元陸軍少佐・西宮正泰氏の追悼集「壱百参年の人生」を読んで、2・26事件を身近に感じた。2.26事件は日本の近代史における衝撃的な事件であり映画化もされている。時代も世界も自分とは違うと思っていた。 ところが、友人の父が陸軍少佐であり、少佐の幼年学校の校長が2・26事件と関係の深い阿南惟幾(後の陸軍大将)で、阿南校長から直接指導を受けたとなると話は違う。西宮陸軍少佐は阿南校長について、こう書き残した。「幼年学校校長として温容の中にも威厳に満ちた訓示、中でも特に私共の心に残っているもので”勇怯の差は小なり、然れども責任観念の差は大なり”の言葉は、幼い心に焼き付き今も生き続けており、わが生涯を通じて処世の指針になっている」と。阿南は日本国のため、天皇のために陸軍を代表して終戦に反対し続けるが、昭和天皇は戦争終結の聖断を下す。阿南は聖断に従うとともに玉音放送の朝、陸軍大臣として自決する。阿南の心中を思うと心が疼く。西宮陸軍少佐のみならず、その仲間は終戦後自決するのではないかと親族は緊張の日々を送ったという。
友人の西宮聡彦さんは男性オペラユニット「The LEGEND」の「海ゆかば」で別れの会を締めくくった。「海ゆかば」は万葉集の長歌の一節である。(大伴家持が越中国司の時の作)第二国歌といわれ、主に軍人の葬送歌として歌われた。
私の父は一介の通信兵だった。父の追悼記の表紙に農作業姿の写真を使用した。後ろで農耕馬が草を食んでいる。父は「俊、立派な友人を持ったな」と喜んでいるに違いない。
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