2026年9月11日金曜日

軽井沢への旅(1/3)若き日の昭和天皇ご夫妻

 
9月8日(火)8:00、妹夫妻が運転手付きの車で迎えに来た。
義弟と妹が企画した軽井沢2泊3日の旅の初日である。
現役の頃、軽井沢の隣町、佐久市にテープ工場があり、毎月のように佐久に出張し、会社の旅行で鬼押し出しに行ったことはあるが、軽井沢に宿をとり、高級避暑地としての軽井沢を旅するのははじめてである。
車はつくば・うしくインターから首都圏連絡道に乗り、関越道、上信越道を通って軽井沢へ向かう。生憎の雨である。車中、義弟と残りの人生について話合う。義弟は自分の事業の歴史を後継者に残すために記録映画を作るという。
11時30分、軽井沢駅到着。ここで小田原から新幹線で駆け付けた弟と合流。昼食。雨の中、白糸の滝に向かう。平日、雨にもかかわらず、白糸の滝の駐車場は一杯だった。その後、万平ホテルに向かい、レストランで一休み。名物といわれているアップルパイをいただく。分厚いパイをほうばると豊穣なリンゴの味が染みわたる。
3時に会員制のホテルにチェックイン。
時間が早いせいか、広々としたホールには誰もいない。(写真・左)
というか会員制のホテルは会員しか使用しないので、ザワついたところがない。
ホールの一郭に軽井沢を訪れた皇室ご一家の方々の写真が飾られていた。地元の写真館のご厚意によるものだという。思いもかけず、若き日の昭和天皇ご夫妻の写真を拝見することができた。(写真・上)
通された部屋には立派な檜風呂が設置されていた。大浴場もあるが、折角の機会なので、檜風呂に入ってみよう。(写真・右)


2026年9月3日木曜日

大記録達成!グランドゴルフ練習ラウンドの奇跡!

 
牛久GG(牛久グランドゴルフ・会員50名)は毎週月・水・金、練習ラウンドを行っている。1ラウンド8ホールを4回プレーする。全32ホール。1ホールパー3なので、パー96である。
9月2日の練習ラウンド4ラウンド目で奇跡が起こった。
私(畠山)は大瀧さん、柴田さん、金子さん(女性)と4人でプレーしたが、4ラウウド目の1番ホール、15mで4人ともホールインワンを達成した。ゴルフでいえば4人でプレーをして、15mのロングパットを4人ともワンパットで入れたということである。このホールの打順、私は柴田さん、金子さん、大瀧さんに次いで4番目だった。3人に連続してホールインワンをやられると、さすがに意識する。「意識するな、力むな」と自分に言い聞かせてボールを打った。ボールはピンにからんで止まった。やった!思わずガッツポーズ。
 柴田さんは30年以上、グランドゴルフをやっているがこんなことは初めてだという。①が4つ並んだスコアカードは美しい。(写真・上)
 4人のスコアの総合計が72+73+53+84=282というのも凄い。一人平均70である。70というのは大会で3位まで入賞可能なスコアである。これも牛久GG、最高の記録と思われる。
 中でも柴田さんの53というスコアは桁違い。60代を出せば優勝圏内なので、異次元のスコアである。柴田さんはこれまでの最高スコアが50だというが、この日の53というスコアも破格である。ところで、柴田さんは今年の11月で90才になる。
グランドゴルフは90才でもレベルアップが可能な素晴らしいスポーツである。
 畠山にとっても上がり1、2番ホール連続ホールインワン、トータル72というスコアは2~3年に一回しかでない好スコアだった。

2026年9月1日火曜日

やったぜ!社会貢献。秋田とTDKを結ぶ「文化講演会」


 9月は実に盛沢山である。
8日、義弟が計画した「兄弟・軽井沢旅行」。
13日、サッポロビール銀座店で、高校同窓会。
19日、市ヶ谷で、首都圏秋田県人会主催の「文化講演会」
26日、TDK社友会取材(記者2名が牛久まで取材に来られる)

中でも19日の「文化講演会」は、私のアイディアによる企画である。
秋田県内では、TDKが秋田出身の齋藤憲三氏が設立した会社である、ということはかなり知られていると思うが、首都圏に住んでいる秋田出身の方はほとんどご存知ない。そこで思いついたのが、TDKトップによる県人会での講演会だった。
昨年、首都圏秋田県人会の菊池会長にお話ししたところ「講演されるのは子会社(秋田)の社長さんですか?」と聞かれたので「TDK本体のトップです」と話したところ「え、それは凄いですね」ということだった。
TDK前会長の石黒さんに、この話をしたところ、「畠山先輩、お引き受けします」ということになった。
その講演会が19日、市ヶ谷で開催されるのである。
講演会のタイトルは「秋田発グローバルカンパニーTDK~その成長の物語」である。
カセットテープのTDKは今、AI産業を支える電子部品メーカーとして絶好調!年間売上は2兆5千億である。
「文化講演会」をきっかけに両者の絆が深まり、今後の秋田とTDKの発展につながれば幸いである。

2026年8月25日火曜日

スティービー・ワンダーが選んだTDKカセット

 私も84才、音楽・オーディオ関係のものを整理する時期になった。
まずは、LPレコードである。LPレコードは素晴らしい音が収録されているのであるが、その音をCD並以上に再生するのは至難の業である。アナログ再生では防ぎようがない回転ムラが起因のワウフラッター(音ゆれ)、それに加えてチリ、ホコリが起因のプチノイズ、盤面の内周、外周の違いが起因となる音質の差・・・。やはりデジタルにはかなわない。
LPレコードの美しいジャケットや、読み安い解説には未練があるが、処分することにした。
その過程で盲目の名歌手スティービー・ワンダーのアルバムがでてきた。
スティービーの「ザット・ガール」は彼にとって通算32曲目のトップ10(ビルボード誌HOT 100)ヒット。これはエルビス・プレスリーの38曲、ビートルズの33曲に次ぐ歴代第3位の記録である。
TDK・米国の総支配人だった上田和男さんはスティービーにTDKカセットのコマーシャルに出演して欲しいと交渉する。(写真)その時、スティービーは、「貴方たちが私を選ぶ前から、私の選択はTDKカセットでした」と答え、上田さんの申し出を快諾した。スティービーはメロディが浮かぶとカセットテープに吹き込む。そのカセットはTDKだったのである。
アルバムを開くと、「音楽の心を、そのままに。TDKカセット・ニュー・ラインナップ」という帯がついている。
TDKカセットテープの商品企画を担当した私としては、このLPを捨てることができない。
上田先輩は残念ながら2024年、亡くなられた。

2026年8月15日土曜日

オリックス・中嶋聡監督の母校、鷹巣農林同窓会

私は秋田県立鷹巣農林高校の卒業生である。
鷹巣農林高校といっても知っている人は少ない。
私の家内でさえ、「お父さんの学校、金足農業だっけ?」と聞くくらいである。
「違うよ、オリックス中嶋監督の母校、鷹巣農林だよ」という具合である。
鷹巣農林は平成25年(2013)閉校になった。しかし、同窓会は続いている。同窓会の首都圏の支部は「東京伊勢堂会」という名称である。
「東京伊勢堂会」は昭和41年卒業の岩崎準志郎さんが会長である。私は昭和35年卒業なので私より6歳年下78才である。7月25日、東京伊勢堂会の役員会が、サッポロ銀座ライオンで開催された。その席で、副会長をやるよう要請された。もう昭和30年代卒業生のでる幕ではない。といったが、全員の推挙なので、逃げ場がなかった。
8月1日急遽、北秋田市で開催された、本部の同窓会に出席した。
参加者は50名。県議会議員1名、前市議会議員2名、現市議会議員5名と議員の数の多さに驚いた。北秋田市の同窓生は農林高校の本流。地元で名士になった方々が多い。
佐藤会長から主賓の挨拶をするよう要請された。「傍流である東京伊勢堂会の同窓生も岩崎会長を筆頭に鷹巣農林魂を忘れず元気にやっている」と挨拶した。
帰り、鷹巣駅に向うシャッター通りの悲惨さに驚いた。秋田行きの特急列車に乗車。乗降客は私を入れて3人。沿線に展開する米代川の悠々たる流れと、山林の濃い緑は68年前の昔と変わらない。「山美しく、街はシャッター通リ」とう思いがよぎった。
同窓会に参加した議員の方たちは、この現状をどう思っているのか、次回の同窓会で聞いてみたいと思った。(写真は挨拶する佐藤英樹会長)

2026年8月8日土曜日

「高市さん憲法をアップデートとおっしゃったけど大丈夫かしら」岩澤さんのつぶやき

 
7月28日、西宮さん、岩澤さんにお目にかかった。
場所は西宮さんの母校、田町の慶応義塾大学だった。
三人が合流した目的は共通の知人であるアメリカ在住のジャーナリスト、佐藤さんに「ジャーナリストとしての経験談」をまとめて欲しいという提案をしようというものだった。
記録を残すということは大切である。慶応義塾大学も福沢諭吉の記録であり遺産なのである。
ところで、話し合いの中で、岩澤さんの「高市さん、憲法をアップデートとおっしゃったけど、大丈夫かしら」というつぶやきが気になった。つまり、憲法は国のあるべき基本である。
世情に合わせて、都度改訂する末端の法律とは次元が違う、アップデートという言葉は似合わない。岩澤さんは元・英国大使館広報担当であ
る。さすがだと思った。
7月27日は中西さんにお会いした。
中西さんは昭和を彩った著名なボーカルグループの録音エンジニアである。中西さんに新橋の炉端焼店「武蔵」を案内していただいた。
このお店は、魚、野菜、肉などのネタを前に和服に帯を締めた職人さんが陣取っており、客の指定したネタを焼いて、なが~い差し棒のお盆に載せて、お客さんに届ける。握り寿司の走りだという。
「武蔵」は日本の食文化を伝承するもので、お店のノウハウも詰まっているようであり、写真撮影禁止だという。「武蔵」は外人客が多いという。




2026年8月4日火曜日

美輪明宏(丸山明宏)さんとの思いで

 
美輪明宏さんが6月20日、亡くなられた。91才だった。
美輪さんとは思いでがある。
私は昭和38年(1963)から42年まで社内報「TDKタイムズ」の編集を担当していた。
「私のアシスタント」という企画があった。これはTDKテープ(当時、シンクロテープ)を愛用している有名人にインタヴューする企画だった。
昭和40年、私は美輪さんのご自宅を訪れて取材し、銀座にある「銀巴里」で原稿のチェックをしていただいた。
原稿の一部を紹介しよう。(1971年、丸山さんは姓を美輪に変えた)
「僕は一匹狼です」レースのようにかぼそい姿体をした丸山さんがこう語った。メケメケは新しい風を芸能界に吹き込んだ。このため、たちまちマスコミの注目を浴びたが、一部の評論家の激しい批判を受け、丸山さんは窮地に追い込まれた。しかし、丸山さんは屈せず、自分の創り出した世界を守り続けた。丸山さんは亜流ではない自分だけの歌に自信と愛情を持っていた。そして、その愛情は舞台の厳しさととなって表れる。「僕は舞台でも自分のすべての力を出しつくすようにしています。ですからいつ死んでも悔いはありません」一時は異端児あつかいさえされた丸山さんも、最近では、その独特な個性の心ゆえに再びマスコミのスポットを浴びるようになった。どうしてだろうか。「世の中の流れが小川から大河になったんでしょう」といって白い狼は静かな笑みを浮かべた。
 丸山さんは長崎生まれ。10才の時に原爆の洗礼を受けた。この頃からピアノと歌の個人レッスンを受け、さらに国立音楽大学で声楽を学んだ。また、この間、二百曲近い曲を作詞作曲した。最近ヒットした「ヨイトマケの歌」もその中の一つだ。
(写真:丸山さんの自宅で畠山が撮影)