2025年4月22日火曜日

まんず、おもしぇがった!首都圏秋田県人会

 20日(日)12:00から市ヶ谷で「首都圏秋田県人会」開催。会費1万円。参加者120名。
懇親会の冒頭。秋田県民歌唱和には驚きました。なにしろ、秋田をでて63年。あわてて、歌詞を見る。「秀麗無比なる鳥海山よ、狂乱吼えたつ男鹿半島よ、神秘の十和田は田沢とともに・・・」。なかなか素敵な歌詞である。
秋田県東京事務所代表の挨拶にまた驚く。「秋田県は30年で人口が30万名減少しました」人口減少県のトップレベルとは聞いていたが、30年で30万名となるとこの先が心配である。
隣の席の方は近藤さん、山本郡三種(みたね)町のふるさとPR大使とのこと。今年80才。秋田高校から早稲田大学に進み、古河電工に入社されたというから秋田のエリートである。私の名刺を見て「TDK?へえ、秋田に工場があるの?へえ、なんでこんな不便な秋田に工場を建てたの?」「実はTDKを作ったのはにかほ市出身の斎藤憲三さんなんです」「へえ」。秋田の
ご出身の方であれば、誰でもTDKのことは知っていると思ったら、とんでもない。驚きました。古河財閥のトップ企業からみれば、TDKなんて駆け出しの新米企業なのだろう。これから秋田民謡もはじまり、宴たけなわといったところで「へばまた(またあいましょう)」と皆さんに挨拶して退散。
神奈川にある鶴巻温泉病院に向かう。山北に住んでいる弟が3月25日、脳内出血を発症。同病院でリハビリ中なのである。幸い元気で2週間くらいで退院できそう、とのこと。弟は今年古希。退院したら車の免許証は返上するが、酒はほどほどであればいけるという。快気祝で一杯やるのが楽しみである。

2025年4月15日火曜日

「地球はなぜ丸いのか」日本の知性派の総意が生み出した名曲・名演奏

 14日18:30~東京・赤坂サントリーホールで「六本木男性合唱団ZIG-ZAG25周年記念公演」「三枝成彰・最後の手紙・カンタータ天涯」のコンサートがあった。
プログラムを開くと、合唱団OBとして俳優の奥田瑛二・辰巳琢郎、小説家の島田雅彦、アナウンサーの露木茂、政治家の鳩山由紀夫・林芳正が名を連ねている。
「最後の手紙」は戦争の悲惨さを描いた作品だった。「カンタータ天涯」は第1曲「なぜ、地球は丸いか知っている?別れた人同士がまた何処かで出会えるように、神様が地球を丸くしたからだよ」というボーイソプラノの清冽な歌声ではじまる。最終第8曲はベートーベンの第9「苦悩をつきぬけて歓喜へ」を想起させる壮大さだった。作詞・島田雅彦、作曲・三枝成彰、指揮・大友直人、管弦楽・新日本フィル、他
「カンタータ天涯」には(自由人の祈り)という副題がついており、~世界よりも宇宙よりも広い果てしない空間。~故 盛田昭夫氏に捧ぐ。とある。この作品は、ソニー創業者の一人であり名誉会長だった盛田昭夫氏(写真)のご遺族の委嘱で作られたもので、作詞・作曲はご遺族が語った盛田氏の生きざまや足跡をもとにして作られたという。日本の知性派の総意が生み出した名曲であり、名演奏だと感じた。
この日は昼前に家をでて、13時、江東区豊洲にある三井住友カード本社を訪問。カードが不正使用にあったためである。驚いたことに対応は面談ではなく担当者からの電話だった。わざわざ会社に伺ったのに・・・。やがて対応はAIロボットに変わる予感がした。
15:30分、上野公園・スターバックスで生き残った高校時代の知性派と久々の懇談。新聞部長だった伊藤君のお嬢さんも参加された。


2025年4月7日月曜日

桜満開!人生も満開!


今日(7日)は朝8:30分からグランドゴルフ。グランドの桜は満開だった。
昼、帰宅してパソコンに向かう。パソコンのある書斎は書類で足の踏み場もない。(写真・左)2年がかりで監修している「ソニー盛田会長との200年の誓い」続編が校正の段階まで辿りついた。校正の確認作業でアチコチの書類をひっかきまわしている最中なのである。自画自賛になるが、この本多岐にわたる編集内容で読み応え十分。出版されたら話題になるに違いない。5月下旬出版予定である。
週末、11日はTDK本社である。「ステレオ時代」誌の取材がある。テーマはカセットテープ。もう終だろうと毎年思うのだが取材の声がかかる。それだけカセットテープは人生にかかせなかったもののようだ。カセットテープの磁性材を開発された技術の大先輩がメインなのだが、私は当時商品企画を担当しており聴感評価にかかわっていた。現在、私の聴力は加齢によって劣化。テレビを見る時、字幕に頼っているという情けない現状である。
14日はサントリーホールで六本木男性合唱団25周年記念コンサートがある。演奏曲目は三枝成彰作曲「最後の手紙」とカンタータ「天涯」である。カンタータ「天涯」はソニー盛田会長に因んだ作品のようである。盛田さんの戒名は「天涯」なのである。本の監修者として聴くべきだと思った。
20日は「首都圏秋田県人会連合会総会&懇親会」知らない方がほとんどだが、ンダンダとうなずきながら同郷人と飲む酒は格別である。

2025年3月29日土曜日

心洗われるワーグナーの楽劇/東京・春・音楽祭

東京・上野で「東京・春・音楽祭」というイベントが開催されている。
桜咲く春の上野を舞台に東京の春の訪れを祝う日本最大級のクラシック音楽の祭典である。3月14日~4月20日にかけて上野公園の各施設(東京文化会館、各美術館、博物館等)を拠点に国内外のアーチストによるオペラ、オーケストラ、室内楽などの演奏会が行われている。実行委員長は国や東京都ではなく、鈴木幸一さんというインターネット関連メーカーの会長さん。いわゆる民間主導の音楽祭であり、クラシックファンとしては鈴木さんに感謝感激である。
3月27日、ワーグナーの楽劇「パルジファル」(演奏会形式)の公演に足を運んだ。昨年、満を持してチケットを購入した。A席¥22,500だった。
ワーグナーの楽劇(オペラ)は何しろ長い。開演午後3時、終演は夜の8時である。舞台神聖劇「パルジファル」はワーグナー最後の楽劇。筋書は「官能に負けて傷ついた王を無垢で愚かなパルジファルが聖槍によって治し、新しい王になる」。ワーグナーは欲に負けない無欲の人間の方が天(神)に通じるということを表現したかったのだと思う。
指揮は今年86才のワーグナー指揮界の巨匠ヤノフスキ―。オーケストラはNHK交響楽団。三階正面席で聴くこのコンビのワーグナーサウンドは素晴らしかったです。美しい聖なるサウンドに異次元の世界に浸った5時間でした。歌手陣もすばらしかった。ただ小生83才。字幕が読めず、オペラグラスをはじめて使用しました。

2025年3月24日月曜日

8月大相撲牛久場所。大の里は横綱。高安は大関返り咲!期待。

 大相撲春場所後半戦は牛久在住の小生にとって正に手に汗握る日々だった。
牛久市は横綱・稀勢の里の出身地である。牛久駅東口には稀勢の里の手形を刻んだ石碑がある。隣町・阿見町には稀勢の里が親方を務める二所ノ関部屋の道場がある。(写真・右)この道場の出世頭が大関・大の里である。大の里は石川県の出身だが、私にとっては地元力士なのである。阿見町の隣、土浦市は高安の出身地である。
 
春場所、大の里の活躍は当初から期待していたが、35才になる高安の活躍は想定外だった。10日目まで9勝1敗。これなら悲願の初優勝なるかと思ったが、11日に霧島に敗れ9勝2敗。またダメかと思ったが、13日は鬼の形相で若元春を突き出し(写真・読売新聞)。これならいけると思っていたら14日、美ノ海に負け3敗で大の里と並ぶ。ここでダメだと思ったが、千秋楽、難敵、阿炎を倒し、大の里との優勝決定に持ち込む。決定戦で大の里に負けたが、地力と若さで勝る大の里を相手に善戦した。春場所は高安の相撲人生の白眉だったと思う。
地元力士の活躍もあり、8月には大相撲牛久場所が開催される。稀勢の里が親方として、大の里がナンバーワン実力者として故郷に錦を飾ることになる。8月、大の里が横綱になっている可能性もある。高安が大関に返り咲いているかもしれない。そのためには5月、7月場所で、両力士とも優勝するなどの好成績が必要となる。頑張って欲しい。牛久場所のチケット、¥10,000~¥19,000と高額であるが、ほぼ売り切れらしい。




2025年3月18日火曜日

母三回忌。新幹線「秋田こまち」連結不良に遭遇。


母の三回忌が3月13日(木)秋田の実家で行われた。
当日、牛久発の始発5:36分発に乗車。上野発7:38分発の東北新幹線「はやぶさ」に乗車するので、6時台の電車でも間に合うのだが、大事をとって、早目に上野まで行くことにした。JR不信でもある。
通常であれば上野発7:38「はやぶさ」には秋田新幹線「こまち」が連結されており、上野から秋田まで、乗り換える必要がないのだが、連結不良が確認されたため、盛岡まで「はやぶさ」で行き、盛岡で「こまち」に乗ることになったのである。(14日から連結不良が解除された。もうⅠ日早ければ良かったのに・・・)
母は2023年3月13日、105才で亡くなった。
母は本当に良妻賢母だった。母の実家である板垣家は多くの山林を有する資産家だった。しかし、父は質素倹約に務めた。仕事着を締めるのに帯の代わりに荒縄を使っていたのは村でも有名で、私の記憶にもある。母は同じ村で弁護士を務める猪股家から板垣家に嫁いだ。気品のある方だった。
三回忌の宴席で兄は父親が酒乱だったことを紹介した。普段はおとなしい父が酒を飲むと母や自分を「ンゲダモノ(お前達のような者)」と罵倒したという。母はそれに耐え偲んできたという。高校時代から実家を離れた私はそのような父を知らない。牛久のわが家を訪れる父はいつも優しい笑顔だった。
母が生んだ5人兄弟。姉は母が亡くなった年の9月亡くなった。4人の兄弟も年をとった。母の七回忌に兄弟が集まるのは難しいだろう。
宴席の最期、兄から「俊、〆の挨拶を」といわれた。「来年、兄さんの生前葬をやりましょう」。三回忌の宴席が余りにも楽しかったので、つい、口が滑った。というか、なにかを口実に来年も集まりたいものである。


2025年3月11日火曜日

世界に羽ばたくママさん指揮者、沖澤のどかさん

 クラシック音楽業界で話題の沖澤のどかさんが読売日本交響楽団を指揮したシベリウスの交響曲第2番のCDを聴いた。かつてない感動を覚えた。手垢のついたシベリウスの名曲が、今生まれたばかりのように聴こえたのである。
クラシック音楽といえば、作曲家はモーツアルト、ベートーヴェン、ブラームス等、決まりきっている。それなのに100年も200年も愛聴されているのは、指揮者によって、作品が新たに生まれ変わるからである。カラヤン、バーンスタイン、小澤征爾等の指揮者が、作品に新に生命を吹き込んできたのである。沖澤のどかさんは、その巨匠達の後を引き継ぐ天性の才能を持ち合わせているような予感がする。
沖澤さんは1987年、青森県三沢市の生まれである。東京芸大で学んだ後、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン博士課程オーケストラ指揮専攻終了。2019年第56回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。2020年、ウクライナとの連帯を示すためのコンサートでウィーンフィルと並んで世界最高のオーケストラであるベルリン・フィルを指揮した。
私生活では、2019年リトアニア人男性と結婚。2児の母である。
クラシック音楽を聴かない方でもジャケットの沖澤さんの写真(特に澄んだ目)を見れば天性の才能の方だと見当がつくのではないだろうか。
3月2日、友人の誘いで土浦で開催された「いばらく」を聞かせていただいた。茨城県を落語で盛り上げようと結成された茨城県出身の若手落語家のユニットである。落語も真骨頂は古典落語である。そういった面ではクラシック音楽と共通の再現芸術である。今後の活躍を期待したい。(左から柳亭市寿、立川成幸、立川志のぽん)

2025年3月6日木曜日

81才と18才の違い(老人会)

今日(6日)は老人会(刈谷シニアクラブ)の誕生会があった。
3月生まれの10名が、近況を語った。私も3月生まれである。
当会の会員の平均年齢は81才だという。
私は先輩がメールで送信してくれた「81才と18才の違い」を披露した。
〇恋に溺れるのが18才。風呂に溺れるのが81才 〇道路を暴走するのは18才。道路を迷走するのは81才 〇心がもろいのが18才。骨がもろいのが81才 〇偏差値が気になるのが18才。血圧・血糖値が気になるのが81才 〇まだ何も知らないのが18才。もう何も覚えてないのが81才 〇自分を捜しているのが18才。皆が自分を捜しているのが81才 〇家に帰らないのが18才。家に帰れないのが81才
会場、大笑いで喜んでいただいた。
ところで、私は今月83才になる。学校、会社の同僚の1/3は死亡、1/3は連絡とれず、残り1/3は連絡がとれても会えなくなってきている。
と、言うことで、地元の老人会は大事である。
2月20日の老人会には筑波大学フォルクローレの皆さんが、ボランティアでお出でになり、「コンドルは飛んでいく」などの中南米音楽を披露して下さった。(写真・上)学校で心理学を専攻しているといった秀才な皆さんである。われわれの孫世代である。18才と81才の貴重な触れあいだった。

2025年2月28日金曜日

映画「山椒太夫」、今も続く人さらいの人間社会

 
1954年に公開された溝口健二監督作品「山椒太夫」を観て感動した。この映画ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞するなど海外でも高く評価されたという。(原作・森 鴎外)
1954年といえば私が12才の時の映画である。多分、私も中学校時代観ているはずである。「山椒太夫」というより「安寿と厨子王」としての印象が強い。「母と一緒に安寿と厨子王は浜辺で人さらいに会い、母と生別れる」浜辺で「安寿恋しや、ほうやれほ、厨子王恋しや、ほうれやほ」と杖にすがる母親の姿が痛々しい。(写真)溝口監督は平安時代の日本の自然、世情を忠実に再現。人さらいに会った安寿と厨子王は山椒太夫の荘園で過酷な労働を強いられる。逃げようとすると赤く焼けた火箸で肌を焼かれる。
映画を観て、平和な時代に生まれて良かったと痛感する。しかし、この人さらい、今でも続いている。北朝鮮に拉致された日本人。彼らはかの国でどんな生活をしてるのだろう。彼らの親族は日夜、日本海を眺めて嗚咽しているのである。
最近ではミャンマーの詐欺集団がSNSで日本の若者を勧誘し、逃亡しようとすると電気ショック等の拷問をしているという。拉致した若者が住む鉄格子の入ったアパート群を見ると、慄然としてしまうのである。
かと思うと、大国のトップが国際ルールや法を無視した行動を平気でとるようになった。
平穏な生活を続けていくためには、真面目に働き、ウマい話には乗らないよう心がけなくてはならない。
 
 

2025年2月22日土曜日

これからは宇宙ビジネスです(野村セミナーの提示)

昨日、地元・筑波銀行主催の会社説明会と、野村證券による投資環境セミナーが開催された。筑波銀行は「地域のために、未来のために」「小回りと質で地域をとことん支援する」と頭取の生田氏は語った。参加者へのお土産に筑西市にある湖月庵の「館最中」が提供されたが、これも地元支援の一環であろう。美味しかった。
続いて、野村證券投資情報部長の東氏が「2025年の経済・株式市場の見通し」について語った。驚いたのは「トランプ政権の注目テーマ”宇宙”=収益期に入る宇宙ビジネス」についての提示である。
日本では年に数回人口衛星を上げ、成功したとか失敗したというのがニュースになっているが、実は世界全体では1日平均7個超の人口衛星が打上げられているのだという。(成功したとか失敗したというのは世界的にニュースにならない)このビジネスに力をいれているのが、アメリカの影の大統領といわれているイ―ロン・マスク氏なのだそうだ。
人工衛星を使ったビジネスは位置情報では、自動運転や船舶の航行支援、物流の効率化などに。画像、センサー、監視サービスでは、天気予報や農作物の生育予測、魚群探査、地質調査、防災、疾病監視、安全保障などに実用化されている。
日本のマスコミでは技術予測というと「生成AI」が話題の中心だが、「宇宙ビジネス」にも目を向けなければいけない。と感じた。


2025年2月16日日曜日

「旅愁」から岡本太郎の「太陽の塔」へ

8日は音楽仲間「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」の例会。講師にオーディオ研究家の新忠篤先生をお迎えしての講演会が行われた。
今年はマイクを使用してレコード録音がはじまって100年だという。その前はラッパ吹き込みの時代で、ラッパの前で演奏し、その音の振動をラッパの先についている針に伝え、レコード盤に刻んでいたという。先生は冒頭、1909(明治42)年、ロンドンでラッパ吹き込
みで録音された「君が代」を聴かせてくれた。(写真・右。先生が手に持っているのが、その貴重なレコード盤)次いで先生は「旅愁」をラッパ吹き込みのもの3種、マイク録音によるもの7種再生。「旅愁」というと、「ふけゆく秋の夜・・・」で馴染み深いが、なんとこの曲を作ったのはアメリカ人だという。講演終了後の質疑でわかったことだが、現在の音楽教科書には「旅愁」は載っていないという。
講演会終了後、先生を囲む懇親会。小沼さんという新会員の方の隣に座った。「ゲヴァントハウスに入会してクラシック音楽は作曲家、演奏者、指揮者三つ巴の戦いということを痛感してます」からはじまって、「ところで、今年開催される大阪万博はなんですかね。1970年の万博では岡本太郎の”太陽の
塔”という強烈なシンボルがあった」「私は米国で10年以上働きましたが、アメリカ人には哲学があるが、日本人にはそれがない」。私は「そんな難しいことを急に言われても・・・」という心境だったが、それはそれで身心とも活性化され、若返った気がした。(写真上・左が小沼さん、その右がわざわざ福島から参加した市川さん、その隣はLPレコードの収集家・海老原さん)

2025年2月7日金曜日

植物病理学者の夢は「クラシック居酒屋」

 わが牛久市と研究学園都市つくば市は隣同志である。
つくばの研究者にはクラシック音楽ファンが多いようだ。
加来久敏さんも、その中のお一人。加来さんは1946年生まれ。79才。小生より4才若い。農林水産省の研究機関で植物病理の研究を行う植物病理学者である。研究の傍ら「クラシック33名盤へのオマージュ」という音楽書を出版。ベストセラーになっている。
2月2日「畠山さん、私のアパートで新年会をやりましょう」ということでお邪魔した。現役高校教師の瀧澤さんも柏市からかけつけた。
加来さんのアパートは、実は音楽・オーディオ研究室なのである。素晴らしいオーディオ機器があり、数多くのCDコレクション。そして音楽専門書のライブラリー。
加来さんは音楽と同じように無類のお酒好き。加来さんの夢は「クラシック居酒屋」を開くことだという。当日はそのリハーサルだったのかも知れない。
瀧澤さんはドイツビール持参、小生は濁り酒を持参、CDを聴きながらいただく。小生はカセットデッキの最高峰ナカミチ1000ⅡとTDK・SAで録音したチェロのCDを持参。(写真)眼前でチェロが鳴っているようなリアルな音に圧倒された。さすが加来さんが調教したオーディオ装置である。瀧澤さんが持参したCDは10枚ほど。隠れた名曲ということで再生したチャイコフスキーの四季、隠れた名演奏ということで鬼才ロリン・マゼールのCDを披露。
加来さんはお酒のつまみに新鮮な刺身を取り寄せ、その後、おでん、がでてくるという万全の心配り。
12時に開催した新年会はアッという間に時間経過。予定の時刻である4:30になったので退散。無事、帰りのバスに乗車して牛久のバス停についたが、そこから自宅までの2キロは千鳥足だった。

2025年2月1日土曜日

カセットテープの国内発売順を検証。丸3年

 私はTDKで1968年から19年間カセットテープの仕事にかかわった。また、1986年から12年間、日本記録メディア工業会の委員を兼任。業務委員長、広報委員長を歴任した。
日本記録メディア工業会の前身は磁気テープ工業会。昭和28年、磁気録音テープ業界の健全な発展を目的に設立された。創立当時の加入メーカーはソニー、TDK、日本コロムビア、フジフィルム、マクセルの5社。初代理事長はソニーの盛田昭夫氏だった。(写真)
工業会の最盛期はカセットテープが発売された1966年から2000年初頭までである。2013年にはデジタル化の波に押されカセットテープ事業は衰退。工業会は解散する。
 日本で最初にカセットテープを発売したのはTDKである。(1966年6月)しかし、2022年(令和4)頃からネット上で「日本でカセットテープを最初に発売したのは(TDKではなく)A社である」という記事が露出しはじめる。これはTDK・OBとして、また公正な情報発信を基本とする元・工業会広報委員長として見逃すわけにはいかない。
1966年6月にTDKが発売したことは2005年に放送された「NHKプロジェクトⅩ」で周知の事実だが、私は永田町にある国会図書館に通い、当時の業界新聞(電波新聞)を閲覧。自社ブランド(シンクロ)でもTDKが最初であることを突き止める。(写真・左)その後、今年になってA社から新証言が飛び出し、国内におけるカセットテープの発売は次のような順番となることを確認。工業会OB有志に小生の検証結果を報告した。
 1966年6月 TDK、松下電器に納入 同年7月 マクセル発売(企業向)、同年9月 TDK(シンクロ)発売(市販) 同年10月 マクセル発売(市販) 同年11月 ソニー発売(市販)

2025年1月25日土曜日

北国の女流歌人、伊藤幸子さん

 
20日、トランプ大統領就任。その後を追うようにフジテレビ問題が露呈。フジテレビ問題はトップの対応が一瞬にして企業を危機に陥れるというテレビドラマ以上の展開で眼が離せない。
そんな中、伊藤幸子さんの歌集「桜桃花」、エッセイ集「口ずさむ時」を久しぶりに本棚から取り出した。「桜桃花」の中の一句である。
  
  明けやらぬあしたにわが曳くリヤカーは重く軋みぬ死せる父乗せて

作者は昭和20年、岩手山の麓で生まれた。16才で父を亡くし、亡骸をリヤカーで運ん
だ。”重く軋みぬ”という言葉にリヤカーの重さに、残された作者の生活環境の厳しさが重なり、慄然とするのである。
 実は伊藤幸子さんは、私の高校時代の親友、伊藤博君の奥さんである。伊藤君は母校、鷹巣農林一の秀才。幸子さんは盛岡二高のご出身。秀才だったに違いない。伊藤君は1988年56才で早逝した。
  
  夫の里わが里とも誇りつつ水旨きこと他には譲らず

「口ずさむとき」は2007年から8年間、「盛岡タイムズ」に掲載されたエッセイ416作品を収録したものである。エッセイの冒頭に日本を代表する歌人の作品を配し、その歌に関連した作者の卓越したエッセイが続く。珠玉の数々である。
 モーツアルトを聴きながら、このエッセイを読むのは人生の終幕を迎えた小生の至福の一時である。
(伊藤幸子➡日本歌人クラブ会員、岩手県歌人クラブ幹事、日本ペンクラブ会員)


2025年1月16日木曜日

元祖!大谷翔平「長嶋茂雄の世紀」

 1月11日、NHKテレビで「長嶋茂雄の世紀」が放送された。
長嶋茂雄、1936年、千葉県佐倉市生まれ。愛称は「ミスタージャイアンツ」。同時代に活躍した王貞治とはともに「ON砲」と称され、2人のバッティングは巨人のⅤ9に貢献した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初。NPB最多記録となる最多安打を10回獲得。セ・リーグ最多記録となる首位打者を6回獲得した。
ルーキーの1958年、3番サードで先発出場。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫した。その全てが渾身のフルスィングだった。1959年天覧覧試合では、4対4で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋が阪神の2番手、村山実からサヨナラ本塁打を放つ。1968年、阪神とのダブルヘッター第2試合、4回裏、権藤投手が王選手の後頭部にデットボール。次打席の長嶋は33号の3ランを放つ。さらに8回に2ランを放つ。長嶋の仇討ちといわれる。この3つのできごとは長嶋伝説として語り継がれている。
 その長嶋がどうしてアメリカのメジャーリーグに行かなかったか?1966年、日米野球で来日したドジャースのオマリー会長が「長嶋を譲って欲しい。2年間でいい」。しかし、正力松太郎読売新聞社主は「長嶋がいなくなると、日本の野球は10年遅れる」と断った。元祖・大谷翔平ともいえる長嶋茂雄はメジャーリーグに行くことができなかった。
 テレビでは長嶋茂雄の引退試合の模様も放映された。後楽園球場に並ぶ長嶋ファンの頭上の上に「世界のTDKカセット」の看板が写ったので驚いた。



2025年1月10日金曜日

新年多忙!グランドゴルフ久々の入賞

新年、9日から活動開始。
当日は10時から私が済む刈谷地区シニアクラブ新年会。
平均年齢80才くらいだろうか。と、言う私は3月の誕生日がくると83才になる。
久しぶりに仲間と顔を合わせ、新年のご挨拶。
会長から「東北は雪だというのに今日も晴れ。牛久は地の利に恵まれております。今年も元気で頑張りまよう」との挨拶。秋田生まれの私は故郷の仲間達はどんな新年を迎えたろう?と幼少期の秋田の冬を思い出す。
司会から「11:30には寿司が到着します」という説明があったが、10:30には寿司が配られた。早速ご馳走になりながら、ビールをいただく。新年の昼酒は格別である。
舞台ではカラオケ自慢が次々に登場。仲間の歌を聴きながら役員の方々が差し出す一升瓶からのお酒に盃を差し出す。
帰りは、新年の記念に切り絵クラブが制作した巳年の作品を頂く。(写真)
今日、10日は新年グランドゴルフ大会。ここ数年、新入りの会員も増えた。グランドゴルフは新入りもベテランも男女の差もない。大会で上位に食い込むことは難しくなった。20年近くやっているベテランとして、なんとか面目を保ちたいものである。
メンバーの中には90才だが野球選手だったというスポーツマン、新人だが東京都消防団のレスキュー部隊員だったという筋金入り等、競合がひしめく。結果は34名の参加中、4位だった。10位以内の入賞は数年ぶりである。今年は春から縁起がいい。
明日11日は音楽仲間の「龍ヶ崎ゲヴァントハウス・新春例会」13日牛久シティマラソンの手伝い。14日は会社OBパソコンクラブの例会と続く。


2025年1月5日日曜日

正月、痛快「世界のクロサワ」でリフレッシュ

毎年のことだが、年末年始というとテレビはバラエティ番組ラッシュ。どこをみても「サンマ」「ジョージ」「ざわつくメンバー」。変わったところといえば、池上彰の番組が増えたこと。手軽に2024年を振り返り、2025年を展望できるので助かる。年末恒例の紅白歌合戦は、知らない歌手ばかり。年始に来宅した、30才の孫娘も「私もわからない」というから今年83才を迎えるジジイにわかるはずがない。
正月、最大の気分転換は、録画しておいた「世界のクロサワ」・黒澤明(1910-1998)の3本立て。「七人の侍」(1954)「用心棒」(1961)「椿三十郎」(1962)。その中で輝ていた俳優といえば、やはり三船敏郎(1920-1997)。「七人の侍」の野人のような百姓上がりの侍も良かったが、「用心棒」(写真・上)「椿三十郎」の浪人は凄かったですね。特に「椿三十郎」では40秒で30人を切り倒すという電光石火の殺陣。さらに最終幕、仲代達矢との一騎打ち。長いにらみ合いが続いた後の居合切り。仲代の脇腹からブシュ―と血しぶきが噴き出るシーンは圧巻だった。
この三作品は今まで何回か見ているはずだが、年齢を重ねた現在、その作品の偉大さをより明確に感ずるのである。改めてクロサワの凄さを実感した。
なんと、なんと、1月11日からはBS4Kで、黒澤明、小津安二郎、溝口健二という三大巨匠の作品が4Kデジタル修復版で放映されるという。
4日は笠間市の常陸国出雲大社に初詣(写真)。高橋宮司と昼食。宮司は1992年(平成4)にこの地に神社を建立。30億円の借入をして神社を建立したという。自分が途中で倒れた時のために生命保険をかけたが生命保険の上限は5億円。「つまり、5回死なないと借金を返せない状態からスタートしたんです」と笑う。新年早々壮絶な話だった。現在、常時50名の職員が働いているという。日本一繁盛している神社になったのである。
高橋宮司はクロサワのような天才なのかもしれない。