2025年10月7日火曜日

AIとの対話時代来る。が、AIの言うことを信じてはいけない。

個人の生活にもAIが入ってきた。
9月、パソコンがWindows11にシフトアップするというので、新しいパソコンに切り替えた。
キーボードを見るとAIと会話ができる「Ⅽopilot」(コ・パイロット)キーがある。キーボードを押すと「今日はなんのご相談でしょう」というコメントがでる。「白内障の手術をしたが物が2重に見える、どうしてか?」と入力すると、瞬時にその理由が箇条書きで表示される。驚きである。無料でなんでも相談できるから驚きである。ありがたい。
しかし、こんな事があった。「日本で最初にカセットテープを発売したメーカーはどこですか?」と聞いたところ「Ⅿ社です。他にもソニーやパナソニックなどが後に参入し、世界的普及に貢献しましたが、最初の1歩を踏み出したのはⅯ社でした」。あまりにもヒドイ回答である。カセットの普及はまず、ソニー、パナソニックといったハードメーカーが先行し、その後にⅯ社、TDKというテープメーカーが追随したのである。しかもⅯ社がテープを発売したのはTDKより後である。
私はAIにこう説明した。「私はTDKのOBです。あなたの回答は間違っております。最初に国内でカセットテープを発売したのはTDKです。1966年6月、TDKは国産第1号のテープを松下電器さんに納入しました。Ⅿ社さんがBtoB(OEM)で発売したのは同年7月。市販ルートでは同年9月26日、TDKが”シンクロ”という名称で発売。Ⅿ社さんは10月の発売です。Ⅿ社さんは10月発売したことを2024年、同社が協力して出版した”Ⅿ社カセットテープマニアックス”という本に当時の広告付で表明しております」
AIは、「ご指摘ありがとうございました」とコメントし、即、修正しました。
修正してくれたのはいいとして、AIのいうことを、そのまま信じてはいけない。ということを痛感したできごとでした。(写真は小生が住む牛久市にある”牛久沼”の景色です)


2025年10月2日木曜日

賜宮内省御買上之光栄!秋田・稲庭うどん

 9月23日、首都圏秋田県人連合会「文化講演会」が市ヶ谷で開催された。講師は有限会社・佐藤養助商店代表取締役・佐藤養助さん。(八代目佐藤養助)
配布されたパンフレットにはこう書かれている。
「宮内省御買い上げの光栄、正統の歴史を受け継ぐ、佐藤養助の稲庭うどん。稲庭干温飥が稲庭に伝わり、当家の宗家である稲庭吉左エ門により、その技術が受け継がれ、研究と改良が重ねられ、製法が確立したのは寛文五年(1665年)といわれております。
秋田藩主佐竹候の御用処となった干温飥の製法、吉左エ門家の一子相伝、門外不出。しかし、親から子へ、子から孫へという、一子相伝の技が途絶えることを心配した吉左エ門によって、二代目佐藤養助に伝授され、当家の創業となるのです」
八代目佐藤養助さんの話は実にリアルだった。現在、同商店では180名の職人が働いているが、伝統産業を職人達に伝えるのは並大抵ではないという。うどんづくりは感覚の世界。「やわらかい、かたい・・・」といっても人によって感じ方が違う。八代目みずから、現場に入って、職人と一緒になり感覚を商品づくりに落とし込む。同じ感覚の商品を造り続けるには3日先の天気を読まなけれならない。天気を予測しながら生地への塩水の加え方、熟成のさせ方を変える。これは長年の感である。うどん造りは結局、人造りだという。長年の歴史に支えられた人間(職人)造りが稲庭うどんだという。
しかし、秋田の人口減は半端ではない。稲庭町のある湯沢市の子供の出生数を見ると10年ごとに1割強減少しているという。これは生産(職人)の面でも消費の面でも大問題。打開策の一つが東京への出店だという。東京には銀座店、日比谷店、浅草店がある。八代目の息子達が経営を行っている。
佐藤養助さんは昭和44年(1969)生まれ。八代目を襲名したのは令和7年、今年である。56才。名義拝命の手続きを終えた当日、財布を落としたという。財布には免許証もマイナンバーカードも入っていたという。まさにゼロからの再出発である。前進あるのみである。


2025年9月26日金曜日

世界陸上④朝ドラも大相撲も圧倒した世界陸上!

 24日、新聞に掲載されたテレビの視聴率を見て驚いた。
世界陸上が朝ドラ、大相撲を抜いて連日、視聴率上位となっている。つまり、13日の開催日から21日の最終日まで、日本は世界陸上に沸いたのである。
私は13日と20日、国立競技場に足を運んだ。家内も連日テレビで応援していた。
人生の楽しみとして、旅行や観劇やコンサートといった楽しみがある。しかし、世界陸上の感動は、それらでは味わえないものだった。なにしろ、世界のアスリートが各競技で命がけの勝負をする。見守る5万名の大観衆が一体となって声援、興奮状態になる。
世界陸上には200カ国・地域から2千人の選手が参加した。肌の色も、肌につけるアクセサリーもカラフルだった。入賞者・チームに贈られた賞金は総額12億8千万だったという。
 観客動員数は61万9千名。91年東京大会の58万1千名を上回った。夜の部は連日完売。チケットの売り上げは当初予想した30億円を大きく上回る44億円になったという。日本チームは銅メダル2個しかとれなかったが、どの選手も5万名の大声援に感動したと語る。メダルには届かなかったが日本新記録も生まれた。
世界陸連のセバスチャン・コー会長は「素晴らしい大会になった。日本がスポーツへの情熱を取り戻す一助になれたことを願う」と語った。コロナのため無観客で開催された東京オリンピック以来、国立競技場におけるスポーツイベントの開催は危惧されていた。その不安が解消された。希望の灯がともった。
次回、世界陸上は2027年、北京で開催される。(読売・朝日新聞参照)

2025年9月21日日曜日

世界陸上③男子400mリレー決勝進出!5万名絶叫!

20日、国立競技場に向かう。チケットを購入するなら21日の最終日と思ったが、この日は北口が女子槍投げで金メダルをとる可能性がある。また、男子400mリレー予選がある。ということで、20日に決めたのだった。しかし、勝負とはわからない。19日の女子槍投げで北口が14位で予選落ち。これは今大会最大の番狂わせである。
夜の7時。競技場に入って驚いた。真昼のように明るい。13日の昼の競技場も美しかったが、天井に設置されたライトに照らされ競技場はもっと美しい。夢の国のようである。ここで世界のアスリートが磨き上げた技を競うのである。
待ちにまった男子400mリレー予選。スタートの号砲が鳴る前の沈黙がたまらない。5万名の観客がいるのに場内は水を打ったようである。ドーン、号砲がなり響くと、ワ~という大歓声。8名の選手が弾丸のように飛び出し矢のように走る。目の前で、第2走者、柳田から第3走者の桐生にバトンタッチされた。スマホのカメラで撮影したが、スピードが早やすぎてスマホのカメラでは捉えきれない。大声援の中で、バトンは桐生から第4走者の鵜澤にわたり、ゴールイン。何位になっのだろう。上位に入ったように見えた。電光掲示版
に日本第3位ℚの表示がでる。大声援は絶叫へと変わる。良かった!バンザイ!、やったぞ!喜びの声が飛び交った。電光掲示板に写った4人が「応援ありがとう。明日はメダルを取るゾ!明日も応援よろしく」とコメント。場内が再びワ~という大歓声に沸く。
観衆の大部分が若い方たちだった。彼ら彼女ら、そしてテレビをご覧になっている若い方々がこの感動を糧にして、これからの日本を支えて欲しいと思った。

2025年9月18日木曜日

世界陸上②西田大使、長嶋茂雄、有森裕子

 私が世界陸上の担当になったのは上司の温情だった。私は1975年から1986年までカセットテープの商品企画を担当した。TDKはこの間、カセットテープで世界シェアトップとなり、カセットテープの年間売り上げは700億円を超えた。私の次のポジションは広報業務だった。「畠山君、来月から本社の広報に行ってくれ。そこで世界陸上も担当して欲しい」「部長、私は英語はできないし、運動も苦手です」「それは心配しなくていいよ。慶応大学出身の優秀なB君をサポート役につけるから」
1987年、第2回ローマ大会。なんと私はイタリアの日本大使館にうかがう。ここで西田大使と面談する。(写真・左)大使が民間企業の中間管理職に会うなどありえない。その陰にはB君の根回しがあった。B君は西田大使とつながる華麗な一族の御曹司だったのである。
ローマ大会では競技場で、毎日、長嶋茂雄さんと顔を合わせた。長嶋さんはゲストコメンテーターだった。大会のクライマックスは男子100メートルでのカール・ルイスとベン・ジョンソンの一騎打ちだった。
ジョンソンは弾丸スタートでルイスを振り切る。9秒83の世界新記録だった。長嶋さんはその模様を熱く語った。謙虚で真摯な長嶋さんのお人柄は今でも忘れられない。(写真・右)
1997年、ギリシャのアテネで開催された第6回大会では、マラソン
の有森裕子さんにお目にかかった。有森さんはオリンピックで銀、銅メダルを連続獲得。「自分を褒めてやりたい」と語り、日本人を感動させた。
世界陸上は「TDKの神話」といわれるほどの成果を上げた。世界陸上のお陰で多くの著名人にお目にかかることができた。

2025年9月15日月曜日

世界陸上・東京大会①世界陸上とTDKは一体。

13日から世界陸上・東京大会が開催された。
私は仕事の関係(TDK・OB)で1987年ローマ大会、1991年東京大会、1997年アテネ大会を経験している。今回は一観衆として世界陸上を経験してみたいと思い2月に入場券を購入した。驚いたのは2月の段階で、土日のイブニングチケットの一部が売り切れたことである。チケットの価格は2千円から5万円だった。
13日、5時35分の始発電車に乗り、国立競技場へ。7時過ぎには競技場に到着したが、荷物検査に長蛇の列。席に着いたのは7時30分過ぎ。既に競歩の選手がスタートしていた。競技場の天井桟敷に登ると5万人収容の大競技場の全貌を見渡せる。真下に400mトラックが広がり選手は豆粒のようである。小高い丘に登ったような爽快感。天井桟敷も悪くない。男子競歩の選手が第3位で競技場に現れた時、競技場が「ワーッ」と沸いた。メダルだ、銅メダルだ!涙が流れた。選手と大観衆の一体感。これだ、この感動が世界陸上なのだ!と実感した。
10日の読売新聞に「世界陸上東京大会の財政計画」という記事がでた。収入総額174億円とある。内訳は国と都が80億円、日本陸連が10億、チケット収入が44億。スポンサーの協賛金と寄付金は44億円である。(放送権料が抜けているのではないか?)世界陸上というとTDKのブランドが目立つ。TDKが得をしているような印象を受ける。しかし、そうとも言えない。TDKは1983年の第1回世界陸上から、今回の第20回・東京大会まで連続して、世界陸上のメインスポンサーを務めている。世界陸上とTDKは一体なのである。


2025年9月10日水曜日

老後の人生で大きなパソコン投資/Windows11対応購入

私の場合、老後の生活を維持し、豊かな生活を送るために必要な分野として、車、オーディオ、パソコンの3つの分野がある。車は現在、三菱の「エアトレック」に乗っている。5人乗りのワゴン車、夫婦2人では大きすぎるが、今後、車に乗る機会が少なくなることを考えると買い換える気はない。オーディオ機器は8畳の和室に30センチウーハー付きスピーカのセット、パソコンルームに15センチウーハー付きのセットがある。音は満足ではないが、オーディオは音質向上に金を使うと際限がないので今後投資をする気はない。
今後もお金がかかりそうなのがパソコンである。
高齢になり、行動範囲が狭くなるとパソコンと過ごす日が多くなる。インターネットによる情報の収集は毎日である。本やCDの購入もアマゾンを利用する。創作活動としてブログ「人間浴」を運用している。パソコンは老後の生活において最重要なツールなのである。
8月、13万円の大枚を叩いて、Windows11対応のパソコン(fujitsu)を購入した。使い慣れたvaioを11にグレードアップすることも考えたが、自分でグレードアップする技能がない。
(vaioは2018年、15万円で購入。2020年にはbrotherのプリンターを2万円で購入している)
TDKパソコンクラブのメンバーになっているができないのである。パソコンのトラブルについては近くのケーズデンキ店内にあるPCデポのお世話になっている。月々3千円の会費を取られるが、いつでもパソコンを持参すれば対応してくれるので便利である。
そうそう、そういえば、パソコンの画面の文字が見えにくくなったというので8月、白内障の手術をした。近距離用のレンズに交換してもらったのでパソコンの画面は良く見えるようになり、新しいパソコンのキーも打ちやすくなったので快適である。
しかし、問題がある。2メートル以上の距離になると2重に見えるのである。テレビの画面が見にくい。今後、眼科医がどう対応してくれるか?医師を信頼して模様を見よう。
(写真は9日、TDKパソコンクラブがクラブが所有するパソコンを11にアップグレードする作業の様子)

2025年9月5日金曜日

明治大学グローバル研究会/こんな日本で良いのか!

 8月上旬、友人のNさんからメールをいただいた。
8月28日、明治大学(写真・左)でグローバルマーケティング研究会があるので参加しませんか?という誘いだった。翌29日は早朝から大相撲牛久場所の予定が入っていたが、またとない機会なので参加することにした。
研究会の代表世話人は大石芳裕氏(明治大学名誉教授)、報告者は横伸二氏(元TDK取締役常務執行役)、報告テーマは”「日の丸半導体、最後の砦=パワー半導体」➡崩れ行くシナリオと「中国製造2025”。横氏はMBA(経営学修士)で、浙江大学、上海大学、筑波大学の客員教授。TDKの元・役員ともなれば大したものだと思った。Nさんに横さんは中国語も堪能なの?と聞いたら、中国での授業は英語でしょう。とのことだった。
横氏(写真・右)の報告は、中国の実情を熟知している横氏でなければ語れない厳しいものだった。
①日本は日米半導体協定により半導体競争に負けた。トランプ流の相手に対して、英語で対応するのだから負けるに決まっている。②半導体における中国の台頭は凄まじい、1日1万数千の新会社ができて凌ぎを削っている。日本は官も民も中国の内情を知らなさすぎる。③中国は政治体制が全く違う。国際ルールが通用しない。④中国には悪い奴が10人いれば、良い奴も10人いる。⑤中国の工場は昔と違う。設備も新しく、清潔。⑥労働者のモチベーションは驚くほど高い。昭和時代の日本。24時間体制である。⑦働くのを抑制するような今の日本の労働環境では中国に勝てない。今の日本はおかしい。

「日本の働き方改革」は「働くな改革ではないか」。という横さんの指摘に心をえぐられた。
日本国民全員、高度経済成長から続いた温ま湯がら脱皮する決意が必要だと感じた。


2025年9月1日月曜日

大の里、豊昇龍、堂々の土俵入り/大相撲「牛久場所」

 
8月29日、大相撲夏巡業「牛久場所」が開催された。牛久市運動公園体育館前には幟が立ち、屋台も並んでお祭り気分。(写真・左)会場には3,000名の相撲フアンが押し掛けた。9時、会場に入ると、既に力士のブツカリ稽古がはじまっていた。地元土浦出身の高
安、横綱、大の里が登場すると会場は大いに沸いた。身近に見る稽古は迫力満点、ウオーという雄たけびとともに、力士同志がぶつかるとガツーンという音が場内に響きわたる。
力士同志の稽古が終ると「腕白相撲」ということで、地元中学、高校の相撲部の力士と関取が勝負する。関取が腕白力士のまわしをつかんで釣り上げたり、腕白力士に関取が寄り切られたり、ということで会場は沸いた。
相撲甚句では「牛久特別相撲甚句」が披露された。牛久の名所である牛久シャトーや牛久大仏、牛久生まれの横綱・稀勢の里を織り込んだ素晴らしい甚句だった。甚句を歌う関取の声が会場に朗々と響いた。
当日の白眉はなんといっても中入り後に行われた「横綱の土俵入り」。豊昇龍に続いて大の里(写真・上)が土俵に上がる。横綱の足が高々と上がると会場から「ヨイショ!」という掛け声が上った。「是より三役」では若隆景と霧島、琴櫻と高安、豊昇龍と大の里の取り組み。
大の里は腰を落とし万全の体勢で豊昇龍を寄り切った。取り組み終了後、弓取式が行われ、午後2時45分、千秋楽となった。
牛久の相撲フアンとして主催して下さった牛久青年会議所、旗振り役の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)には厚く御礼申し上げたい。14日から東京・国技館で9月場所がはじまる。力士各位のご活躍を祈りたい。

2025年8月23日土曜日

29日大相撲牛久場所「大の里」の土俵入りに期待。5千円の立ち見席購入

8月29日、大相撲牛久場所が開催される。入場券は¥10,000~¥19,000と高額で、早々に売れきれたと聞いていたのであきらめていた。ところがドッコイ、今月、ネット検索したところ5千円の立見席が残っているという。早速購入した。
大相撲観戦ではあまりいい思い出がない。発売日に早起きして国技館まででかけたが、溜り席はすでに完売、イス席を購入したのだが、土俵ははるか遠くでリアル感がない。やはり大相撲はテレビ観戦に限る。
しかし、1度は真近で力士の息遣いと立ち合いの激しい音を聞きながら、日本古来の相撲の真髄に触れてみたいと思っていた。
牛久場所が開催される会場は普通の体育館なので、入場者は千~2千名と思われる。(国技館の収容人員は15,000名)立見席でも土俵は真近であり、念願の夢が果たせるのではないかと期待している。
牛久は二所ノ関親方(稀勢の里)の出身地である。親方が開催の旗振り役をやるという。(写真上、親方の隣は沼田牛久市長➡茨城新聞より)当日は午前9時開催、公開稽古からはじまり、取り組みの他、相撲の禁じてを面白おかしく紹介する「初切(しょっきり)」やトークショー、相撲甚句も披露される。勿論、3月、5月場所で連続優勝した愛弟子「大の里」の土俵入りも披露されるだろう。楽しみである。

2025年8月17日日曜日

お墓に530万。「初代、牛久・畠山家」として納得。

 
私のお墓は牛久大仏にある。
お盆には、郷里の秋田に行って祖先の御魂を拝むべきであるが、そうもいかない。
ということで、牛久大仏の私のお墓を通じて、祖先の供養をしようと考えた。
15日、家内と一緒に牛久大仏にでかけた。地上120m、青空に聳える牛久大仏の威容はいつ見ても素晴らしい。ギネスブックにも登録されている。
私の墓地は管理棟の直ぐそばにある。家内が「500万もかけたわね」という。私は我が耳を疑った。200万~300万という記憶しかない。
帰宅してから資料を見ると、墓地の永代使用料を支払ったのは1991年、49才の時、3㎡で86万とある。(牛久大仏が開業したのは1993年なので、その前に契約していた)2014年、72才の時、墓石を作る。外柵工事代250万、墓石代205万とある。全て合わせると531万になる。
お墓にそんなに投資をする価値があったのかとも思ったが、「初代牛久・畠山家」としては良かったのではないかと納得。
16日~17日は私の住む刈谷地区の盆踊りである。
コロナで中止していたが、昨年から復活した。
自治会の役員は前日から櫓を組み、提灯を飾り大わらわである。私も70代のころはそうだった。83才になった今日、シニアクラブのテントの中に座り、ビールをいただきながら踊りを見るという立場になった。刈谷地区は牛久の中で新興の住宅地であるが、「盆踊り」が継続されているのは嬉しい。

2025年8月13日水曜日

オーケストラの数による世界の国の文化度&経済力イメージ

音楽のジャンルにはロック、ジャズ、クラシック等、様々あるが、クラシック音楽は最も普遍性のあるジャンルである。どこの国に行ってもクラシックを演奏するオーケストラがあると言っても良い。やや乱暴な話ではあるが、オーケストラの数によって、その国の文化度&経済力をイメージしても良いのではないだろか。
2020年、みすず書房から出版された「オーケストラ」という本がある。この本に「世界の主要400オーケストラ」が掲載されている。資料に沿って国別の数をランキングしてみた。1位ドイツ➡50、2位アメリカ➡45、3位フランス➡31、4位スペイン➡20、5位イギリス➡19、6位ロシア➡18、7位イタリア➡16、8位オランダ、オーストリア、カナダ、スイス、チェコ、中国、日本➡10、15位ベルギー8、16位オーストラリア、スエーデン、デンマーク、ハンガリー、フィンランド、ポーランド、ルーマニア➡5、・・・。
いかがでしょう。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーが生まれたドイツは別格として、オーケストラの数からその国の文化度&経済力がうかがい知れるのではないだろうか。アジア圏から中国と日本が入っている。(将来人口が世界一になるといわれるインドの場合、プロのオーケストラは一つしかないようだ)因みに日本の10のオーケストラにランキングされたのはNHK交響楽団、東京フィル、東京都響、読売日響、新日本フィル、東京交響楽団、日本フィル、大阪フィル、名古屋フィル、オーケストラ・アンサンブル・金沢である。

2025年8月7日木曜日

白内障手術件数、県内1位,全国4位

 白内障の手術は市内の「さくらい眼科」で行った。(写真)
同医院の白内障の手術件数は月100件を超えるという。その件数は茨城県一、全国でも4位だという。そういう病院が牛久にあるというのは驚きである。
スタッフは40名とのことだが待合室は満員。溢れた患者は車の中で待機するという具合である。多忙だから診断が粗雑かといえば、そんなことはない。懇切丁寧である。手術前に院長から「さくらい眼科、全力で対応しますので、ご安心下さい」といわれ感激した。
ホーム頁を見ると、手術の機材は最新、最高位のものを使用しているという。

白内障は目の中のレンズの役割をしている水晶体が白く濁る病気である。手術で濁った水晶体を超音波で砕いて吸引し、新しいレンズを挿入する。局所麻酔をするので、手術中の痛みはほとんどなく、手術時間は10~20分だという。
5日、4時から手術を行った。麻酔というので、注射を打つのかと思っていたら、手術をする右目に麻酔薬を点滴するのだった。
ベットに寝かせられるのかと思っていたら座っていた椅子が仰向け
に倒れ、手術がはじまった。痛くないと聞いていたが、右目に不快な圧力を感じた。「順調です。半分終りました。もう少し頑張ってください」「ご苦労様でした」ということで手術終了。
保護メガネをかけて自転車で帰宅した。景色が来院する時より明るく、クッキリ見えるような気がした。


2025年8月3日日曜日

白内障手術で、8月は自粛生活となります。

 目には自信があったが、今年に入って、実害がでてきた。
一番驚いたのはコンサート。3月、オペラのコンサートに行ったが字幕が読めない。6月のコンサートでは指揮者が眼鏡をかけているように見えたが、実際はかけていなかった。パソコンを打つ時も、顔を画面にちかづけないと文字が読めないようになった。6月眼科に行ったら右目0.7,左目1.0だった。「ガチャ目です」といわれた。その場で白内障の手術をすることにしたが、予約が一杯で8月になるとのこと。右目8月5日、左目8月19日に決定。手術後の日常生活上の注意点を見ると、ジョギング等の運動は術後1カ月は自重するようにとある。
7月は山陰旅行の計画を組んでいたし、9月から計画が目白押しなので、8月に手術の予約がとれたのは幸いだった。8月は外出禁止、グランドゴルフも中止。自粛生活となる。
白内障の手術は保険摘要の処置と、保険適用外の処置との2つがある。保険摘要だと、遠方か近方のいずれかのレンズを選ぶ。保険適用外だと、3焦点、多焦点レンズを選ぶことができる。ただ、30万~50万の費用がかかる。私は保険摘要の近方レンズを選択した。年齢も83才。これからは外出することも少なくなるだろう。パソコンが打てれば良い。という判断である。
目の次は耳である。
テレビを観ていて、アナウンサーの話は聞き取れるが男優の話は音としては聞き取れるが、何を話しているかわからない。字幕つきの場合は字幕に頼るようになった。音楽を聴いて、仲間とアレコレ批評しあっているが、正確に音楽を聴いているか疑わしい。
目に比較すると耳の方は処置がまだ定まっていないようだ。当面、情報収集に努めたい。


2025年7月25日金曜日

電子部品は車と並ぶ基幹産業だ!「日本勢」世界を席巻/出た!GG生涯ベストスコア63

週刊 東洋経済7月19日号。「電子部品最強烈伝」。TDK・OBの小生必読である。カセットテープで世界的に有名だったTDKは、今、電子部品メーカーとして頑張っている。さっそく購入して読む。
〇黒子から「主役」へ。電子部品「日本勢」が世界を席巻
〇電子部品の王者・村田製作所。独走MLCC(積層セラミックコンデンサ)生む「超垂直統合の真髄」
〇電子部品は車と並ぶ基幹産業だ。日本には海外の10年先を行く「技術」がある。➡村田製作所・中島社長(61才・同志社大卒)
〇カメレオン経営TDK。カセットテープ、磁気ヘッド、小型2次電池。現在、大黒柱の1兆円事業は100億円で買った電池。
〇創業90年でも”ベンチャー精神”は不変。一人ひとりが経営者。➡TDK・齋藤社長(59才・同志社大卒)*村田、TDKの社長が同志社大卒というのは興味深い。
〇売上1兆円クラスの優良企業が凌ぎを削る。村田製作所➡1兆7千億、TDK➡2兆2千億、日東電工➡1兆円、ミネビアミツミ➡1兆5千憶、京セラ➡2兆1千億
TDK・OB岡本明氏(ドクター)の話によると、日本の電子部品が世界を席巻できたのは、不良品の少なさだという。コンデンサの場合、不良率はppbレベル(10憶分の数個)にあり、海外勢の追従を許さない。日本の電子部品の信頼性の高さは日本の自動車の信頼性を支えているという。
🔵7月18日、GG(グランドゴルフ)でとてつもない好スコアがでた。1ラウンド目、最後の30mホールインワンで16、2ラウンド目、なんと出だしの50mがホールインワンで19、3ラウンド目、15mでホールインワンで14、4ラウンド目も15mでホールインワンで14。トータルスコア63。グランドゴルフをはじめて18年。60代のスコアははじめてであり、今後63以上の好スコアがでることは生涯あり得ない。

2025年7月20日日曜日

山陰の旅(3/3)国宝・出雲大社御本殿

12日、松江から出雲大社に向かう。出雲大社は日本人であれば、伊勢神宮と並んで一度は参拝したいところである。と、秋田の農家で生まれた昭和世代の私は考える。それだけではない。義弟が笠間市にある常陸国出雲大社の宮司を務めているので、是非、本家である島根の出雲大社を参拝したかった。
出雲大社に到着。まず、天に聳える日章旗に感激。ここは日本だぞ!である。次いで神楽殿の大注連縄。一行はこの注連縄を見て歓声を上げたが、私は常陸国で同じ注連縄を見ている。「よくぞ同じ巨大な注連縄を作ったなあ!」と義弟の偉業に思いを馳せる。これぞ、本家・出雲大社と感じたのは端垣の中に聳える御本殿の威容である。(写真)この御本殿、延享元年(1744)に創建されたものだという。281年前である。その後、60年を目途に大改修が行われ、その威容を保っている。国宝である。画家岡本太郎はこの御本殿をこう称している。「この野蛮な凄み、迫力、おそらく日本建築美の最高表現であろう」。
出雲大社は結びの神である。恋愛や結婚の祈願をする人が後をたたないという。辰巳太一氏はこう付け加える。「私は出雲大社のご神徳は、結びよりむしろ、出会いと和合にあると思っている。和のパワーを活かせば仕事運や出世運に結びつく」それを証明するように島根県は若槻禮次郎、竹下登という総理大臣を輩出している。
私も今回の旅で稲城市出身の町田さん(写真・右)にお目にかかりお世話になった。こんな楽しそうな自分を見たのははじめてである。(出雲大社に参拝して感じたことがある。出雲大社は参拝客に由縁とかご神徳についてもっと語るべきである。そうしないと、若い人には古いだけの化石にしか映らない・・・)


2025年7月18日金曜日

山陰の旅(2/3)足立全康が命をかけた美術館

11日、江戸・明治の建造物が立ち並ぶ街並み「倉吉白壁土蔵群」を観た後、島根県の県庁所在地がある松江へ。グループより離れて、松江城の入り口にある蕎麦屋で昼食。その後、天守閣に登る。午後、松江から安来へ。20キロほど田んぼ道を走って足立美術館に到着。美術館の外観はなんの変哲もないのだが、会館に入った途端「ワア」という歓声が上がる。眼前に見事な日本庭園が広がる。アメリカの専門誌による日本庭園ランキングで22年間連続第一位にランキングされた庭園である。
この庭園を創ったのは安来市出身の実業家、足立全康(ぜんこう)氏(1899~1999)*写真。実家は農家。尋常小学校卒業後、炭を大八車に乗せ商売をはじめる。第2次大戦後、不動産事業で財を築く。1947年(昭和22)名古屋で開催された横山大観展で感銘を受け、それが美術品収集への情熱に広がる。「庭園もまた一幅の絵画である」の見解のもとに1970年(昭和45)、71才の時、財団法人足立美術館(5万坪)を設立。「故郷へ恩返しをしたい」「未来を担う若い人たちに生きた絵を、素晴らしい庭をプレゼントしたい」という思いだった。しかし、開館から10年余りは入館者は伸び悩み、閑散とした館内を一人歩く足立全康の姿があったという。
足立美術館は足立全康が命をかけたロマンの結晶である。それを味わい尽くすには一度の旅ではムリである。それは壮大で果てしない。

2025年7月14日月曜日

山陰の旅(1/3)鳥取砂丘「馬の背」登頂

10日、クラブツーリズム主催「出雲大社・足立美術館・鳥取砂丘 はじめての山陰旅 3日間」初日である。5時起床。朝食(前夜家内が作ってくれたお握りを頬ばる)。5時30分出発。牛久駅まで歩く。早朝とはいえ猛暑の中、カバンを持っての歩きはシンドイ。東京駅で昼食の弁当、ビールを購入して集合場所へ。今回の参加者は44名。ほとんとが夫婦連れ。新幹線「のぞみ」で岡山へ。
岡山から日本海岸にある鳥取を目指す。約3時間の行程である。県境は山々が連なり、山あいに集落が点在する。彼らの生活の糧に思いを馳せる。
鳥取砂丘は山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されている。南北2,4キロ、東西16キロという広さ。1955年(昭和30)国の天然記念物に、2007年には日本の地質百選に選定された。
ガイドさんから「砂丘は真夏は40度から50度になります」と聞いていたので、警戒していたが、バスを降りると海風が吹いていて、暑くはない。
砂丘入口の丘を登ると、眼下に広大な砂丘が広がる、砂丘はすり鉢状になっており、手前でゆるやかに下っているが、その前方は小高い丘になっている。丘は「馬の背」と呼ばれている。「馬の背」の陰に日本海が広がっているのである。大自然が創り出した広大な光景に圧倒された。(写真・上)
砂漠は風によって作られた風紋(ふうもん)によってさざ波のような模様がついていて美しい。私は風紋を踏みながらすり鉢を下り、すり鉢の底から「馬の背」を目指す。高低差は40メートル。砂に足を取られながら、なんとか馬の背に辿り着く。頂上は風が強く帽子が吹き飛ばされそうだ。(写真・下)83才になって「馬の背」を征服できたという充実感に浸る。
鳥取砂丘には58年前、25才の時、弟と一緒に訪れているが、その時よりも強い印象を受けた。年を重ねたことによって自然に対しての畏敬の念が深まったのであろう。





2025年7月3日木曜日

素敵な場所(図書館)、素敵な味(日本酒)

図書館は私にとって安・近・短。閲覧は無料だし、近くにあるし、閲覧時間は自由。ホッと時間ができた時でかける。私がでかける図書館といえば、牛久、龍ヶ崎、つくば、土浦の4ヵ所。この中でなんといっても素敵なのは土浦図書館アルカス(写真)。
土浦は牛久から15キロ。アルカスは土浦駅直結である。なにしろサロンといった雰囲気なのである。閲覧室の椅子のデザインもバラエティーに富んでおり、しかもゆったりスペース。隣の人を気にせず、読書を楽しむことができる。喫茶コーナーもあり、コーヒーをいただきながら読書ができる。アルカスには図書館で昼寝をするような輩はいない。キチンとしている。閲覧で人気のあるものといえば、新聞では日本経済新聞、週刊誌では週刊文春。これはアルカスに限らず、どこの図書館も共通している。

「父の日」に息子から秋田の地酒を3本いただいたが、この中で「純米大吟醸・鳥海山」は美味しかった。こんな旨い酒は飲んだことがない。ネットで調べると、この酒、数々の賞を受賞しているのである。「フェミナリース世界ワインコンクール2025金賞」「ワイングラスおいしい日本酒アワード2025金賞」「TOKYO酒チャレンジ2025プラチナ賞」。鳥海山は、私の生まれ故郷、由利本荘市の隣町、矢島町の天寿酒造が作っている。「杜氏と蔵人がその米との対話と伝統の技とで醸し上げた一品。華やかな香りと、優しい口当たりの純米大吟醸」とある。この味を殺さず、引き立てるツマミといえば新鮮な刺身だろうか。

2025年6月24日火曜日

沖澤のどかに感動!クラシック音楽は”生きる源泉”

 
私の地元、刈谷シニアクラブは茨城県から表彰されるほど活発な活動をしている。その理由の一つが月1~2回開催される音楽・芸能イベントである。
しかし、クラシック音楽が趣味の小生にとっては、地元の方々の音楽・芸能イベントは楽しめない。カラオケのように自分が参加する場合はうまい下手は関係なく楽しめるが、受け身で鑑賞する場合はどうしてもそのレベルが気になってしまう。その時間があればプロのクラシック音楽のCDを聴いていた方がマシである。
クラシック音楽の醍醐味は演奏会場に行ってナマのコンサートを聴くことである。
15日(日)川崎市のコンサートホールにでかけた。
現在、世界が注目している指揮者、沖澤のどか指揮(写真・左上)・東京都交響楽団のコンサートがあった。沖澤さんは2023年から京都市交響楽団の常任指揮者を務めている。「京都から日本へ、世界へ」が同響のテーマである。同響は東京公演も行っているがチケットはすぐ売り切れてしまう。今回は都響のコンサートということでたまたまチケットが残っていた。私が理事をつとめている龍ヶ崎ゲヴァントハウスの会員4名、神奈川にいる弟も一緒だった。
後半に演奏されたのはストラヴィンスキーの「春の祭典」。音楽評論家の東条碩夫氏はこう評
した。「沖澤と都響の機能的な腕の冴とが遺憾なく発揮された豪演。この超大編成の作品をオーケストラともども、かくも緻密に統率制御していた沖澤の力量は、やはり並みのものではない」終演後、オーケストラが去っても聴衆の拍手は鳴りやまず、沖澤はステージに登場した。(写真・下右)
83才になると、ボケも進み、目力、耳力も減退する。
でも、まだ沖澤の音楽に感動することができた。クラシック音楽は私の生きる源泉である。

2025年6月19日木曜日

葉梨衆議院議員、令和の米騒動についてコメント

 
10日(火)、佐藤則男さんにお目にかかる。(49年前、米国出張でお世話になる)コロムビア大学卒業。2015年、講談社から「なぜヒラリークリントンを大統領にしないのか」を出版。お元気な間に混乱が続く米国にメスを入れた本を出版して欲しい。奥様は国連勤務。共著であれば興味深いものになると思う。
13日(金)刈谷シニアクラブのバス研修旅行で東京へ。国会で葉梨衆議院議員にお目にかかった。(写真・右)現在「農林水産委員会筆頭理事」の任にあり多忙とのこと。令和の米騒動について、こうコメントした。「5キロ4千円~
5千円ではまりにも高すぎる。小泉大臣が備蓄米を随意契約して、小売店に早く届ける手法をとっている。緊急措置として評価している。銘柄米を5キロ、3千円台でソフトランディングさせたいと考えている。その方針のもとに小泉大臣にはJA、卸業者と調整して欲しいと要請している」
JAのトップは「今の4千円から5千円の価格は高くない」とコメントし、非常識だと感じていたので、葉梨議員のコメントにホッとした。
国会の後、迎賓館を見学した。(写真・左)その豪華さには驚いたが、外国の要人には日本国民の庶民の生活も見て欲しい。
14日(土)15日の「父の日」を前に娘と息子からプレゼントが届いた。娘からは素敵なシャツ。息子からは秋田の地酒セット。(写真・右下)これからも元気で頑張らなければと思った。


2025年6月12日木曜日

東工大(TDK)対 大阪大(ソニー)

6月5日、発売になった「ステレオ時代」neo9号に「日本生まれのコバルト磁性体、ハイポジション新時代」という特集企画が掲載された。カセットテープは1966年、日本で発売された。この頃、音を記録するための磁性体はガンマ酸化鉄だった。しかし、この磁性体ではいくら改良してもFM放送の高域周波数帯域をカバーすることができなかった。これを克服したのが、アメリカのデュポン社が開発した二酸化クロム磁性材を使用したクロムテープだった。しかし、クロムテープを生産するためには数億円の特許料をデュポン社に払わなくてはならない。しかもク
ロムテープには中低域の出力が足りないという欠点があった。つまりハイ上がりの音だった。日本のメーカーはクロムに対抗するために、クロム磁性材を使用しない新しい磁性材を開発する。これがガンマ酸化鉄で不足していた高域をカバーしたコバルト磁性体だった。1975年TDK、1976年マクセル、1978年ソニーが相次いでコバルト系、ハイポジションテープを発売する。「ステレオ時代」ではTDKとソニーでコバルト系の磁性
体を開発した技術者にインタビューしている。TDKの技術者は梅木信治さん。(写真・右)東工大出身。大学時代から磁性体薄膜をメッキする方法を研究していた。この手法を応用してコバルトを磁性膜に被着させた。ソニーの技術者は北川正隆さん。(写真・左)大阪大学物理学修士課程卒。ソニーに入社し、テープを製造している仙台工場への配属を命じられた時は「騙されたな」と思ったそうだ。
塩化コバルトの投入方法を工夫して商品化にこぎ着けた。
畠山はクロムという黒船の到来に対して国産化で対抗しようと決断したTDKの経営判断の背景とマーケティング戦略について語っている。



2025年6月5日木曜日

長嶋茂雄さん追悼。ブログ(2025/1)再録&ローマでお目にかかる。

  

1月11日、NHKテレビで「長嶋茂雄の世紀」が放送された。

長嶋茂雄、1936年、千葉県佐倉市生まれ。愛称は「ミスタージャイアンツ」。同時代に活躍した王貞治とはともに「ON砲」と称され、2人のバッティングは巨人のⅤ9に貢献した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初。NPB最多記録となる最多安打を10回獲得。セ・リーグ最多記録となる首位打者を6回獲得した。
ルーキーの1958年、3番サードで先発出場。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫した。その全てが渾身のフルスィングだった。1959年天覧覧試合では、4対4で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋が阪神の2番手、村山実からサヨナラ本塁打を放つ。1968年、阪神とのダブルヘッター第2試合、4回裏、権藤投手が王選手の後頭部にデットボール。次打席の長嶋は33号の3ランを放つ。さらに8回に2ランを放つ。長嶋の仇討ちといわれる。この3つのできごとは長嶋伝説として語り継がれている。
 その長嶋がどうしてアメリカのメジャーリーグに行かなかったか?1966年、日米野球で来日したドジャースのオマリー会長が「長嶋を譲って欲しい。2年間でいい」。しかし、正力松太郎読売新聞社主は「長嶋がいなくなると、日本の野球は10年遅れる」と断った。元祖・大谷翔平ともいえる長嶋茂雄はメジャーリーグに行くことができなかった。

1987年、世界陸上ローマ大会が開催された。TDKはこの大会のゼッケンスポンサーだった。大会期間中、私は同大会の担当としてローマに滞在した。同大会の模様は日本テレビを通じて日本に生中継された。番組のMⅭを担当されたのは長嶋茂雄さんだった。長嶋さんの謙虚で誠実なお人柄は心に沁みた。(写真上。左から小生、長嶋さん。徳田さん)

2025年6月3日火曜日

「続・ソニー盛田会長との200年の誓い」(2/2)ウソのない社会の為に。

 続編には法廷におけるソニーの証言についての検証結果が記載されている。
ソニーはソニー神社は常陸国出雲大社の高橋宮司に依頼したものではない等の証言をしているが、高橋宮司は全てウソの証言だと語っている。
その一例が、神社の地下に埋められた、盛田会長の「大願意」(写真・左)である。①ここに書かれている盛田昭夫の署名は「本人の筆跡ではないように思われる」と証言している。ソニーともあろう会社が創業者の筆跡を確定せずに証言するというのは不思議である。本人のものでないとしたら、誰がなんのために書いたのか。②と、いいながら、「盛田会長は一人で大願意
を書いた」と証言している。一人で書いたのであれば、本人が書いたものに違いない。③書いた日について「10月19日」と証言しているが、大願意には9月22日と記されている。
このような支離滅裂な証言をソニーはしているのである。この証言について裁判官はなんの質問もせず、その証言を是として裁定を下しているのである。高橋宮司が怒るのは当然だろう。
高橋宮司は裁判に敗れたが、結論ありきと思われる杜撰な裁判の実態を記録を残すべきだという信念のもとにこの本を出版した。高橋宮司は裁判から本の出版まで1千万円を超える私費を投じている。ウソのない当たり前の社会になるのであれば本望だという。それは盛田会長の願いでもあるという。(ソニー神社で創業者の慰霊を敬う盛田会長・写真右)