2019年12月18日水曜日

奇跡のバーディ


17日は高校同窓ゴルフコンペだった。10月開催の予定だったが豪雨で流れ、仕切り直しの開催だった。また雨で流れると悪いので秋田の同窓生には声をかけなかった。
幹事は川越市在住の簾内君。彼が選んだのは意外にも小生の隣町にある「ザ・ゴルフクラブ竜ケ崎」だった。わが家から車で30分。クラブハウスに着いて驚いた。この近辺には江戸崎カントリー、龍ケ崎カントリーという名門があるが、大木に囲まれたクラブハウスの威容はそれらを凌ぐ。(写真)名匠・加藤俊輔氏の設計。
 天気予報は生憎の雨だったが、小雨模様であり、ホッとする。クラブハウスも豪華ならコースも立派。多分接待用に作ったのであろう。お大臣気分でプレーに臨む。
 簾内君、成田君、斎藤君のドライバーは190ヤードくらい飛ぶが小生は150ヤードしか飛ばない。スタート前、簾内君からドライバーを頂戴した。このドライバー、軽くて非力な小生にピッタリ。ドライバーの調子が良いと2打、3打も調子に乗る。この日100ヤード以内になると7番ウッドで転がした。これがピタリとピンに寄る。飛距離は出るがアプローチで苦労している3人と大差ないスコアがでる。
12番池越えショートホール、パー3。159ヤード(写真)で奇跡が起こる。ドライバーで打ったボールは池を超え、グリーン手前に落ち、2段グリーンを駆け上り、ピンそば2メートルへ。無我の境地でパットを打つ。やった!バーディである。バーディなんて何年ぶり、いや数十年ぶりである。トータルスコアはイン54、アウト50で104。定年後は120も叩いている小生。夢のようである。創意工夫しだいで100が切れるかもしれない。来年の課題である。

2019年12月15日日曜日

中古オーディオコンポ買替体験

今年に入ってCDプレーヤーが故障した。春頃だったかなあ。
予想外、なんとか毎月のお小遣いの範囲で・・・。というわけでアマゾンにアクセス。まさかと思ったが、アマゾンにはオーディオコンポもあった。パイオニア製のプレーヤーを¥15,000でゲット。使用感は快適である。
2~3ヶ月前からこんどはプリメインアンプ(PMA-2000)の調子が悪い。チューナ部の再生音が出なくなった。しょうがないので、ラインアウトを使用して凌いでいた。ところが、今月に入ってCD、フォノ、ラインすべての出力がダメになった。万事休止。アマゾンで中古品を捜す。デノンの普及品(PMA-390)が目に留まった。今使用中のアンプもデノンである。早速購入した。ところが、これがとんでもない代物。左チャンネルの再生音が極端に低い。私からいわせたら不良品である。アマゾンに対する信頼も一挙に崩れた。安物買いのなんとやら・・・。オーディオメーカーOBの知人に頼んで修理してもらおうかと思った。が、待てよ、まずはアマゾンに現状を訴えよう。ということで「返品したい」と申し入れた。驚いたことに即座にメールで返品扱いの要領がメールで送信されてきた。返品送料もアマゾンが持ってくれるという。さすがアマゾン!そこまでやるか・・・。
 アマゾンの対応に満足した私は再び検索。ヤマハのプリメインアンプ(A-S301)¥21,500。2015年製を購入。商品を見て驚いたピッカピカ、新品同様である。(写真上・リモコン、取説付)
今回の件で新旧のアンプを見ることになったのだが、驚いたのは重量。デノンの2000は重量が24キロと持つのがやっとだが、デノンとヤマハの普及品は7キロ~9キロ。ヤマハのアンプの原産地はマレーシアとある。(写真下・上が390、下が2000。大きさの違いは歴然)
 肝心の音であるが、デノンの2000と比較するとヤマハの301は重低音が不足。ただし、音の透明度は抜群である。新しいアンプで聴きなれたCDを聴き直すのが楽しみである。
 デノンの2000は地元のHARD-OFFに引き取って貰った。再生系の基板が破損しているのではないかという見立てだった。引取価格¥6000.予想以上。2000は名器だったようである。

2019年12月5日木曜日

澤部肇さん、日経「私の履歴書」登場


日本経済新聞最終面に掲載されている「私の履歴書」に登場するのは一流の政治家、文化人、経営者である。つまり、経営者にとっての″夢″である。
 TDK六代目社長、澤部肇さんが12月1日から登場している。1日、東京へ向かう電車の中で記事を読みスッカリ魅了されてしまった。澤部さんの笑顔がいい。無垢の少年のようである。
 
アルバムを見ると、澤部さんと一緒の写真がある。左が澤部さん、真ん中が小泉カリフォルニア工場長、右が私である。1984年とある。当時、私はカセットテープの商品企画を担当しており、新製品のプレゼンテーションのために海外出張した。
 この後、澤部さんはカセットテープなど記録メディア事業部の責任者になる。私の仕事ぶりをみて、記録メディア事業をリサーチするとともに、私の評価もしていたに違いない。その後、私は記録メディアの広報、工業会業務等を担当。好きだった音楽・オーディオ部門で十分に能力を発揮することができた。その時培った経験が定年後の今でも役立っている。
 澤部さんは1942年生まれ。77才。私と同じ年である。TDK社長の後、会長、相談役を歴任。その傍ら旭硝子、帝人、野村証券、荏原製作所等の社外役員を歴任。母校、早稲田大学評議委員会・会長、ルクセンブルグ大公国名誉総領事である。幅広いキャリアの中からどんな話が飛び出すか・・・。今後の「私の履歴書」が楽しみである。
 私の澤部観、それは一口でいうと「澤部砲!」である。早口で矢継ぎ早に鋭い舌鋒を浴びせる。しかし、全く私心がない。爽やかである。少年のような無垢な笑顔がそれを証明している。笑顔の写真の下段に「最近の筆者(秋田県の鳥海山で)」とある。
 TDKの創業者・斎藤憲三氏は鳥海山の麓、秋田県にかほ市出身である。

2019年11月24日日曜日

切手の無い絵葉書とどく

市川市に住む友人Aさんから素敵な絵葉書が届いた。普通に考えれば、絵の素材になりにくい東京外環道の絵葉書である。
この絵葉書を見て、現役の頃を思いだした。
銀座で飲んだ帰り、タクシーに乗って高速を利用して帰宅した。
営業の責任者だったAさんもそうだった。高度経済成長の真っただ中だった。

それはそうとして、宛名面を見ると、切手が貼ってない。
貼ってある切手がはがれたのであれば、消印の一角が欠けているはずである。
しかし、真ん丸だ。
Aさん、70代後半、さてはボケて切手を貼り忘れたのだろうか?
郵便局のホーム頁をみると「料金不足の場合は差出人に戻る。万が一受取人のもとに届いた時は、受取人に請求」とある。
差出人を見ると「市川市・A」としか書いてない。
市川の郵便局は差出人に請求しようにもできなかったのかも。
牛久の郵便局は切手を貼ってないのを見落としたのかもしれない。
分っていたが自局の責任ではないということで、配達したのかもしれない。たかが、63円の切手の話だが、楽しいミニドラマが浮かんできた。

いずれにしろハガキが届いてよかった。Aさん、そして郵便局の皆さんありがとう。

2019年11月15日金曜日

キッシンジャーにインタビューした佐藤則男さん


You Tubeに「キッシンジャー、佐藤則男」と入力すると、キッシンジャーにインタビューする佐藤則男さんの映像を見ることができる。(写真・上、中)
キッシンジャー(1923生)とは1971年、ニクソン大統領の密使として、当時中ソ対立でソ連と緊張関係にあった中華人民共和国を極秘に2度訪問。周恩来と直接会談を行い、米中和
解への道筋をつけた大統領補佐官である。
 そのキッシンジャーにニューヨーク在住のジャーナリストである佐藤則男さんがインタビューした。1988年のことである。1時間の予定だったがキッシンジャーは佐藤さんに「もっと続けよう。君はベストインタヴュアー」だといい、1時間40分におよんだという。
佐藤則男さん、コロムビア大学ビジネススクール卒。ジャー
ナリストとして独立する前はTDKに勤務していた。1976年、小生、初の海外出張の時、アテンドしてくれたのが佐藤則男さんだった。出張の目的は新開発のSAカセットのプレゼンテーション。ニューヨーク、ボストン、ワシントン、シカゴ、クリーヴランド、サンフランシスコ、ロスアンゼルスのオーディオ店を佐藤さんと一緒に廻った。ニューヨークではオーディオ誌、オーディオ評論家ともデイスカッションした。どこでも大きな反響を呼んだ。商品が良かったのは勿論だが、佐藤さんの語学力でお様達を圧倒した。畠山34才、佐藤さんは後輩だった。2人は若かった。(写真下。佐藤さん、右端小生)
 当時、佐藤さんがキッシンジャーにインタヴューするような著名ジャーナリストになるとは夢にも思わなかった。

2019年11月8日金曜日

富士シニアゴルフ&大腸内視鏡

今日(8日)隣町にある江戸崎カントリーで開催されている「富士フィルムシニアチャンピオンシップ(ゴルフ)」にでかけた。
 入場料¥1000。10月に行われ、タイガーウッズが出場したZOZOオープンは¥12,000だったからエライ違い。優勝賞金もシニアは¥1,400万に対し、ZOZOオープンは約2億円だった。
 1番スタート、パー5で各選手のドライバーショットを真後から見る。シニアとはいえ打球は早い。ウッカリすると球を見失ってしまう。尾崎健夫(65)、水巻善典(61)、渡辺司(62)、室田淳(64)、川岸良兼(52)、倉本昌弘(64)、尾崎直道(63)と懐かしい選手が次々登場。予選初日トップの深堀圭一郎(51)の時は「深堀さん優勝して~!」の声援が飛んだ。
 選手達のクラブ、ゴルフバックはいずれもピカピカ、ズボンにはキッチリと折り目が入り、靴も真新しい。プロとなればやはり役者である。競技は3日間、明日の決勝ラウンドはテレビ中継される。土産付き(写真)富士フィルムさんありがとう。
4日、大腸の内視鏡検査を受けた。検査は2時からなのに、9時には受付を済ませるようにとある。9時から14時までの5時間、なにをやるのだろうと思った。9時受付を済ませると血圧検査。「血圧高いですね」と看護婦さん、150代のようだ。ベットで休んで下さい。小一時間休憩してから再検査。「まだ高いですけど148ですから進めましょう」とのこと。ホッとした。それからが大変だった。下剤による前処理。下剤と水を交互に飲む。3時間以上かかって2リットル飲む。拷問である。やっと便がオシッコのようになる。内視鏡の検査結果は「憩室があるが問題ない」とうことだった。下腹部の膨れが気になっていたが、これは腸壁ヘルニアで、悪性のものではないとのことだった。

2019年11月4日月曜日

牛久シャトーを5千万(年間)で賃貸借。市主導で復興目指す。


 牛久市が牛久シャトー(国指定・重要文化財)を年間5544万円(月額462万円)で賃貸借することでオエノンHDと合意した。同社は市に対し、管理費の一部として年額1200万(年額100万円)を支払う。賃貸借契約期間は20年間。
 牛久シャトーは牛久駅から徒歩10分足らず。神谷伝兵衛が1903年(明治36年)「牛久醸造場」の名前で創設した。日本初の本格的ワイン醸造所である。2万坪の広大な敷地にワイン醸造所、レンガ造りの事務棟、ミュージアム、レストランが配置され、多くの観光客が訪れる。牛久市のシンボルである。
 だが、昨年12月、同所を所有するオエノンHDが経営上の観点からレストラン、売店を閉鎖。観光客は激減した。これに対し、牛久市民はシャトーの再興を市に要請。今回の賃貸借に至った。
 牛久市は市の主導で新会社(第3セクター)を設立し、シャトーの復興に取り組む。レストラン等のテナントの誘致・運営や土産物店等には民間の人材を登用し、早期の採算ベース達成に取り組む。
 
 小生はシルバーセンターの紹介で2015年からシャトーの清掃をしている。週3~4日、8時~2時間である。(清掃は体を使うので運動にもなる)朝レストランに行くと、白い制服を着た調理師の方々が既に働いている。「おはようございます」というと「お願いします」という返事が返ってくる。が、昨年末からレストランが閉鎖。広大で豊かな自然が息づくシャトーには誰もいない。清掃の場もミュージアムだけになってしまった。
 牛久シャトーの復活が待ち遠しい。