2023年9月17日日曜日

天然鮎で乾杯!佐竹が美人を秋田へ連れて行った?

13日(水)恒例の地元、刈谷シニアクラブの「鮎研修旅行」が行われた。8時刈谷団地出発。ところが、出発が30分遅れた。参加者の1人が時間になっても現れない。電話をしても通じない。後でわかったことだが、この方、ディサービスとダブルブッキングをしていて、ディーサービスの方にでかけたという。平均年齢80才近いクラブならではのアクシデント。
バスはつくば牛久ICから常磐高速に乗り、1時間ほど走ったところの那珂ICで一般道に入る。常盤大宮を抜けて目的地の那須烏山市に向かうのである。
一般道に入ったところで、お待ちかね、幹事である森田さんの「歴史講話」が始まる。「水戸は昔佐竹藩でした。ところが、関ヶ原の戦いの時、佐竹藩が徳川家に付かなかったため、佐竹藩は秋田に国替えとなりました。領地も54万石から20万石に減らされました」「佐竹が美人を秋田に連れて行ったために、茨城の美人は少なくなったという説もあります」(笑)「今、通過している常陸大宮には佐竹の残党が沢山住んでおります」「秋田の佐竹の末裔は2009年から県知事となり、今でも殿様と呼ばれております」(拍手)
11:30には時間通り那珂川(写真・右)の川端にある、観光やな「ひのきや」に到着。焼き鮎、鮎の刺身、鮎のから揚げをいただき、ビールと日本酒を飲み交わす。一息ついたところで、祖父さんと祖母さんが、相手を指名しながら、合コン(婚ではなく懇)。アッとう間の2時間だった。
つくば牛久ICに着いたのは5時。一般道を走っていると、隣の座席のUさん、「あの倉庫、オレが作ったんだ。あの時は接待でお客さんを東京まで連れて行ったよ」。と道路際の倉庫を指さす。確か、Uさんは紙屋だと言っていた。その他にもいろいろやっていたようである。6時前というのに外は暗い。スッカリ日が短くなった。


2023年9月13日水曜日

「ノーベル賞」に挑戦しなはれ

昨日、NHK「魔改造の夜」に出演したTDKチーム、プロジェクトリーダー・佐藤さん(写真左)と北村さん(右)お2人によるセミナーが開催された。われわれOBパソコンクラブの為に、時間を割いて下さったのである。「魔改造の夜」に出演するきっかけは、以前同番組に出演した、リコーの紹介だったという。佐藤さんが、当時社長だった石黒さんに「番組に出たい」とメールをしたところ、「やってみなはれ」という返事が返ってきた、佐藤さんはこれに「見てくんなはれ」と回答。活動がスタートした。
番組から与えられたテーマはトラちゃんがウサちゃんにバトンタッチし、ウサちゃんがバトンを持って50m走る、という競技と、改良したトーストから鳩を飛ばし、8mの高さにある籠に入れるという2つ。これを京セラチームとヤマハ発動機チームと争うというものだった。
TDKは「トラちゃん、ウサちゃん50mリレー」で見事優勝した。
北村さんは、技術部門のトップから推薦された数名に、公募に応じた技術者を加えた25名の精鋭でチームを作った。はじめて顔を合わせるメンバーだった。このメンバーを適材適所で配置。一番大切なことはチームの目標を決めること「TDKの技術を見せつけよう」「TDKの部品をできるだけ多く使おう」「ゲームだから勝つことだ」と意見が分れた。北村さんは「勝つ」ことだと決断し、チーム一丸となって取り組んだ。取材は1ヶ月半の密着取材。TDKテクニカルセンター(写真左下)の1室を借り切って行われた。
番組の反響は大きかった。家族から「TDKっていい会社だね」といわれた。北村さんは母校の教授から「ちっとも変わらない(明るく、前向き)」というメッセージをもらった。最後に佐藤さんと北村さんから「皆さんが今40代だったらどうしますか」という問いかけがあった。私は「技術者だったらノーベル賞を目指す」と答えた。TDKも2兆円企業。ぜひ、デッカイ夢を見て欲しい。

2023年9月5日火曜日

TDK磁気テープ事業「暗黒時代」

私は昭和43年(1968)磁気テープ事業部に異動になった。最初の上司は富田さんだった。その富田さん、小生より10才年上、90才の大台である。その富田さんからランチのお誘いがあった。富田さんは世田谷にお住まいである。
31日昼、常磐線の牛久から小田急線の経堂におうかがいした。代々木上原で小田急線に乗り換えると、ご婦人方の服装もオシャレである。                                     
富田さん、さすがにやや前かがみにはなったが、話ぶりは55年前とかわらず、エネルギッシュだった。ランチは2時間くらいで終わるだろうと思っていたのだが、終わって経堂駅の時計を見たら3時30分だった。

富田さんは昭和30年、TDK入社。文科系大卒の第1号だったという。入社すると、フェライトを生産している秋田に実習に行ったという。東京の世田谷で生まれ育った富田さん、秋田の独身寮3畳の生活は身に沁みたのではないだろうか。その後、東京へ戻ると昭和28年生産開始した磁気テープの販売専任者になった。当時はオープンリールテープの時代でアメリカ3M社のスコッチブランドが品質、売上ともダントツ。国産の磁気テープは国策でなんとか息をしていた。赤字だったため、社内では赤字事業部と叩かれた。富田さんは「暗黒時代だった」と回想する。「カセットテープ黄金時代」しか知らない私に当時の苦労を伝えたかったに違いない。

経堂にうかがう前、東京の新国立競技場を見学した。(写真・上)この競技場で2025年、世界陸上・東京大会が開催される。TDKが世界陸上のゼッケンスポンサーになったのは1983年第1回ヘルシンキ大会からである。当時、TDKカセットは世界をほぼ制覇していた。世界陸上のゼッケンスポンサーの発案者は私を磁気テープ事業部に誘ってくれた沖山昭八さんだった。

2023年8月26日土曜日

『NYだより』③中曽根元総理とセオダー・ルーズベルト大統領家子孫

国連職員であった佐藤さんは、日米有力者の友好に尽力した。佐藤さんは中曽根元総理の知り合いだった。一方、佐藤さんはセオダー・ルーズベルト大統領家と35年にわたる付き合いがあった。セオダー・ルーズベルト大統領(ノーベル賞受賞)は中曽根元総理と同じ青年海軍将校だったことから子孫が中曽根元総理との面会を希望、佐藤さんの仲介で実現した。(写真は2009年、面会が行われた東京・砂防会館で撮影)

《以下、佐藤さんからのメール③》

コロンビア大学からTDKアメリカに帰り、仕事に復帰しました。会社に戻って2年ほどして、国際連合日本代表部から「国連に来て欲しい」という依頼が国連大使からあり、考えた末、引き受けることを決意しました。国連で働くことは、少年時代からの希望でした。

このような我が人生に誠に貴重な履歴を創ってくださった畠山さん、辻井 敞さん、齋藤英彌さんなどのテープ事業部の皆様に、心から、感謝を申し上げたいと思います。私の今日あるのは、皆様のおかげです。(了)

🔵佐藤さんの近況→佐藤さんは、国連で、後事務総長に就任するコーフィー・アナンのアシスタントだった。間もなく、ビジネスコンサルタント会社を設立し、日米企業のM&À、提携、マーケティング・リサーチなどに従事。現在はアメリカのビジネススクールの卒業生、若手芸術家とともに、ベンチャーの設立に励んでいる。なお、小生は1976年(昭和51)米国に出張したが、この時佐藤さんにアテンドしていただき、ニューヨーク、ワシントン、ボストン、クリーヴランド、シカゴ、サンフランシスコ、ロスアンゼルスの市場視察をさせていただいた。(畠山)



2023年8月25日金曜日

『NYだより』②「なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?」出版


 佐藤さんといえば、キッシンジャーへのインタビューと並んで「なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?」(講談社)という本の出版である。本が出版されたのは2015年11月18日。その前日、東京永田町の永楽倶楽部で出版記念パーティが開かれた。パーティには著名な政治評論家の他、早稲田、コロンビア大学の卒業生など50名が参加した。(写真、小生と佐藤さんご夫妻)佐藤さんの奥様は長年国連の職員として活躍され、この年、外務大臣から表彰された。

《以下、佐藤さんからのメール①からの続き》

沖山事業部長から「アメリカのトップビジネススクールへの留学制度が作られた。各事業部から、一人づつ志願者を出さねばならないので、あなたにやってもらいたい」との話がありました。私は、「ダメもとでやらせていただきます。落ちても責めないでください」と申し上げ、志願しました。勉強不足の自分に自信がなかったのでした。そして、不思議にもコロンビア大学のビジネススクールに合格したのでした。しかし、入学してみると、それまでやらせていただいた仕事、経験がどれだけ役に立ったか計り知れません。深く、心から、TDKの皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。ここで私が特別感謝しなければならない方がいます。ぞれは、上司の上田和男さんです。「断りもしないで、勝手にどこかに飛び出していく。まったくビジネスマンとしてなっていない」と、おっしゃって私を特別厳しく育ててくださいました。私はまだ話題を求めて歩く新聞記者そのものだったのです。兄貴のように思いました。コロンビア大学を終わった時、上田さんは、一人でひっそりと会いに来てくださり、祝いのご馳走をしてくださいました。ありがたさに、目頭が熱くなりました。《③に続く》


2023年8月24日木曜日

『NYだより』①キッシンジャーにインタビューした友人


23日(水)ニューヨークの佐藤則男さんからメールをいただいた。メールは私との出会いの頃を綴ったものだった。ブログ「人間浴」を読まれている方の参考になるのであれば、転載しても良いとのことだった。佐藤則男さんといえば、思い出すのは新進気鋭のジャーナリストとして、ニクソン政権およびフォード政権期の国務大臣であり、ノーベル平和賞受賞者で
あるヘンリー・キッシンジャーへの取材である。(1988年)得意の語学力を駆使してキッシンジャーと渡り合う佐藤さんの雄姿は眩ゆいものだった。https://www.youtube.com/channel/UCXvLmdx1TpFEZUSpZtgkuvA
《以下、佐藤さんからのメール①》
ニューヨークよりお便り申し上げます。私の健康をご心配いただきまして、誠にありがとうございます。幸い、まだ働くことができそうです。ただ今、日米の間で、新しい価値観を持ち、一生懸命勉強している学生たちとともに歩んでいます。この頃、私がまだ未熟で、朝日新聞の英字新聞の記者で、新聞広告に志願しTDKに入社したころをよく思い出します。入社はさせていただきましたが、なにをしたらよいのか、全くわからず悩んでいる私を温かく迎え入れ、指導しくださいましたのが畠山さんでした。音響機器の扱い方を知らない私をご自宅まで、連れて行ってくださり、教えてくださいました。さらに、周波数特性、ノイズレベルなどの磁気テープの知識も教わりました。入社し、半年ほどでTDKアメリカに異動になりましたが、畠山さんは、陰に日向に支えてくださいました。
そして、私には、おもいもかけないことに気づかせてくれました。それは、大学時代勉強したマスコミュニケーションとマーケティングとは、同一の理論だということでした。英字新聞記者上がりでも、マーケティングで武装すれば、何とか生きていけるという自信が生まれたのです。子供の時から、独学し、身に着けた英語は、大きなプラスでした。このようなきっかけを作ってくださった畠山さんに、深く感謝しております。
TDKアメリカでは、マーケティング、セールスのほかに、なんでもやりました。在庫管理、出荷、受注、などの経営に必須な仕事、会社にまつわる一連の仕事、さらに、ファイナンスなど多岐にわたる仕事をさせていただきました。そのような仕事をしているとき、沖山事業部長が「アメリカのトップビジネススクールへの留学制度ができた。各事業部から、一人づつ志願者を出さねばならないので、あなたにやってもらいたい」との話がありました。②に続く。


2023年8月19日土曜日

国際派岩沢さんの直観力で決まった「TDKの神話・世界陸上」

 昨日、40年前、一緒に仕事をしていた岩沢さんから書類一式が届いた。「処分はお任せします」とのことだった。1983年「オーデイオ専科」10月号が同封されていた。
頁を開くとカセットテープメーカー各社のカラー見開き広告が目をひいた。カセットテープ
全盛期だった。マクセルさんが新商品「UD1」の紹介をされている。出席者は端山取締役研究室長(右)、と冨営業本部第1マーケティング部長である。TDKも同誌面で「ニューⅮ」の紹介を行っている。TDKは商品企画課長の小生と、広報課の岩沢さんである。(写真・右下)マクセルさんの意気込みの違いが出席者に現れている。思えば、小生の場合、カセットテープ一筋だった。81才になった今も会社から頼まれもしないのに引き継いでいる。
ところで、広報の岩沢さんである。TDKに入社する前はロンドンの日本大使館広報部に務めていたという才媛である。
TDKは1983年、第一回世界陸上ヘルシンキ大会のゼッケンスポンサーになるが、(写真・上)昨日、岩沢さんから送られてきた書類一式を見て、契約に際し、岩沢さんの直観力が大きく影響していたことを知った。世界陸上決定に当たっては役員会で「なんで陸上なんだ」という声もあった。英国大使館に勤務していた岩沢さんは国際的にみて陸上はメインスポーツであることを熟知していた。岩澤さんは絶対やるべきだという信念のもと関係者の説得につとめた。TDKが決定した1時間後、世界的に有名なF社が参加の名乗りを上げた。TDK決定はタッチの差だった。「TDKの神話」と呼ばれる世界陸上ブタベスト大会は今日開幕する。