2012年5月28日月曜日

ディースカウ、吉田秀和、畑中良輔

正に巨星落つである。
 5月18日 フィッシャー・ディースカウ逝去 86才
 5月22日 吉田秀和(音楽評論家・文化勲章受章者) 98才
 5月24日 畑中良輔(バリトン歌手・文化功労者受章者)90才

 5月25日、FM放送で世紀の名バリトン歌手、ディースカウの追悼番組が放送された。その時のアナウンサー、「畑中良輔さんのディースカウさんを追悼するコメントをご紹介します。この収録は22日行なわれたものです。なお、畑中さんは昨日お亡くなりになられました。」

 今朝、新聞(朝日)を見ると、なんと一面に「吉田秀和死去」の記事。茨城版トップも吉田秀和(同氏は水戸芸術館の館長)、文化面トップはやはり吉田秀和(芥川賞作家・堀江敏幸の寄稿)、そして社会面のトップは吉田純子記者の吉田秀和評伝である。
 そういえば、吉田秀和は1971年から朝日新聞に「音楽展望」を連載しており、小生もその愛読者だった。これを読む為にに朝日新聞をとっていた人が多かったのでは・・・?氏の音楽評論は視野が広く、文章も易しく分かりやすかった。世紀の名ピアニスト、ホロビッツを「壊れた骨董品」と評したのはあまりにも有名。

 ところで、小生20代の頃、中央大学の夜間部に行っていた友人から音楽のレポートの代筆を頼まれた「お陰様で”優”がとれました。」担当の先生は吉田秀和だった。

「私は吉田さんのお蔭で、アメリカの音楽会は全部ただ。あちらでは招待券は女つきで2枚くれる。その1枚を、いつも私がもらった。吉田さんには不名誉なことである。何百万もゐるヤンキー娘、それも一流音楽会の切符といへば、貞操まではいかなくとも、手ぐらゐ握らせたかもしれないのに、吉田さんにはその方の才能がなかつた。―― 吉田秀和著「音楽紀行」(1957年・新潮社刊)まえがき(福田恒存)より。

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