところ、小生にとってはかけがえのない事柄が進行している。

①TDK元会長、澤部肇さんが書いた本「神田のサンマとニューヨークの青空」が出版された。本によると、澤部さんはTDK創業者、斎藤憲三さんにお目にかかったことはあるが、会話を交わされたことはないという。私は澤部さんと同じ年だが、斎藤さんとは数回会話を交した。社内報を担当していたためである。TDK・OBの中でも斎藤さんや創業当時の方に直に接した方が次々と逝去されている昨今、創業当時のことを書き残し、語り継ぐことは大切であり、責任の重さを感じる。そんな年になってしまった。

②日本の指揮者といえば小澤征爾(85才)がなんといっても有名である。が、日本には89
才で現役の指揮者として活躍している指揮者がいる。大阪交響楽団の名誉指揮者、外山雄三
である。その外山と大阪交響楽団によるチャイコスキーの後期三交響曲が先月発売された。アッと驚く名演である。まさに”巨匠の風格”。縁あって、外山雄三指揮大阪交響楽団CD化プロジェクトの応援をしている。年末にはこのコンビによる「ベートーヴェン交響曲全集」が発売される。これに関連した打合せが昨日、キングインターナショナルで行われた。終了後、うなぎ料理の老舗「かぐら坂”志満金”」(創業150年)でご馳走になった。この日、都内のコロナ感染者は昨日に続き300名を越した。コロナ第3波である。

③9日、刈谷ベテランズクラブで「音で聴く、SL日本の旅」を開催した。講師の行方洋一先生とは綿密な打合せを行った。7日、夜、行方さんは土浦のジャズ喫茶で、「筒美京平を偲

ぶ」イベントを開催していた。筒見さんは一月前、亡くなられた。80才だった。筒美さんは「サザエさん」や「木綿のハンカチーフ」(太田裕実)の作曲者として有名。筒美さんは自分が作曲した曲を録音する時、行方さんを指名した。行方さんによると、何故か、自分が指名されるのは女性歌手の時だったという。行方さんとは講演の内容は勿論、会場である刈谷自治会館へのアクセスまで確認した。9日は40名が参加。SLの爆音と汽笛を聴きながら少年少女時代に想いを寄せた。

2020年11月8日日曜日

神田のサンマとニューヨークの青空


 書店で新刊コーナーを見ていたら、帯にカセットテープの写真が載っている。オーディオ関連の本かと思って手にとったら、表紙に少年の顔。な、なんだ、タイトルは「神田のサンマとニューヨークの青空」ときた、どういうジャンルの本かわからなくなってきた。
 筆者を見て、そうか、そうなんだ!と思った。TDK元会長、澤部肇とある。澤部さんは78才になった今でも少年のような顔をしている。表紙は澤部さんの顔をイメージしたものなんだと納得がいく。本を読んで、タイトルの意味が分かってくる。
 澤部さんが入社した頃(1964)、TDKは中小企業だった。神田の日立別館というビルが本社だった。社員通用口に守衛所があった。老夫婦が住み込みで働いていた。夕方になるとおばさんが七輪にサンマをあげ、パタパタとサンマを焼いていた。
 そのTDKがカセットテープで世界制覇を成し遂げたこともあり、日本経済新聞社の優良企業ランキングで第2位となる(1979)。1982年、ニューヨーク証券取引所に上場。ニューヨークの青空にTDKの社旗が翻る。この時、澤部さんは社長室企画課長として三代目社長・素野福次郎とともに社旗を仰ぎみる。
 読みだすととまらない、「秋田での研修でふるさとに出会う」「”あほはいらん”と言われた玉川事業部」「岩谷さんの千本ノック」「日曜の大歳学校でマネジメントのイロハを教わる」「デミング賞の受審をやめさせた素野さん」「社長の名代として大先輩と対決」「ストライキの前夜、青山で焼き肉を食べていた」「いつも開いていた役員室のドア」「俺はこの人を幸せにできるだろうか」「本社はこれからはニューヨークやな」「”お庭番”扱いで苦労したテープ事業部」「後味が悪かった電池会社買収」「ないないづくしでルクセンブルグヘ」「ロシア債で多額の損失、頭が真っ白に」「ITバブル崩壊、ワークシェアかリストラか」「”できっこない”と鼻で笑われる」「宝くじに当たったATL」「能力の限界、社長を退く」「他流試合、社外役員で鍛えられる」「投資家との付き合いから多くを学ぶ」
 澤部さん、現在、在東京ルクセンブルク大公国名誉総領事、荏原製作所社外取締役、早稲田大学評議会会長。私も澤部さんと同じ1942年生まれでTDK・OBだが、地元老人会副会長の私とは大分立場が違う。が、お目にかかると少年のような微笑みで暖かく接してくれる。