19日、新大阪6時39分発の新幹線に乗車し名古屋に向かう。名古屋で名鉄に乗り換えて名鉄・知多新線上野間駅へ。伊勢湾に面した知多半島の先端(常滑市)である。
上野間駅から盛田昭夫氏が誕生した盛田家を目ざしてひたすら歩く。湾岸沿いで人家は見当たらない。途中、右手に墓地が見えた。ここに盛田家の墓地があるのかもしれない。
盛田家に隣接して盛田昭夫塾がある。2024年5月、私はこの塾を訪れて盛田昭夫塾生となった。2年前に塾を案内して下さった梶田さんが、今回も案内して下さった。「上野間駅から来るとき、墓地があったが、あすこに盛田家の墓地があるのですか?」と尋ねると、「違います。案内しましょう」。盛田家の墓地は盛田家の後ろの高台にあった。盛田家の墓地の前に「盛田株式会社・物故者従業員慰霊塔」(写真・左上)という石碑があった。盛田家の墓地の向かい側の丘には盛田家が地域の融和と隆盛を願って創建したという白山神社がある。
私は「ソニー神社」の原点はこれだ。と、直観した。
盛田会長はソニー創業当時の社員861名の御霊を鎮めるために「ソニー神社」を創建した。それは盛田家が代々、神社を護り神とし、従業員を大切にしてきたという、盛田家の伝統を継承したものなのである。
その真意を汲みとらずに、「ソニー神社」を解体した盛田会長以降の経営者は倫理的に糾弾されてもしかたがない。盛田会長との誓いを守りソニー神社を再建した(写真・左下)常陸国出雲大社の高橋宮司の姿勢は崇高である。
上野間駅から盛田昭夫氏が誕生した盛田家を目ざしてひたすら歩く。湾岸沿いで人家は見当たらない。途中、右手に墓地が見えた。ここに盛田家の墓地があるのかもしれない。
盛田家に隣接して盛田昭夫塾がある。2024年5月、私はこの塾を訪れて盛田昭夫塾生となった。2年前に塾を案内して下さった梶田さんが、今回も案内して下さった。「上野間駅から来るとき、墓地があったが、あすこに盛田家の墓地があるのですか?」と尋ねると、「違います。案内しましょう」。盛田家の墓地は盛田家の後ろの高台にあった。盛田家の墓地の前に「盛田株式会社・物故者従業員慰霊塔」(写真・左上)という石碑があった。盛田家の墓地の向かい側の丘には盛田家が地域の融和と隆盛を願って創建したという白山神社がある。
私は「ソニー神社」の原点はこれだ。と、直観した。
盛田会長はソニー創業当時の社員861名の御霊を鎮めるために「ソニー神社」を創建した。それは盛田家が代々、神社を護り神とし、従業員を大切にしてきたという、盛田家の伝統を継承したものなのである。
その真意を汲みとらずに、「ソニー神社」を解体した盛田会長以降の経営者は倫理的に糾弾されてもしかたがない。盛田会長との誓いを守りソニー神社を再建した(写真・左下)常陸国出雲大社の高橋宮司の姿勢は崇高である。
盛田家・味の館で、梶田さんに、名物の「煮込みうどん」をご馳走になった。盛田家伝統の味噌の味が染みこんだ逸品だった。京都、大阪、名古屋の旅は無事終了した。











