4月12日、渋谷敏則さん(89才)が亡くなられた。
古いアルバムを見たら、渋谷敏則さんと、一緒の写真がでてきた。
TDKタイムズ・平沢工場編集委員の写真である。(1962・昭37)
前列左端、伊藤公男・総務部長、その隣が渋谷敏則・品質管理課長、後列・左端が小生。新入社員で19才だった。
TDKタイムズは平沢工場が発祥の地だった。(1958・昭33、タイムズは本社統合版となる)私は1963・昭38、本社に転勤になり、5年間、統合版の編集を担当する。
古いアルバムを見たら、渋谷敏則さんと、一緒の写真がでてきた。
TDKタイムズ・平沢工場編集委員の写真である。(1962・昭37)
前列左端、伊藤公男・総務部長、その隣が渋谷敏則・品質管理課長、後列・左端が小生。新入社員で19才だった。
TDKタイムズは平沢工場が発祥の地だった。(1958・昭33、タイムズは本社統合版となる)私は1963・昭38、本社に転勤になり、5年間、統合版の編集を担当する。
渋谷敏則さん、1931・昭6、秋田県由利郡生まれ。1953・昭28、秋田大学鉱山学部電機科卒業。TDK株式会社平沢工場入社 1974・昭49 TDKブラジル社長 1991・平3 TDK退社。1992・平4「TDKの社是・社訓とともに歩んだ人々と小松正一氏の生涯」出版。(写真)
小松正一さん、1919・大8、秋田県由利本荘市生まれ。1933・昭8、同市石沢尋常高等小学校卒。1937・昭12、TDK第1期生として蒲田工場入社。東京工大に通い、フェライトの研究を行う。平沢・市川事業部長、TDK台湾社長。TDK取締役。
渋谷さん、小松さんの共通点は秋田生まれ。お2人ともTDKの社是である「創造によって世界の文化産業に貢献する」の伝承に尽された。(TDKを創立したのは秋田出身の斎藤憲三さん)
ブラジルの初代社長になられた渋谷さん、台湾の初代社長になられた小松さんはその地でいかにTDK精神を浸透させるかに尽力された。渋谷さんは社是・社訓とともに小松さんの言葉である「爪跡を残せ」「物の勝負」を大切にされていた。
小松正一さん、1919・大8、秋田県由利本荘市生まれ。1933・昭8、同市石沢尋常高等小学校卒。1937・昭12、TDK第1期生として蒲田工場入社。東京工大に通い、フェライトの研究を行う。平沢・市川事業部長、TDK台湾社長。TDK取締役。
渋谷さん、小松さんの共通点は秋田生まれ。お2人ともTDKの社是である「創造によって世界の文化産業に貢献する」の伝承に尽された。(TDKを創立したのは秋田出身の斎藤憲三さん)
ブラジルの初代社長になられた渋谷さん、台湾の初代社長になられた小松さんはその地でいかにTDK精神を浸透させるかに尽力された。渋谷さんは社是・社訓とともに小松さんの言葉である「爪跡を残せ」「物の勝負」を大切にされていた。