2026年10月13日火曜日

一振り800万円。世界の小澤の素顔

 
「タクトは踊るー風雲児・小澤征爾の生涯」を読んだ。小澤征爾は․2024年、88才で死去した世界的な指揮者である。著者の中丸美繒さんが、本人および関係者に取材し、一周忌に合わせて刊行した渾身の作品である。音楽関係者でなくとも驚くような内容が詰まっている。
〇最初の妻だった江戸京子はこう語っている。「征爾は強引な人だった。押しも強い。やりたいことを必ずやり遂げるというところがあった。それを男らしいと感じたのでしょうね。その彼がいつも崖っぷちを歩いていた・・・」。「小澤さんは音楽のためには親でも殺す」。50年来、小澤をみてきたセイコーエプソンOB、武井勇二・談。
〇日本フィル分裂事件→小澤が主席指揮者を務めていた日本フィルが待遇改善を求めて労働組合を作った。日本フィルの給料は放送局系の楽員が20万円の時、6万4千円。芸大出身のプロなのに。1972年、小澤は36才で日本芸術院員章受章。片岡仁左衛門や作家の宇野千代と一緒だった。授賞式で小澤は昭和天皇に訴えた。「陛下、日本フィルを助けて下さい。指揮者が国家から最高の賞をもらいながら、そのオーケストラはつぶれそうです」。陛下は「うん、うん」とうなずいた。
〇浜離宮朝日ホールが1992年完成。支配人・志村嘉一郎、談。「岩城宏之とオーケストラ・アンサンブル金沢を呼んだ時は、両方で一公演200万。小澤征爾指揮もやりたかったが、一振り600万~800万。定員552席の小ホールでは、とてもペイできません。
〇2002年、小澤は世界のクラッシック楽壇の最高峰、ウィーン国立歌劇場・音楽監督に就任。この陰にトヨタの財政支援があったのは公然の秘密。レクサス・ブランドの立ち上げに注力するトヨタと、財政危機を打破したいウィーン国立劇場サイドの利害が一致した。勿論、その前提として小澤は指揮界の巨匠、カラヤンとバーンスタインが認めた実力者だった。
〇2002年、小澤征爾が指揮したウィーンフィル「ニューイヤーコンサート」NHKで生中継。小澤征爾の踊るような指揮が日本人を魅了した。TDKコアがこのDVDを発売。10万枚の大ヒット。この年、小生、TDK定年退職。退職記念パーティが有楽町の外国人記者クラブで行われた。参加者80名。私は花束を抱え、小澤・ウィーンフィルのラデッキー行進曲に送られて会場を後にした。



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