2016年5月26日木曜日

甥の立派な長女に驚く(世代交代)



 山北(神奈川県)に住む弟から、「Mさんが、東京の大学に入学したから、歓迎会をしないか」という電話をもらった。その歓迎会が20日(金)新宿小田急デパート、12階のレストランで開催された。参加したのは、私と弟、妹夫妻(笠間)、姉の義弟・工藤光春さん(市川)の6名だった。Mさんには悪いが、Mさんを肴に、東京近郊の親族が集まったという感じである。
 それにしてもMさんの立派なのには驚いた。もう、立派な都会のお嬢様である。Mさんの父である甥のO君も、奥様のWさんも存じ上げているが、ご両親のイメージを超えた気品が漂っている。
 「世代交代」という事を実感した一時だった。これからは、Mさん達の時代なのである。(そういえば、小生の孫のSも、今、21才である)
 Mさんのお父さんH君も東京の大学だった。H君は音楽好きだったので、在学中にバーンスタイン指揮イスラエルフィルのコンサートに誘った事がある。1985年9月、今から31年前の事である。この時の演奏曲目はマーラーの交響曲第9番。音楽評論家に「空前絶後」の名演といわれたコンサートだった。
 Mさんは未成年という事でお酒を召し上がらなかった。次回、お目にかかる時はお酒でも召し上がりながら、実家の事でも語り合いたいものである。もう、自分の時代は終わった。若い方々の前で「一人言」をいうだけである。その中に次代を担う方々の参考になる一言があれば幸いである。
 このような機会を作ってくれた、弟、幸三には感謝である。

2016年5月25日水曜日

郷土の名大関「稀勢の里」


 私の第1の故郷は「秋田」(0才~20才)。第2の故郷は牛久(31才~74才・現在)。そんな訳で牛久出身の「稀勢の里」を応援してきた。
 稀勢の里の四股名の由来は2004年、「稀な勢いで駆け上がる」という意味を込めて鳴戸師匠が提案。本人も納得した。
 大関に昇進する(2012年1月場所)までの稀勢の里は四股名の通リ、破竹の勢いだった。ただ、これから残念な取り口が展開。前半でいつもポロリと敗れるのである。モンゴル出身の「鶴竜」が2012年5月場所で大関に昇進。少なくとも鶴竜より先に横綱に昇進すると思っていたが、鶴竜の方が2014年5月、横綱になってしまった。
 その後も前半でポロリと負ける稀勢の里、同じ郷里ということで後援会にも入ったが、いつも苦渋を飲まされた。ところが、今年の5月場所はどうだろう。仕草、取り口とも堂々としており、勝ち星を続ける。特に10日目の琴奨菊との一戦は真正面からぶっつかり合う死闘。テレビ桟敷にいても血が逆流するようだった。その点、大横綱、白鵬の強引な取り口はいただけない。(まるで格闘技である)
 稀勢の里の活躍で両国国技館は連日満員、テレビの視聴率も連日15%である。それを象徴したのが、5月23日(月)の新聞(写真・読売新聞)。全勝優勝の白鵬よりも、日馬富士に勝った稀勢の里の扱いの方が大きいのである。
 稀勢の里が横綱になれるかどうかは分からない。しかし、私は今場所のような堂々たる相撲を稀勢の里がとってくれれば、満足だし、郷土の誇りだと思う。
 25日の新聞(読売)で横綱審議会の守屋秀繁委員長(75才)はこう語っている。「相撲にはスポーツ、神事、興行の3要素」がある。神様に無礼がないよう『わきまえる精神』が大切だ。わきまえる精神があれば、かち上げや張り手は横綱らしくない・・・それが相撲道であり、歴代の横綱は道を外さなかった。

2016年5月19日木曜日

難行苦行、東京スカイツリー詣で

 
(隅田川、手前・桜橋、北千住・日光方面望む)

 昨日(18日)、東京へ出かけた。
11時に、81才でまだ現役の野原さんと銀座でお会いし、19時~サントリーホールで東京都交響楽団のコンサートを聴くためである。野原さんとの会食が終わってから夜のコンサートまで、大分時間がある。
 「そうだ、予ねて一度は行ってみたいと思っていた東京スカイツリーに行ってみよう・・・」1時半頃、東京スカイツリーに向かう。久しぶりの東京である。地下鉄で東京スカイツリーまでたどり着くのが大変。地下鉄の乗り換えに300mも歩く。2時過ぎには着いたが、オットドッコイ!当日券売り場に行くと、2時間待ちとのこと。幸い本を持参していたので読み始める。
 ところで、東京スカイツリー、できたのは2012年、高さ634メートル、世界一である。近年高層ビルが建ちはじめ、東京タワーでは電波障害が起きるので、その対策の為に建てたという。総工費650億円。
 2時間待ちでやっとチケット売り場へ。350mにある第一展望台のチケットを買う。料金¥2060。エレベーターに乗って驚いたのは、その静寂さ。高速で上がっているのに、揺れもしないし、騒音もしない。350mから見る大東京。それはタワーから見るというより、飛行機から見ると表現した方が良い。大パノラマである。残念ながら富士山は見えなかった。東京スカイツリー、確かに一見の価値はあるが、入場までの苦労を考えると、老人にはムリである。高齢者は若干、チケットの価格は高くなるが、時間指定のチケットを事前に購入した方が良い。
 
 スカイツリーの見学が終わったのは5時頃、夕食をとってサントリーホールでコンサートを聴くにはちょうど良い時間だった。久しぶりのサントリーホール。実に素晴らしいホールだ。曲目はエストニアとアメリカの現代音楽だったが、十分楽しめた。

 

2016年5月17日火曜日

出雲大社、春の大祭(日本の伝統文化)

 
(黒い装束に身を包み、祝詞を上げる神官)
 
 私は秋田の農家の生まれである。
幼少の頃、新年になると「どどさま」と呼ばれる神官がわが家を訪れ、神棚に向かって祝詞を上げ、お祓いをし、家族一同、神棚に頭を下げた記憶がある。
 次男である私はサラリーマンとなり、定年を迎え、今は茨城県の牛久市に住んでいる。細々と年金生活を送っている。
 縁とは不思議なもので、今春、出雲大社常陸教会から「春の大祭」の案内をいただいた。15日(日)11時から挙行するとある。勉強も兼ねてうかがう事にした。
 常陸教会は笠間市にある。わが家から50キロほどである。笠間といえば「笠間稲荷」が有名。笠間稲荷は街の中心部にあるが、出雲大社は街の北西の端にある。急峻な階段を登ると立派な社殿が現れる。天を突くようである。社殿はすでに100名を超える参拝者で埋まっている。
 11時、ドーンドーンという太鼓の音が社殿の中に響き渡る。黒い装束に身を包んだ宮司が登場。
宮司が奥にある神殿に一礼して祝詞がはじまる。抑揚に溢れ、リンとした宮司の声が社殿に響きわたる。祝詞は数百年の時を超え、大地の氏神「大国主の大神」に届くようである。このような祝詞を奏上するまでの宮司の修行は私のようなサラリーマンの想定を超える。式は一時間にもおよび、その中で、参列者一同、国歌「君が代」を斉唱。国家を歌うなど久しぶりである。
 出雲大社の「春の大祭」に参加し、私が感じたのは、自分が日本人だという事である。国際化が進んでいる今だからこそ、日本人は日本の伝統文化に触れるべきだと思った。

 笠間からの帰り、秋田で呼んでいた「どどさま」とはどういう意味だろうかと思った。「殿様」と書いて「どどさま」と呼んでいたのではないだろうか?「どどさま」は品のある顔だちで農民に慕われ、尊敬されていた。

2016年5月16日月曜日

同級生(鷹農)ゴルフ123、最下位。

 
(左から畠山、齋藤、佐藤宣男、阿部、佐藤昭次、簾内)
 
 先週(12日)今年2回目のゴルフコンペに参加しました。結果は123の大叩きで最下位。でも楽しかったなあ。
 コンペ名は「鷹農ゴルフコンペ」。昔、秋田県立鷹巣農林高校(2013年閉校)というのがあったんです。私、そこの卒業なんです。この高校、今はありません。農業とか、林業とか学ぶ若者が今は少ないんでしょう。隣の2高校と合併して、今は北鷹高校といいます。

 当日の参加者(住所)とスコアは以下の通りです。優勝 齋藤拓治(上尾)94、準優勝 簾内隆一(川越)97、阿部秀夫(秋田・大湯)110、佐藤宣男(宇都宮)113、佐藤昭次(龍ヶ崎)118、畠山俊三(牛久)123。<幹事は佐藤宣男君>

 開催場所は栃木県さくら市の紫塚ゴルフ倶楽部。ゴルフ場に着いて驚いたのは、車を駐車させたところ、キャディさんがカートを引いて迎えに来てくれた事。今までの常識では、ゴルフバックは自分でバック置き場まで持っていくのが当たり前。当然、コースもキャディ付き。プレーした全員がこれには満足。「やっぱし、キャディがいないとダメだね」。つまり、皆高齢になったという事です。
 この紫塚ゴルフ倶楽部、コースもキレイ。さらに驚いたのは、宿泊するクラブハウスの立派なこと。楽しかったなあ。優勝して次回幹事になった斎藤君。秋もここでやろう!

 夜の宴会には村上君(山形)、成田君(石岡)、田口君(桶川)も参加。楽しかったなあ!この会いつまで続くやら・・・。昨年まで参加していた黒澤君は、今年亡くなってしまったし・・・。
(宿泊できるクラブハウス)

2016年5月5日木曜日

東京農大、田植え体験


 私が住んでいる住宅団地(刈谷町)は高台(写真・奧)である。南側はJR牛久駅であるが、北側は田圃になっている。中央を牛久沼に注ぐ稲荷川が流れている。田圃の周囲を一周すると、6キロほど、散歩に丁度良い。
 昨日に続いて、今朝も10時頃、田圃に降りてみた。田圃には水が張られ、田植えが始まっている。私が子供の頃は手植えだったが、今は機械が田植えを行う。便利になったものである。今朝は昨日見えなかった、人の集団が見えた。「あの人たちは何をしているのだろう」集団に近づくと、幟旗(のぼりはた)が見える。「東京農業大学・教育講習会」と書いてある。幟旗のある田圃に大人と子供達が並んでいる。東京農大の学生さん達が地元の子供達に昔ながらの手植えによる田植えを経験させているのである。 夢中でシャッターを切った。


  4月29日から始まった5月の連休は今までの連休と比較するとノンビリできた。これは自分史「刈谷いしぶみの会」を休会にした効果である。文字通り、毎日が日曜日。日々楽しい。