高校時代の恩師、髙橋彰三郎先生に父の十三回忌記念誌「感謝」をお送りしたところ、丁重な礼状とともに一冊の本が送られてきた。
”烈”の一兵士「インパールからの便り」というタイトルが付いている。
先生の兄、秀次郎氏が、出征し、インパール作戦に参加し、戦死するまでの経過が書かれている。
秀次郎氏は昭和15年宮城県の小学校の教師になるが、昭和17年出征。昭和18年、ビルマに出発。インパール作戦に参加し、昭和19年9月21日戦傷死した。
前半は先生の母の遺品の中にあった秀次郎氏の手紙。家族、故郷を思う気持ちが綴られる。中盤以降は手紙で伏せられていた、インパール作戦での戦慄に満ちた事実が語られる。これは、主に生還した兵士の記録「砲よ愛馬よ戦友よ」による。
髙橋先生は昭和16年、上野の本屋で偶然、兄が戦死したチョンゾンという地名が掲載された「インパールの十字架」に巡り会ったという。その後も調査を続け、退官した平成6年から本格的に執筆し、平成7年に出版に漕ぎつけた。
私は「感謝」の編集で父が千島列島の「占守島の戦い」参戦したということで、戦争というものを身近に感じてはいたが、「インパールからの手紙」の生々しい、表現に打ちのめされた。「撃つに弾なく、食うに糧なく」「兵器を運ぶ牛は豪雨の中、泥濘に足を取られ涙す。兵士その牛を食らう」地獄絵である。
その中で高橋秀次郎中尉は敵弾に二度撃たれ、赤痢にかかって帰らぬ人となる。
戦場で中尉を支えた恩人が二人いた。いずれも同郷(宮城)の方でズーズー弁が知遇の縁だったという。
この本をまとめられた髙橋先生に敬意を表すとともに秀次郎中尉のご冥福をお祈りします。
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