2018年6月10日日曜日
私のアルバムから⑦24才の時、社長表彰
振り返ってみると、24才の時(1966年)「社長表彰」をいただいた。TDKの歴史の中でも最年少記録だと思う。
その時、私は社内報「TDKタイムズ」の編集担当だった。その社内報がPR研究会主催の「第6回全国社内報コンクール」に入賞したのである。審査員は野田一夫、十返千鶴子、三樹精吉、中村武志、池田喜作の5氏。授賞の理由は「編集者が足で取材した努力で紙面に活気を与えた」だった。
私は文章、編集とも素人だが、三交替要員、守衛さんたち、会社の陰で働く方達にも光を与えたいと取材に奔走した。その姿勢が評価された。
社長賞は賞状はなく報奨金だけだった。私は形に残したいと思い、報奨金でLPレコードを購入し、その解説書に社長のサインをいただこうと思った。TDKの役員室は「オープンドア」である。ドアはいつも開いており誰でも自由に入室できた。私は社長室を訪れ山﨑社長からサインをいただいた。(写真右上)当時、TDKは東京電気化学工業という名前だった。
山﨑社長は二代目。5千名(当時)の社員全員に毎年誕生カードを書いたというTDKのレジェンド(伝説)社長である。退任後、株を売却した巨額(額面50円の株価は8,940円になっていた)を「死んでからお金を持っていても仕方ありません。研究にお使い下さい」と、母校の東京工業大学に寄付した。
LPレコードはカラヤン指揮、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」。52年経った今でも私の愛聴盤であり、宝物である。
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