2015年2月24日火曜日

「昭和40年男」誌の取材

私が昨年末、TDK・広報部の要請で取材対応した本が、今書店に並んでいる。「ステレオ時代」vol,3号である。表紙に「”究極のカセットテープを作れ!”TDK MA-R開発ストーリー」というキャッフレーズが付いている。TDKを定年退職して13年目を迎える。その私が現在出版されている本に掲載されるなど夢のようである。

今月初め、TDK・広報部から、また電話をいただいた。
「昭和40年男」という雑誌社から「カセットテープ」について取材依頼がきているので、対応して欲しいという。私は耳を疑った。「ステレオ時代」の時に舞い上がってブログに「私のノーベル賞」(12・18)という記事を書いた。そんな栄誉ある取材がまたあるなんて、私はなんと運の良い男だろう。

それにしても、何故、今カセットなのだろう。
「そういえば、そうだ、あの頃のカセットブームは今のスマホブームと同じだった」若者がラジカセで深夜放送を聴き、それをカセットテープに録音。カセットテープを使った声の郵便というのもあった。音楽・オーディオフアンはFM放送をカセットに録音して楽しんだ。当時若者だったシニア向けの出版物の企画を考えると、カセットテープ文化は外せない。

TDKは電子部品メーカーだったがカセットテープメーカーとして世界NO,1になった。私は商品企画の責任者だった。本当に幸運だった。

18日、「昭和40年男」の取材は無事終えた。3月11日、本は書店に並ぶという。取材の機会に後輩(現在、役員)のOさん、Hさんに挨拶することもできた。有意義な一日だった。





2015年2月16日月曜日

株は社会参加&ボケ防止

(2015年 新春野村投資セミナー資料から)

私は健康維持の為もあって株をやっている。

なぜ、株が健康維持につながるのかというと、経済、社会情勢に敏感になり、ボケ防止になるからである。相場が開いてない土・日曜日のつまらない事。新聞休刊日のようである。

証券会社は膨大な資料を保有している。
その資料の一つ、「シニア世代の家計収支」「シニアの貯蓄の目的」を見ると、参考になる。理想の必要生活費は月35,4万円とある。公的年金では不足なので、貯蓄等を取り崩しているという。
貯蓄の目的で比重の高いのは「病気・介護の備え」次が「生活の維持」とある。わが家の場合、この2点は家内の担当。家内は株の投資など毛嫌いしているので安心である。

小遣いの範囲で行なっている小生の株は「豊かな生活・趣味」の分野に入るようだ。(豊かな生活といっても最近は飲み会が主)株は損をする時もある。泣きをみないように投資額の10%の損失がでた銘柄は処分すると決めている。(損失は授業料と思ってあきらめる。)

1月に1回くらい証券会社のセミナーを覗く。
エリート幹部のセミナーを無料で聞けるのも株式投資のメリット。テレビや新聞では得られない話がただで聞ける。

しかも、たまには儲かる事もある。

2015年2月11日水曜日

手が震え、天国に行く気分。病院へ!

(春は直ぐそこへ。11日、住まいの近くを流れる小貝川の岸辺で撮影)

1月27日、久しぶりに病院へ行った。
最近、手が震える事が多くなった。パソコンのキーボードを叩く時も震える事がある。特に困るのは手書きで文字を書く時、手が震えると文字が波打ってしまう。それと、頭がボーッとする時がある。このままあの世へ行けたら幸せ・・・という感じである。

病院へ行くと、まずは血圧測定。下が110、上が170である。下はいつも2桁なのでエッと思った。
医師が「MRⅠ撮影をしましょう」という。私も脳の方を一番気にしていた。また、血圧降下薬を出して下さった。降下薬の効果はてき面。飲むと、気分が落ち着く。

1月31日、MRI検査。2月10日、結果を教えていただいた。「大きなできものもないし、大丈夫ですよ。次に神経内科の診断を受けて下さい」。
MRIの検査結果に一安心。
昨年の12月、弟が狭心症でステントを入れる手術をしたばっかりなので、連鎖にならなければ良いがと心配していたのである。

1月末から今日まで、地元の自分史「いしぶみ」の編集がピークにさしかかり、しかも地元・東京での飲み会が続いた。不思議に忙しいと体調不良も忘れてしまう。

神経内科の診断は2月26日。多分、その診断結果も何事もなく終わるという予感がする。
血圧降下薬で血圧さえ下がれば、絶好調の日々が続くと思う。

2015年2月3日火曜日

家内と「マエストロ」&「きぬの湯」


私の家内は同郷(秋田)しかも、同じく農家の生まれである。

昨日「お父さんが、友達と行った近くの温泉なんて言ったけ」「龍ケ崎(隣町)の」「そうそう、教えてくれれば、バスで行くから」「え、俺の車ではダメなのか?」「いいけど、いつも忙しそうだから・・・」そういえば、地元自分史の会「いしぶみ」の〆切に追われ、パソコンに向いっぱなしだった。

今日、9時、家内を車に乗せて出発。イオンシネマ守谷へ。西田敏行、杉坂桃季主演の「マエストロ」を観る。マエストロとはイタリア語で指揮者を呼ぶ時の敬称。映画の後半、西田敏行の指揮する「運命」に圧倒された。玄人顔負けの指揮ぶりなのである。館内に鳴り響く「運命」の旋律が素晴らしい。改めてベートーヴェンの凄さを知った。ベートーヴェンにもこの映画を見せてやりたかった。
西田マエストロは言う。「音は一瞬にして消えてしまう。しかし、誰かと響合った音は永久の響になり、天上の響となる。だから音楽は素晴らしい!」

映画鑑賞の後、同じ守谷にある「きぬの湯」に向う。「立派なお風呂ね」、家内、玄関で一言。外観だけでなく、ランチも美味しく、お風呂も素晴らしい。寝湯、電気の湯、美肌の湯・・・等、15種類の湯を堪能できる。
映画もお風呂も家内に気にいってもらい、一安心。

明日から「いしぶみ」編集のラストスパート。小生、地方文芸誌の「編集マエストロ」と化す。

2015年1月24日土曜日

「マッサン」の頃のTDK

NHKの朝の連続ドラマ「マッサン」を見て、毎日「血湧き肉踊る」思いである。そういえば、私が勤めたTDKにも「マッサン」のようなドラマがあった。

TDKの創立者は秋田県生まれの斎藤憲三。地元では「ホラ憲」といわれていた。
ホラ憲は昭和10年、繊維のトップメーカーである鐘紡の津田信吾社長と会う。憲三は開口一番、津田に問う。「日本に本当の工業はありますか?」津田は言葉に詰まる。当時の日本の産業はほとんどが欧米のマネだった。「私は日本人が発明したフェライトを工業化したい。出資して欲しい」。斎藤の情熱に共感した津田はその場で10万円の出資を約束する。
その金で斎藤が設立したのがTDKである。
フェライトは東京工業大学の加藤与五郎、武井武両教授が発明。当初は用途がなかったが、後、トランジスタラジオ、テレビに不可欠の部品として使用され、TDKは急成長。第2のソニーといわれる。さらに磁性材料の技術はカセットテープ、VHSビデオテープに応用され、TDKは磁気テープの世界トップメーカーとなり、”TDK”は不動のブランドになる。
 現在TDKを率いる7代目の社長、上釜健宏氏もブランド力に魅かれて入社したと語っている。

昨日(23日)、TDK・OB有志で構成する「TDK社友会」の新年会が東京で開催された。(写真)参加者164名。参加者の殆どが斎藤憲三、加藤・武井両先生、および二代目社長、山﨑貞一、常務、高尾三郎等、創業者当時の方々に直接薫陶を受けたメンバーである。TDK急成長の同志である。酒が進むごとに「俺がTDKを大きくしたんだ・・・」60才~80才代の顔が青春のように輝く。
(大石会長他、社友会を運営するメンバーの方々に感謝)

TDKの社是は「創造によって世界の文化・産業に貢献する」である。TDKに限らず、日本の産業界が生き残る為には、今後も”創造”がキーポイントになると思う。

2015年1月11日日曜日

かけがえのない人生に感動!「いしぶみ」編集作業

正月明けから今春出版する地域の自分史「いしぶみ・9号」の原稿が続々入稿。編集担当の小生は正月からフル回転。ボケる暇がない。
10日は、「ひたちの牛久」のスターバックスで山中さん(土浦市在住)にお目にかかり、原稿をいただく。山中さんは今年から入会された。昭和18年1月生まれ。小生と同学年である。原稿を拝見して山中さんがどうして「いしぶみの会」に入会されたか。胸に突き刺さった。原稿のメインは亡くなられた奥様が残された「詩」や「日記」。病床生活の寂しさが赤裸々に語られている。山中さんは分かれ際、「畠山さんにお会いできて本当に良かった」と語った。それは、これで奥様との思い出が本になり、後世に残せるという、安堵感からくる感謝の言葉だった。
大正14年生まれの中村さんからは郵送で原稿をいただいた。中村さんは昨年発行された8号で小生が生れる前の東京・銀座を活写され、近衛兵との初恋を披露して下さった。今回の原稿のタイトルは「写仏との出会い」である。写仏(しゃふつ)とは、仏様を写すことだそうだ。平成四年、埼玉県日高市にある「瀧泉寺」に六十四畳もある天井曼茶羅絵図が完成した。10年の歳月をかけて杉板に228枚の絵が描かれたという。(写真)その内の4枚が中村さんが書いたもののだという。中村さんはとんでもない才能の持ち主である。
文集「いしぶみ」は同じ町内(牛久市刈谷町)の鈴木さん(新潟市・津南出身。昭和5年生れ)が主催して発行している。
石山千代子さん、ビクターOBの西郷さん、中国で医師をされていた父を持つ堀井さんからも素晴らしい原稿をいただいた。(6日ブログ参照)「いしぶみ・9号」はかけがえのない人生記録で満たされる。

2015年1月6日火曜日

新年、明けてビックリ、玉手箱(日記)


1日  ●7:30分から3時間、スーパーの掃除。店長「今日は元日でゴミの収集車来ないからよろしく」 ●午後、孫6名にお年玉をあげる。夕食、いつも2人だけなのに今日は10名。”家長”の実感。

2日  ●小4と小2の孫を連れてゲームセンターへ。2人のメダル投入のスピードに驚く。 ●「孫は畠山家と北條家(嫁の姓)、日本の宝」と息子に言う。自分の言っている事が亡くなった父とそっくりな事に気がつく。

3日 ●年賀状の整理。オーディオ・ヴィジュアル評論家、麻倉先生のご活躍(写真上)に驚く。 ●三ヶ日に失礼かなと思いつつ、レコードメーカーと放送局の方々にメール。 地元音楽愛好会「ゲヴァント・ハウス」から今年の講師の交渉依頼するようにとの指示。

4日 ●ひたちの牛久の「スタバ」で堀井さんから自分史「いしぶみ」の原稿いただく。戦時中、中国で医師をされていた父親を回顧するもので、昭和史の貴重な断片。●自宅に帰り、パソコンを開くと水戸の西郷さんからも原稿が入稿していた。西郷さんはビクターOB。憧れのビクター入社までの努力は素晴らしい。●秋田の兄から電話あり。「6月に父の17回忌と祖父の100回忌をやるのでよろしく」。

5日 ●笠間にある常陸国・出雲大社に初詣で。神官装束の高橋宮司自ら電動カートを運転。私と家内を乗せ、3万坪の境内を案内。初詣客の注目を浴びる。出雲大社へ向う高速道路、行きも帰りも出口を間違う。私も神仏に近づいてきた・・・。 ●高校同窓会、新年会の会場、「佐藤養助・銀座店」予約。 ●ニューヨーク在住の政治ジャーナリスト、佐藤さんから電話。「安倍総理の日本国家の将来 ヴィジョンに注目している」との事。
(出雲大社・御本殿正面)