2026年9月22日火曜日

義兄94才で逝く。北上線土砂崩れのハプニング

 
9月は8日から軽井沢旅行を計画していた。
2日の夕刻である。秋田に住んでいる義兄の訃報が入った。5日、横手市で告別式を行うという。94才だった。4日出発。横手に2泊という計画を組んだ。
告別式の場所だが、家内が聞いた場所は横手の県霊会館だという。ネットで調べたが、そのような場所は見つからない。横手市役所に電話をして判明した。県霊会館は典礼会館の間違いだった。典礼会館は横手駅から徒歩100m。会館かあら100mの所にホテルがある。運よく予約できた。徒歩圏内で用件を済ませることができる。
JRのコースであるが、行き帰りとも新幹線で北上まで行き、北上・横手間は在来線の北上線を使用することにした。
4日、新幹線は13:22北上着。北上発13:42発横手行の北上線に乗り換える。
ここで異常に気がつく。電車の行先が「ほっとゆだ」とある。
運転席に行き、車掌に聞いたところ、こうだった。「県境で土砂崩れがあり、電車は途中までしか行きません。ほっとゆだからバスの代替運行がありますが4時間待ちになります」(写真・左)とのことだった。ほっとゆだでタクシーの運転手さんから、横手まで1万円で行きますがどうですかと声をかけられたが、お断りした。
ほっゆだ駅に隣接した温泉に入り、辛抱強く待つ。
午後3時、横手着の予定が7時30分になってしまった。
5日は秋田には珍しい晴天。火葬、告別式等、全て計画通りに終了。義兄は天国に旅だった。
帰りは横手から大曲へ行き、秋田新幹線「こまち」に乗車。無事帰京した。

2026年9月14日月曜日

軽井沢の旅(3/3)お金持ちの避暑地










軽井沢の旅、3日間とも雨でした。
私は3日間とも早朝5時30~6時、ホテルをでて旧軽井沢の銀座通りを散歩しました。昼は観光客でにぎわう銀座通りも誰もおりません。(写真・上)皇太子殿下が美智子妃殿下とお知り合いになったテニスコートにも足を運びました。それは昭和生まれの私には贅沢な時間でした。
軽井沢はお金持ちの避暑地という印象でした。なにしろ、軽井沢は物価が高い。食べ物屋さんですが、庶民に馴染みのうどん屋とか、回転寿司とか、牛丼屋といったチェーン店はみまけませんでした。お蕎麦屋さんは多いのですが、昔からのお店が多いのです。
こんな事がありました。
旅行中、妹の靴の底がはがれてしまったのです。
妹夫妻は靴の専門店で靴を買いました。値段を聞いてビックリ。2万5千円でした。
お金持ちが暮らす軽井沢も若者や私のような年金生活者にとっては非日常であり、観光地です。特に女性客が目立ちました。平日、連日雨というのに観光客で一杯でした。軽井沢は避暑地であるとともに、観光地です。その立ち位置を自覚した立派な町だと思いました。それを象徴しているのがJR軽井沢駅です。トイレの床まで大理石でした。





2026年9月13日日曜日

軽井沢の旅(2/3) 藤田嗣治と黒柳徹子

 
2日目も雨だった。
しかし、軽井沢は雨でも見どころ一杯である。
朝食後、まずは鬼押し出しへ。軽井沢は標高千メートルの高地である。霧が出ることが多いという。弟が鬼押し出しに行ってみたいと言っていたのでダメ元で目指す。幸い雨は小降りとなり、霧もなく溶岩が織りなす芸術を存分に味わうことができた。
 安東美術館に向かう。巨匠・藤田嗣治生誕140周年特別企画「ニューヨークの藤田嗣治」が
開催中である。藤田はパリで最も愛され日本人画家だという。藤田はニューヨークで猫をテーマに新境地を開いた。猫を擬人化した「猫の教室」(1949)はユーモアに富んでいる。(写真・上)藤田は1937年(昭和12)秋田の大地主、平野政吉の依頼で「秋田の行事」という大壁画(タテ3.65mヨコ20.5m)を描いた。秋田出身の小生としては是非見てみたい。
その後、「故里は遠きにありて思うもの」で有名な室生犀星の記念館を訪ねる。(左)歩いて通るのがやっとと思える裏道から入った。安東美術館とは対象的な古びた日本家屋だった。室井の詩に相応しいと感じた。
 夕刻近く、2025年開館した「黒柳徹子ミュージアム」に行く。実在する人物が自分のミュージアムを作るのは珍しいと義弟は語る。展示品は徹子さんが自ら集めた美術品や衣装などである。中でも歌番組「ザ・ベストテン」などで着用した森英恵デザインのイブニングドレスは見事だった。その華麗さはテレビの画面で感じとることはムリである。芸術品とも思える衣装に深い感動を覚えた。

2026年9月11日金曜日

軽井沢への旅(1/3)若き日の昭和天皇ご夫妻

 
9月8日(火)8:00、妹夫妻が運転手付きの車で迎えに来た。
義弟と妹が企画した軽井沢2泊3日の旅の初日である。
現役の頃、軽井沢の隣町、佐久市にテープ工場があり、毎月のように佐久に出張し、会社の旅行で鬼押し出しに行ったことはあるが、軽井沢に宿をとり、高級避暑地としての軽井沢を旅するのははじめてである。
車はつくば・うしくインターから首都圏連絡道に乗り、関越道、上信越道を通って軽井沢へ向かう。生憎の雨である。車中、義弟と残りの人生について話合う。義弟は自分の事業の歴史を後継者に残すために記録映画を作るという。
11時30分、軽井沢駅到着。ここで小田原から新幹線で駆け付けた弟と合流。昼食。雨の中、白糸の滝に向かう。平日、雨にもかかわらず、白糸の滝の駐車場は一杯だった。その後、万平ホテルに向かい、レストランで一休み。名物といわれているアップルパイをいただく。分厚いパイをほうばると豊穣なリンゴの味が染みわたる。
3時に会員制のホテルにチェックイン。
時間が早いせいか、広々としたホールには誰もいない。(写真・左)
というか会員制のホテルは会員しか使用しないので、ザワついたところがない。
ホールの一郭に軽井沢を訪れた皇室ご一家の方々の写真が飾られていた。地元の写真館のご厚意によるものだという。思いもかけず、若き日の昭和天皇ご夫妻の写真を拝見することができた。(写真・上)
通された部屋には立派な檜風呂が設置されていた。大浴場もあるが、折角の機会なので、檜風呂に入ってみよう。(写真・右)


2026年9月3日木曜日

大記録達成!グランドゴルフ練習ラウンドの奇跡!

 
牛久GG(牛久グランドゴルフ・会員50名)は毎週月・水・金、練習ラウンドを行っている。1ラウンド8ホールを4回プレーする。全32ホール。1ホールパー3なので、パー96である。
9月2日の練習ラウンド4ラウンド目で奇跡が起こった。
私(畠山)は大瀧さん、柴田さん、金子さん(女性)と4人でプレーしたが、4ラウウド目の1番ホール、15mで4人ともホールインワンを達成した。ゴルフでいえば4人でプレーをして、15mのロングパットを4人ともワンパットで入れたということである。このホールの打順、私は柴田さん、金子さん、大瀧さんに次いで4番目だった。3人に連続してホールインワンをやられると、さすがに意識する。「意識するな、力むな」と自分に言い聞かせてボールを打った。ボールはピンにからんで止まった。やった!思わずガッツポーズ。
 柴田さんは30年以上、グランドゴルフをやっているがこんなことは初めてだという。①が4つ並んだスコアカードは美しい。(写真・上)
 4人のスコアの総合計が72+73+53+84=282というのも凄い。一人平均70である。70というのは大会で3位まで入賞可能なスコアである。これも牛久GG、最高の記録と思われる。
 中でも柴田さんの53というスコアは桁違い。60代を出せば優勝圏内なので、異次元のスコアである。柴田さんはこれまでの最高スコアが50だというが、この日の53というスコアも破格である。ところで、柴田さんは今年の11月で90才になる。
グランドゴルフは90才でもレベルアップが可能な素晴らしいスポーツである。
 畠山にとっても上がり1、2番ホール連続ホールインワン、トータル72というスコアは2~3年に一回しかでない好スコアだった。

2026年9月1日火曜日

やったぜ!社会貢献。秋田とTDKを結ぶ「文化講演会」


 9月は実に盛沢山である。
8日、義弟が計画した「兄弟・軽井沢旅行」。
13日、サッポロビール銀座店で、高校同窓会。
19日、市ヶ谷で、首都圏秋田県人会主催の「文化講演会」
26日、TDK社友会取材(記者2名が牛久まで取材に来られる)

中でも19日の「文化講演会」は、私のアイディアによる企画である。
秋田県内では、TDKが秋田出身の齋藤憲三氏が設立した会社である、ということはかなり知られていると思うが、首都圏に住んでいる秋田出身の方はほとんどご存知ない。そこで思いついたのが、TDKトップによる県人会での講演会だった。
昨年、首都圏秋田県人会の菊池会長にお話ししたところ「講演されるのは子会社(秋田)の社長さんですか?」と聞かれたので「TDK本体のトップです」と話したところ「え、それは凄いですね」ということだった。
TDK前会長の石黒さんに、この話をしたところ、「畠山先輩、お引き受けします」ということになった。
その講演会が19日、市ヶ谷で開催されるのである。
講演会のタイトルは「秋田発グローバルカンパニーTDK~その成長の物語」である。
カセットテープのTDKは今、AI産業を支える電子部品メーカーとして絶好調!年間売上は2兆5千億である。
「文化講演会」をきっかけに両者の絆が深まり、今後の秋田とTDKの発展につながれば幸いである。

2026年8月25日火曜日

スティービー・ワンダーが選んだTDKカセット

 私も84才、音楽・オーディオ関係のものを整理する時期になった。
まずは、LPレコードである。LPレコードは素晴らしい音が収録されているのであるが、その音をCD並以上に再生するのは至難の業である。アナログ再生では防ぎようがない回転ムラが起因のワウフラッター(音ゆれ)、それに加えてチリ、ホコリが起因のプチノイズ、盤面の内周、外周の違いが起因となる音質の差・・・。やはりデジタルにはかなわない。
LPレコードの美しいジャケットや、読み安い解説には未練があるが、処分することにした。
その過程で盲目の名歌手スティービー・ワンダーのアルバムがでてきた。
スティービーの「ザット・ガール」は彼にとって通算32曲目のトップ10(ビルボード誌HOT 100)ヒット。これはエルビス・プレスリーの38曲、ビートルズの33曲に次ぐ歴代第3位の記録である。
TDK・米国の総支配人だった上田和男さんはスティービーにTDKカセットのコマーシャルに出演して欲しいと交渉する。(写真)その時、スティービーは、「貴方たちが私を選ぶ前から、私の選択はTDKカセットでした」と答え、上田さんの申し出を快諾した。スティービーはメロディが浮かぶとカセットテープに吹き込む。そのカセットはTDKだったのである。
アルバムを開くと、「音楽の心を、そのままに。TDKカセット・ニュー・ラインナップ」という帯がついている。
TDKカセットテープの商品企画を担当した私としては、このLPを捨てることができない。
上田先輩は残念ながら2024年、亡くなられた。