10月19日(日)の午後、 同じ牛久市刈谷町にお住まいの郷土史研究家、森田 武さん(81才)の史談を聞く。テーマは「牛久助郷一揆」。文化元年(1804)、200年も前の話だった。
牛久のある水戸街道は五街道(東海道、中山道、日光街道、甲州街道、奥州街道)に次ぐ重要な脇街道だったという。牛久は江戸と水戸の中間に位置する重要な宿場。当時の物流は人馬。人馬で荷物をリレー式で運んでいたのである。各宿場の常備人馬は25人25匹と定められていたという。助郷というのは、この体制で足りない場合、近隣の村が人馬を供出する制度だという。物流の増加により、人馬を取られた農村は疲弊、はたまた、人馬請負の雲助まで現れ大混乱。助郷の軽減を求めて、55ケ村、6000人の農民が人馬請負人の家屋の打ちこわしを行う。一揆である。首謀者の3人は拷問に会い獄死。助郷制度は幕末・明治維新まで続いたという。鉄道ができ、車社会の今では想像できない話だった。
10月23日(木)昼、土浦市に住む山中忠雄さん(82才)にお目にかかった。場所はひたちの牛久にある「スターバックス」。喫茶店に入って驚いたのはお客さんは若い人だけ。ほとんどが一人でスマホを見ている。仲間が語り合うという喫茶店の概念はスッカリ変わってしまった。山中さんから、友人が出版したという「仕事と日々」という詩集と新米をいただいた。「霞ヶ浦のお米美味しいですよ」と中山さん。中山さんと別れた後、江戸崎に向かう。江戸崎には江戸崎カントリーというゴルフ場がある。その帰りゴーストタウン化した街並みがあった。その景色をもう一度見たいと思った。中山さんはこう語っていた。「車社会になって、江戸崎は土浦やつくばに吸収されてしまったんです」江戸崎は稲敷市になり、江戸崎という交通標識を探すのは大変である。
10月28日(火)の昼、我孫子市に住む柏倉哲さん(89才)にお目にかかった。スッカリご馳走になってしまった。(写真)柏倉さんはTDKを創設した齋藤憲三さんが生まれた秋田県にかほ市の出身である。齋藤憲三さんも凄い人でしたが、弟の幸男さんも東大を卒業し、全国町村会長を務めた方でした。という貴重なお話をうかがった。
牛久のある水戸街道は五街道(東海道、中山道、日光街道、甲州街道、奥州街道)に次ぐ重要な脇街道だったという。牛久は江戸と水戸の中間に位置する重要な宿場。当時の物流は人馬。人馬で荷物をリレー式で運んでいたのである。各宿場の常備人馬は25人25匹と定められていたという。助郷というのは、この体制で足りない場合、近隣の村が人馬を供出する制度だという。物流の増加により、人馬を取られた農村は疲弊、はたまた、人馬請負の雲助まで現れ大混乱。助郷の軽減を求めて、55ケ村、6000人の農民が人馬請負人の家屋の打ちこわしを行う。一揆である。首謀者の3人は拷問に会い獄死。助郷制度は幕末・明治維新まで続いたという。鉄道ができ、車社会の今では想像できない話だった。
10月23日(木)昼、土浦市に住む山中忠雄さん(82才)にお目にかかった。場所はひたちの牛久にある「スターバックス」。喫茶店に入って驚いたのはお客さんは若い人だけ。ほとんどが一人でスマホを見ている。仲間が語り合うという喫茶店の概念はスッカリ変わってしまった。山中さんから、友人が出版したという「仕事と日々」という詩集と新米をいただいた。「霞ヶ浦のお米美味しいですよ」と中山さん。中山さんと別れた後、江戸崎に向かう。江戸崎には江戸崎カントリーというゴルフ場がある。その帰りゴーストタウン化した街並みがあった。その景色をもう一度見たいと思った。中山さんはこう語っていた。「車社会になって、江戸崎は土浦やつくばに吸収されてしまったんです」江戸崎は稲敷市になり、江戸崎という交通標識を探すのは大変である。
10月28日(火)の昼、我孫子市に住む柏倉哲さん(89才)にお目にかかった。スッカリご馳走になってしまった。(写真)柏倉さんはTDKを創設した齋藤憲三さんが生まれた秋田県にかほ市の出身である。齋藤憲三さんも凄い人でしたが、弟の幸男さんも東大を卒業し、全国町村会長を務めた方でした。という貴重なお話をうかがった。

 






