
母の三回忌が3月13日(木)秋田の実家で行われた。
当日、牛久発の始発5:36分発に乗車。上野発7:38分発の東北新幹線「はやぶさ」に乗車するので、6時台の電車でも間に合うのだが、大事をとって、早目に上野まで行くことにした。JR不信でもある。
通常であれば上野発7:38「はやぶさ」には秋田新幹線「こまち」が連結されており、上野から秋田まで、乗り換える必要がないのだが、連結不良が確認されたため、盛岡まで「はやぶさ」で行き、盛岡で「こまち」に乗ることになったのである。(14日から連結不良が解除された。もうⅠ日早ければ良かったのに・・・)
母は2023年3月13日、105才で亡くなった。
母は本当に良妻賢母だった。母の実家である板垣家は多くの山林を有する資産家だった。しかし、父は質素倹約に務めた。仕事着を締めるのに帯の代わりに荒縄を使っていたのは村でも有名で、私の記憶にもある。母は同じ村で弁護士を務める猪股家から板垣家に嫁いだ。気品のある方だった。
三回忌の宴席で兄は父親が酒乱だったことを紹介した。普段はおとなしい父が酒を飲むと母や自分を「ンゲダモノ(お前達のような者)」と罵倒したという。母はそれに耐え偲んできたという。高校時代から実家を離れた私はそのような父を知らない。牛久のわが家を訪れる父はいつも優しい笑顔だった。
母が生んだ5人兄弟。姉は母が亡くなった年の9月亡くなった。4人の兄弟も年をとった。母の七回忌に兄弟が集まるのは難しいだろう。
宴席の最期、兄から「俊、〆の挨拶を」といわれた。「来年、兄さんの生前葬をやりましょう」。三回忌の宴席が余りにも楽しかったので、つい、口が滑った。というか、なにかを口実に来年も集まりたいものである。
0 件のコメント:
コメントを投稿