2025年1月25日土曜日

北国の女流歌人、伊藤幸子さん

 
20日、トランプ大統領就任。その後を追うようにフジテレビ問題が露呈。フジテレビ問題はトップの対応が一瞬にして企業を危機に陥れるというテレビドラマ以上の展開で眼が離せない。
そんな中、伊藤幸子さんの歌集「桜桃花」、エッセイ集「口ずさむ時」を久しぶりに本棚から取り出した。「桜桃花」の中の一句である。
  
  明けやらぬあしたにわが曳くリヤカーは重く軋みぬ死せる父乗せて

作者は昭和20年、岩手山の麓で生まれた。16才で父を亡くし、亡骸をリヤカーで運ん
だ。”重く軋みぬ”という言葉にリヤカーの重さに、残された作者の生活環境の厳しさが重なり、慄然とするのである。
 実は伊藤幸子さんは、私の高校時代の親友、伊藤博君の奥さんである。伊藤君は母校、鷹巣農林一の秀才。幸子さんは盛岡二高のご出身。秀才だったに違い。伊藤君は1988年56才で早逝した。
  
  夫の里わが里とも誇りつつ水旨きこと他には譲らず

「口ずさむとき」は2007年から8年間、「盛岡タイムズ」に掲載されたエッセイ416作品を収録したものである。エッセイの冒頭に日本を代表する歌人の作品を配し、その歌に関連した作者の卓越したエッセイが続く。珠玉の数々である。
 モーツアルトを聴きながら、このエッセイを読むのは人生の終幕を迎えた小生の至福の一時である。
(伊藤幸子➡日本歌人クラブ会員、岩手県歌人クラブ幹事、日本ペンクラブ会員)


2025年1月16日木曜日

元祖!大谷翔平「長嶋茂雄の世紀」

 1月11日、NHKテレビで「長嶋茂雄の世紀」が放送された。
長嶋茂雄、1936年、千葉県佐倉市生まれ。愛称は「ミスタージャイアンツ」。同時代に活躍した王貞治とはともに「ON砲」と称され、2人のバッティングは巨人のⅤ9に貢献した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初。NPB最多記録となる最多安打を10回獲得。セ・リーグ最多記録となる首位打者を6回獲得した。
ルーキーの1958年、3番サードで先発出場。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫した。その全てが渾身のフルスィングだった。1959年天覧覧試合では、4対4で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋が阪神の2番手、村山実からサヨナラ本塁打を放つ。1968年、阪神とのダブルヘッター第2試合、4回裏、権藤投手が王選手の後頭部にデットボール。次打席の長嶋は33号の3ランを放つ。さらに8回に2ランを放つ。長嶋の仇討ちといわれる。この3つのできごとは長嶋伝説として語り継がれている。
 その長嶋がどうしてアメリカのメジャーリーグに行かなかったか?1966年、日米野球で来日したドジャースのオマリー会長が「長嶋を譲って欲しい。2年間でいい」。しかし、正力松太郎読売新聞社主は「長嶋がいなくなると、日本の野球は10年遅れる」と断った。元祖・大谷翔平ともいえる長嶋茂雄はメジャーリーグに行くことができなかった。
 テレビでは長嶋茂雄の引退試合の模様も放映された。後楽園球場に並ぶ長嶋ファンの頭上の上に「世界のTDKカセット」の看板が写ったので驚いた。



2025年1月10日金曜日

新年多忙!グランドゴルフ久々の入賞

新年、9日から活動開始。
当日は10時から私が済む刈谷地区シニアクラブ新年会。
平均年齢80才くらいだろうか。と、言う私は3月の誕生日がくると83才になる。
久しぶりに仲間と顔を合わせ、新年のご挨拶。
会長から「東北は雪だというのに今日も晴れ。牛久は地の利に恵まれております。今年も元気で頑張りまよう」との挨拶。秋田生まれの私は故郷の仲間達はどんな新年を迎えたろう?と幼少期の秋田の冬を思い出す。
司会から「11:30には寿司が到着します」という説明があったが、10:30には寿司が配られた。早速ご馳走になりながら、ビールをいただく。新年の昼酒は格別である。
舞台ではカラオケ自慢が次々に登場。仲間の歌を聴きながら役員の方々が差し出す一升瓶からのお酒に盃を差し出す。
帰りは、新年の記念に切り絵クラブが制作した巳年の作品を頂く。(写真)
今日、10日は新年グランドゴルフ大会。ここ数年、新入りの会員も増えた。グランドゴルフは新入りもベテランも男女の差もない。大会で上位に食い込むことは難しくなった。20年近くやっているベテランとして、なんとか面目を保ちたいものである。
メンバーの中には90才だが野球選手だったというスポーツマン、新人だが東京都消防団のレスキュー部隊員だったという筋金入り等、競合がひしめく。結果は34名の参加中、4位だった。10位以内の入賞は数年ぶりである。今年は春から縁起がいい。
明日11日は音楽仲間の「龍ヶ崎ゲヴァントハウス・新春例会」13日牛久シティマラソンの手伝い。14日は会社OBパソコンクラブの例会と続く。


2025年1月5日日曜日

正月、痛快「世界のクロサワ」でリフレッシュ

毎年のことだが、年末年始というとテレビはバラエティ番組ラッシュ。どこをみても「サンマ」「ジョージ」「ざわつくメンバー」。変わったところといえば、池上彰の番組が増えたこと。手軽に2024年を振り返り、2025年を展望できるので助かる。年末恒例の紅白歌合戦は、知らない歌手ばかり。年始に来宅した、30才の孫娘も「私もわからない」というから今年83才を迎えるジジイにわかるはずがない。
正月、最大の気分転換は、録画しておいた「世界のクロサワ」・黒澤明(1910-1998)の3本立て。「七人の侍」(1954)「用心棒」(1961)「椿三十郎」(1962)。その中で輝ていた俳優といえば、やはり三船敏郎(1920-1997)。「七人の侍」の野人のような百姓上がりの侍も良かったが、「用心棒」(写真・上)「椿三十郎」の浪人は凄かったですね。特に「椿三十郎」では40秒で30人を切り倒すという電光石火の殺陣。さらに最終幕、仲代達矢との一騎打ち。長いにらみ合いが続いた後の居合切り。仲代の脇腹からブシュ―と血しぶきが噴き出るシーンは圧巻だった。
この三作品は今まで何回か見ているはずだが、年齢を重ねた現在、その作品の偉大さをより明確に感ずるのである。改めてクロサワの凄さを実感した。
なんと、なんと、1月11日からはBS4Kで、黒澤明、小津安二郎、溝口健二という三大巨匠の作品が4Kデジタル修復版で放映されるという。
4日は笠間市の常陸国出雲大社に初詣(写真)。高橋宮司と昼食。宮司は1992年(平成4)にこの地に神社を建立。30億円の借入をして神社を建立したという。自分が途中で倒れた時のために生命保険をかけたが生命保険の上限は5億円。「つまり、5回死なないと借金を返せない状態からスタートしたんです」と笑う。新年早々壮絶な話だった。現在、常時50名の職員が働いているという。日本一繁盛している神社になったのである。
高橋宮司はクロサワのような天才なのかもしれない。