2025年10月2日木曜日

賜宮内省御買上之光栄!秋田・稲庭うどん

 9月23日、首都圏秋田県人連合会「文化講演会」が市ヶ谷で開催された。講師は有限会社・佐藤養助商店代表取締役・佐藤養助さん。(八代目佐藤養助)
配布されたパンフレットにはこう書かれている。
「宮内省御買い上げの光栄、正統の歴史を受け継ぐ、佐藤養助の稲庭うどん。稲庭干温飥が稲庭に伝わり、当家の宗家である稲庭吉左エ門により、その技術が受け継がれ、研究と改良が重ねられ、製法が確立したのは寛文五年(1665年)といわれております。
秋田藩主佐竹候の御用処となった干温飥の製法、吉左エ門家の一子相伝、門外不出。しかし、親から子へ、子から孫へという、一子相伝の技が途絶えることを心配した吉左エ門によって、二代目佐藤養助に伝授され、当家の創業となるのです」
八代目佐藤養助さんの話は実にリアルだった。現在、同商店では180名の職人が働いているが、伝統産業を職人達に伝えるのは並大抵ではないという。うどんづくりは感覚の世界。「やわらかい、かたい・・・」といっても人によって感じ方が違う。八代目みずから、現場に入って、職人と一緒になり感覚を商品づくりに落とし込む。同じ感覚の商品を造り続けるには3日先の天気を読まなけれならない。天気を予測しながら生地への塩水の加え方、熟成のさせ方を変える。これは長年の感である。うどん造りは結局、人造りだという。長年の歴史に支えられた人間(職人)造りが稲庭うどんだという。
しかし、秋田の人口減は半端ではない。稲庭町のある湯沢市の子供の出生数を見ると10年ごとに1割強減少しているという。これは生産(職人)の面でも消費の面でも大問題。打開策の一つが東京への出店だという。東京には銀座店、日比谷店、浅草店がある。八代目の息子達が経営を行っている。
佐藤養助さんは昭和44年(1969)生まれ。八代目を襲名したのは令和7年、今年である。56才。名義拝命の手続きを終えた当日、財布を落としたという。財布には免許証もマイナンバーカードも入っていたという。まさにゼロからの再出発である。前進あるのみである。