9月16日は父の命日。 23回忌だった。
父は1999年(平成11年)9月16日、心筋梗塞で急逝。享年86才だった。
父は畠山家31代目である。家系図によると初代はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13名」に登場した畠山重忠だと言う。
父の子供は5名。長女85才、長男82才、次男80才(小生)、三男74才、次女71才の5名。長男と長女は実家で
ある秋田に住んでいるが、次男、三男、次女は関東である。
9月16日、「悠峰院一顆透禅清居士23回忌法要」が多宝山大蔵寺(秋田県由利本荘市)で行われた。(写真)
墓参をした後、実家に寄る。久しぶりに座敷を見ると海部総理の感謝状が目に入った。旧軍人として戦った父への慰労だった。父は千島列島、シュムシュ(占守)島でソ連軍と対峙し、地獄絵を見た。「最果てのシュムシュの兵舎凍て尽きてふるさと思う北斗七星」父の詩である。もう一枚。安倍総理からのものがあった。平成27年、百歳を迎えた母へのものだった。
沈静化したとはいえ、コロナ第7波の時期であり実行が危ぶまれたが、この機を逃しては兄弟姉妹が顔を合わせることはないかもしれないという施主(兄)の思いがあった。幸い天気にも恵まれ、父の思い出を語りあうことができた。次女の伴侶である常陸国出雲大社の高橋宮司も参加し華を添えた。
残念ながら施設にいる母(104才)への面会は実現しなかった。
18日(日)、大河ドラマ「鎌倉殿の13名」で畠山重忠は北条義時と生死をかけた一騎打ちをした後、非業の最後を遂げる。それは武士の名誉と誇りをかけた見事な散り際であり「武士の鏡」と後世に伝えられることになった。
沈静化したとはいえ、コロナ第7波の時期であり実行が危ぶまれたが、この機を逃しては兄弟姉妹が顔を合わせることはないかもしれないという施主(兄)の思いがあった。幸い天気にも恵まれ、父の思い出を語りあうことができた。次女の伴侶である常陸国出雲大社の高橋宮司も参加し華を添えた。
残念ながら施設にいる母(104才)への面会は実現しなかった。
18日(日)、大河ドラマ「鎌倉殿の13名」で畠山重忠は北条義時と生死をかけた一騎打ちをした後、非業の最後を遂げる。それは武士の名誉と誇りをかけた見事な散り際であり「武士の鏡」と後世に伝えられることになった。
お元気で何よりです!コロナも沈静化で傘寿会大丈夫そうですね!楽しみです。
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