2016年4月29日金曜日

凄い愛憎劇!オペラ「カルメン」

 
凄いオペラのDVDが発売された。
 
 有名なビゼーの「カルメン」だが、この「カルメン」だったらオペラを知らない人でも虜になってしまう。そして終幕、嫉妬に狂ったホセがカルメンを刺殺、その悲惨さにやり場がなくなってしまうだろう。私も思わず画面から目をそらしてしまった。これを救ってくれたのが、カルメンを演じたライスとホセを演じたイメルが手をつないで、笑顔でアンコールに応えるために舞台に登場した場面だった。この場面がなかったら、その後の食事も進まなかったと思う。
 
 私がオペラに興味を持ったのは中学生の頃、NHKが招聘したイタリアオペラだった。モナコ(テノール)、テバルディ(ソプラノ)など、世紀の名歌手が登場した。「カルメン」もストーリーよりもこれら名歌手のアリアに圧倒された。(中学生では男女の愛憎は理解できなかった事もある)

 今回、観たオペラは2010年、ロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場で収録されたものである。登場する歌手も粒ぞろいだが、ザンペッロの演出が素晴らしい。彼は映画監督でもある。だから、「カルメン」が名曲の集合として展開するのではなく、男女の「情熱と嫉妬」として迫ってくる。ザンペッロの要求でもあろう。舞台が実にリアルで美しい。撮影に当たったネイピアは、鬼才と呼ばれるこの世界の実力者だという。

 万雷の拍手に迎えられ、指揮者カリーディスが登場。指揮棒が振り下ろされると、タンタタ、タンタンと序曲が始まる。それから2時間40分、誰もが画面から目を離す事ができないだろう。

 日本語字幕付。輸入・販売:ナクソス・ジャパン株式会社

 


2016年4月24日日曜日

篠原家ホームコンサート

 
(左から小生、奥様、中村さん、岩垂さん。前が篠原さん)
 TDK退社前、2年間、関連会社TDKコアにお世話になった。音楽ソフト、教材ソフトを制作する会社だった。そこでお世話になったのが音楽ソフトの責任者、篠原裕治さん、その篠原さんから23日(土)の昼、ご自宅(我孫子市)に招待された。
 篠原さんに招待されたのは、小生の他に当時、音楽関係のソフトを制作していた岩垂靖樹さんと、中村いね子さん。
 奥様の手料理をつまみにビールをいただき、焼酎のお湯割りにと進む。いつの間にか居眠りを初めていた。「どうぞ、どうぞ」と篠原さんが、窓辺のソファーを進めて下さった。そういえば、小生、8時~11時まで「牛久シャトー」の掃除のバイトをやってから篠原家にかけつけたのであった。
 小生が窓際でウトウトしていると、コンサートが始まった。
キーボード担当、中村さん、フルート担当、岩垂さん、ギター担当、篠原さんである。名曲の小品が部屋を満たす。これぞ天国である。
 それにしても、篠原ご夫妻の度量の大きさ、奥行きの深さには脱帽である。篠原さんは小生より2歳年下で72才とのこと。自治会役員など地元の役員もされているという。
 口先やブログ等で偉そうなこと言っている自分を振り返る。篠原さんのように行動に移す事ができない。自分は口先だけの人間で終わりそうだ。
 救いは意外にも「掃除のバイト」である。おばさん達と汗を流す掃除の仕事は懺悔の一つである。

2016年4月20日水曜日

心を打つ宮地ご夫妻の恋愛

 
先週、牛久市刈谷町のベテランズ(老人)クラブで郵政OBの赤荻さんから1冊の本を渡された。
 本のタイトルを見ると<父33回忌、母7回忌記念>「宮地正明・福江夫婦年譜」(写真・右)とある。宮地家の歴史である。編者(&筆者)は夫妻のご長男正人氏。正人氏、昭和19年生まれ。日比谷高校から東大に進んだ秀才である。(牛久市在住)
 本を読む。宮地正明氏、大正元年生まれ、愛知県出身。福江さん、大正4年生まれ、宮城県生まれ。本は2人の遺した日誌&手紙を中心に展開する。正明氏は東京商科大時代、反戦運動で投獄される。その影響もあり入院。その病院に看護婦として派遣されていたのが、福江さんだった。昭和11年、2人は病院で出会う。急速に恋愛感情が生まれる。出会ってから2年後、結婚するまで正明氏は福江さんに45通の恋文を送る。
 2人が交換した恋文が、この本のハイライトである。私は過去に何冊か恋愛小説を読んだ事があるが、このように密度の濃い、恋文の往来を見た事がない。正明氏が福江さんに宛てた第1信はこんな具合である。「今日も一日中待ったのに、あなたもあなたの手紙もこなかった。-略ーたまらなくなって例の壊れかけの蓄音機にトロイメライを掛けるのだが何だか気が慰まない・・・」。当然であるが、作家の書いた創作よりもリアルである。できれば、この本、商業本として出版し、今の若い方達にも幅広く読んでもらいたい。そのような価値を包含した素晴らしい本である。
 私も5年前、父の13回忌を記念して本を作った。<感謝>「感謝の心で乗り越えた86年」(写真・左)である。この本は畠山家第31代である父をテーマにした本。祖先は畠山重忠だと言い伝えられている。
 世界史、日本史があるように、宮路家史、畠山家史があってしかるべきである。家の歴史があって、国の歴史があり、国の歴史があって世界の歴史があるともいえる。

2016年4月16日土曜日

「東京物語」。笠智衆の年齢に近づいた自分



 映画鑑賞のオーソリティ、高野睦さんのメールを拝見した。小津安二郎監督の「晩春」(1949年)について見解を述べておられる。そういえば、私も「東京物語」(1953年)を録画していたのを思い出した。忙しさに紛れて録画したままになっていた。
 忙しさも一段落。「東京物語」を再生した。家族の物語を淡々と描いている。私は昭和17年(1942)生まれ、映画と似たシーンが実生活で次から次へと登場した。生まれた家は農家だったせいもあり、広かった。親戚が来宅すると、泊まっていくのが当たり前だった。夜は大宴会となった。「東京物語」の場合、老いた夫婦が東京に住む子供家族を訪れるという設定だが、泊まるところは旅館ではなく、子供の家である。そこで、お互いに思いながらも、そうもいかない現実が次々と発生する。子供達とすれば、久しぶりにきた両親を暖かく迎えたいが、仕事に追われる現実が、障害となる。
 こういった事情を配慮してか、日本が豊かになったためか、最近では、子供の家を訪れても、また、実家に行っても泊めてもらうという事がない。泊まる場合はホテルである。親族といえども、適当に距離を置く。昭和時代と平成時代では家族の付き合い方も変わってきているが、本質的には変わっていないというのが私の感想である。
 私の家族では、弟が6月に母の「白寿の会」を開く準備を進めている。その一環として、孫達の祝いのメッセージを募集しているのだが、私の子供達も祖母に対して立派なメッセージを書いている。外見的な付き合い方は変わっても、家族を思う気持ちは変わっていないと思うのである。
 しかし、いずれにしろ、第1戦を退いてからの人生は寂しいものである。というのが70才を過ぎた現在の実感である。自分も笠智衆が演じる老人に近づいてきた・・・。ジッと海を観たり、山を観たりする時間が長くなるだろう・・・。ヒョットしたらパソコンかな・・・。

2016年4月9日土曜日

74歳、4月。超多忙の日々


2日(土)自分史の会「刈谷いしぶみの会」花見。土浦市のメンバーである髙山さんのアレンジで実施。土浦一高(写真・上)など、桜の名所を見た後、会食。「いしぶみ」は10号をもって休会する事になった。

4日(月)我孫子で柏倉先輩にお目にかかる。柏倉さんに沖山さんの弔辞の筆書きをお願いしていた。あまりの素晴らしい出来栄えに感激。毛筆は日本の文化。

5日(火)10時~松戸で沖山先輩の告別式。部下として弔辞を読む。沖山先輩には40年間お世話になった。今日の自分があるのは沖山先輩のお陰である。式修了後、秘書役だった岩澤さんにビールをご馳走になる。

7日(木)刈谷ベテランズクラブ総会。平成28年度、事業計画承認の後、懇親会。10:30頃から飲み会である。小生、加茂鶴大吟醸「双鶴」寄付。美味しかった。「畠山さんは次元の違う人」との声。◎株暴落 日経平均15,732。私の所有株は許容範囲

8日(金)兄嫁から電話。99才の母、今日退院との事。一人で歩いており、元気との事。老と戦う母。10:50分。「菜の花会」我孫子駅集合。篠原さんアレンジ。柏市「あけぼの農業公園」(写真・下)で花見をした後、駅前の居酒屋で宴会。その後、コ・ビアンで2次会。小生、元上司、慶応ボーイの松本さんに電話。次回は松本さんが参加する可能性大。

9日(土)9時~12時。シルバーの掃除のバイト。Mさんと、散り始めた牛久シャトーの桜を掃く。キリがない。さすがに疲れた。午後、久しぶりに時間ができたのでメル友、数人にメール。

2016年4月6日水曜日

恩人・沖山昭八さんの弔辞を読む

         (沖山昭八さんの祭壇)
 
 3月31日、私をサラリーマンの中堅に育てて下さった上司沖山昭八さんが83才で亡くなられた。
 奥様から私に「弔辞」を読むよう依頼がきた。沖山さんであれば、役員OB、あるいは現役役員でも相応しい方がいらっしゃるはずである。辞退しようと思った。ただ、「弔辞事典」を見ると、弔辞の依頼を断ってはいけない。とある。

 私がTDKに入社したのは昭和35年、職場は秋田工場、18才でだった。当時のTDKは売上げ28億円、従業員2780名。なんと沖山さんは昭和38年、私を東京本社に呼んで下さった。仕事は社内報の編集だった。昭和42年、沖山さんは磁気テープ事業部営業部長に栄転。「君も来ないか」沖山さんは磁気テープ事業部に呼んで下さった。私は後にテープの商品企画課長を拝命する。沖山さんの戦略でTDKは「世界一の磁気テープメーカー」に躍進する。この模様はNHKの「プロジェクトⅩ」にも登場する。昭和58年、沖山さんはTDKの名前を世界に広めるために世界陸上のゼッケンスポンサーになる。カールルイス、ブブカの胸に「TDK」のゼッケンが輝く。私も4年後、ローマ大会を担当。ルイスにもお目にかかった。
 TDKは創立80周年を迎えた。売上は1兆円を超し、従業員は8万名を超えた。記念事業の一つとして「TDKオーケストラコンサート・ベルリンフィル管弦楽団日本公演」を来月5日間にわたってサントリーホールで開催する。チケットが4万2千円の高額ながら全席売れきれだという。
 夢のような私の人生であり、TDKの軌跡である。このバックに沖山さんの力があったのである。

「畠山君、仕事終わったかい、いつもの店にいるよ」
銀座のカウンターバーに座る沖山さん、その笑顔は永遠です。

弔辞の締めくくりの2行である。